独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

大ポカ

よくよくわたくしたちは、言葉の意味を取り違えているのでございます。たとえば代表的な言葉をいえば、結婚でございます。
いい結婚はあるが、楽しい結婚はない、と申します。幸福の絶頂は式の前夜まででございます。
「幸福をお祈り申し上げます」「祝福します」というのは、虚言ではないのであります。
禍福は、水の一膜。結婚後には待っているものへの、心からの同情がこめられているのでございます。
同様の言葉に、人生での大きな節目を表す就転職がございます。
薔薇色の未来でなどと、わたくしたちを誘いますが、なんてことはない、今より荷厄介なものを抱えるがオチであります。
残業時間も減らないしバカ上司にクソ部下に囲まれることでありましょう。クセの多いオーナー経営者に悩まされることでしょう。
何となくよさそうと思いながらもその実情は、かけ離れているのものでございましょう。何が楽々稼げるだ。
ときに言葉の意味を違えていると申しました。
しかしこれは、少し訂正せねばなりますまい。というのも、大きく、大きく間違っていることがあるからでございます。
大ポカと申しますか、まったく言葉の意味の取り違えが発生していることがあるのです。
記述ではこういう意味で使っているのに、読み手のほうで勝手に違う意味をあてはめて読んでいるものでありますから、読めば読むほどわからなくなるといった塩梅でございます。
何度読んでもわからない、意味が通じないというのは、どこぞに大ポカが生じているのでございます。
あとあとで振りかえ見れば「単にそれだけのこと」なのに、わからないのでございます。
ウンウンと何度もアタマをひねっても、全く理解に至らぬ大ポカが、お勉強中はひとつやふたつあるものでございます。
努力の空回りにうすうす気づいたら、大ポカを疑って、おさらいからはじめたらよいのでございます。

(さらに…)

休み休み

馬鹿は休み休みいえ、というのは、時々はバカな事を言い合おうという、人間関係の秘訣なのでございます。
ときにバカな事を言い合って、誼を暖め直そう、冷え切った悪縁を元に戻そうという塩梅でございます。
冗談が通じなくなったとき、関係は壊れていくのでございます。笑い合ったか?
まじめな事だけ、ビジネスライクな事だけの関係が脆いのを、ご理解いただけるかと存じます。
お勉強というのは、紙を前にしての戦いでございます。
しかもまじめな事ばかりでありまして、テキストの端から端までは漢字ばかり、難しい言葉ばかりで、まったくまじめ一本槍でございます。
こんなものを毎日相手をしていたら、こちらもその気(ケ)が移ってしまうのでございます。
まじめと言うのは真剣であり、よいことはよいのでありますが、言葉の通り「真剣」でありまして、そんな凶器を振り回していたら、いつか周りと我が身を損なうものでありましょう。
では、なまくらな剣でよいのかというと、そうでもないわけでありまして、切れ味鈍ければ試験にはまず勝てないものでございます。受験まで漕ぎつけない。
えー、お勉強は、休み休みでございます。
人間、できることであればまじめに取り組めるものであります。そのまじめさは、効を成すのでございます。
しかし、できないのにまじめにやるのは、難しいのでございます。
切れ味の優れた包丁を持って、切れそうにもない硬いかぼちゃと格闘しているのと同じでございます。いつか手を切ることでありましょう。
ときにお勉強では、特別に難しい単元、実に難関の科目に遭遇するものでございます。
テキストを読んでもひとっつもわからない。問題集を解いても何ひとつ飲み込めない。
そういうときには、本当に休み休みでございます。
15分やって15分休む。一時一気に、しかも長時間はしない事でございます。
アタマがすぐパンクしてしまいます。
休み休みでオイオイやっていけばよいのでございます。
一気にするとスグに消耗してしまいます。
難所に来たら、ゆっくりと漸進主義でございます。

(さらに…)

それはそれで

大切なことは忘れ、見えなくなると申します。
ある老女は、連れ合いに先立たれてからは、あまりご飯を食べなくなったと申します。
気づいたら1日何も食べていなかったというわけでございます。そのため、意図して食事をするようになった、とおっしゃっておりました。
食事を取らなくなったのは、料理をしなくなったからでございます。
これまでは亭主がいて、そいつがお腹をすかせるものですから、仕方なく料理を調理をしていたわけでございます。
作るうちに食欲が刺激され、一緒についでにご飯を食べていた、というわけでございます。
そのご老体のご夫人、これまでは家事がめんどくさくてたまらなかったと思っていたのです。
しかし振り返ればなんとも大切な事であったと、述解しておりました。
家事があったからこそ、ご亭主がメシメシと小うるさく言っていたからこそ、食べるという生きる基本が支えられていた、と気づいたのでありました。
因果の法則と申しますが、いったい何がどのように、わたしたちの生活では関連があるのかわからないものでございます。
うざったくて仕方のないものが、あとあとになって果実を結ぶ事もございます。
愛しくて仕方ないものが、あとあとになって禍根と怨恨と憎悪のもとになることなど多々ございます。
あまり深く思い煩わないことでございます。
本格的に夏の到来でございます。
蒸し暑くてお勉強のご予定は崩れがちのことでしょう。
暑いのならまだしも、台風や地震増水と、天変地異にも見舞われてもおかしくございません。
まあ、それでも将来のいい事につながって行く可能性も、無きにしも非ずなのでございます。
必ず繋がっている部分はあるのでございます。
お勉強など多少できなくても、多少サボっても、本試験の日にさえできておけばよいだけの話でございます。
今日はゆっくりできた、英気を養えたと気分を変えて、できなかった分を涼しいところで取り戻せばよいのでございます。

(さらに…)