暑い暑いさなかでございます。
こう暑いと冷蔵庫を開ける回数も多くなります。
なかにはひょっとすると、冷蔵していた食べ物を傷めた方もおられるのではないかと存じます
やはり夏でございます。普段食べなれたおなじみの一品であっても、丁寧に取扱わねばならないのであります。
気を抜いて暑いとこに食べ物を放置などすると、途端に傷むものでございます。
タッパーに入れていた小おかず群が醗酵し、ふっくらしていたなんて悪夢もございます。
いただきます、と煮物に箸をつけた瞬間、触ってもいないのにねっちょりの粘り気を感じてしまう悪夢もございます。
こうなるとゴミ箱に捨てるに捨てれませぬ。匂わぬようにラップをかけ、ゴミの日まで恐怖の毎日でございます。
さて、食べ物の傷みが早いがゆえに、誤って食べてしまわれた方も多いかと存じます。
お腹が緩くなったなと思ったら、まずは傷んだものを食べちゃったと訝るがようございましょう。
幾度となく嘔吐と腹痛、下痢に見舞われた、夏のわたくしでございます。
「あら?」というお腹の違和感には、熱い緑茶でございます。すぐに飲むべし、でございます。
なんかこれ危ないなぁ、と思った食べ物を頂いたときも、お湯を沸かしてのお茶でございます。
夏こそお茶である習慣がついたわたくしでございます。
飲むのがはやければはやいほど、腹痛・下痢の可能性は低いものでございます。
緑茶はカラダにいいと申します。
効能のひとつに、殺菌作用の高さがございます。
一説に因ればお茶の葉は、水虫を治すほどの殺菌力と申します。水虫菌をもぶちのめす力があるというわけでございます。
おなかの調子が悪いな、と思ったら緑茶で殺菌でございます。やばいかな、と思ったらお茶でございます。傷んでるかなと思った食材を使ったときは、食後に湯気立つ緑茶でございます。
お勉強の第一は、なにより健康管理でございます。小手先の勉強よりも、健康の維持が大切なのでございます。
健康であってこその、お勉強でございます。
腹痛を抱えながらのお勉強など、できるわけがございません。
本格的な症例が出始める前に、緑茶であります。
一杯のお茶が、多くを防ぐことを御実感頂ければと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年8月16日 11:12 AM |
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「よくよく考えてみる」というのが、大事なのでございます。
ムカ!!ときても、カチン!!ときても、まずは一息でございます。
深く考える人は、それほど怒らないと申します。
何か事情があるのだろうかと、忖度するが賢明なのでございます。
賢者は猛らずと申しますのも、よくよく考えることができるからでありましょう。
考えてみれば、それほど重大なことでもないのに腹を立てていることも多いのでございます。
よくよく考えてみれば、どうってことないものにブツクサいっているものなのでございます。
長い受験期間でございます。ときにはお勉強をすることが、なんともメンドクサクなるものでございます。
「何でこんなことをしなければいけないのか?」と、テキスト・問題集を前にして、思うことは晴れることのない疑問でございます。
しかし「考えてみれば」、こうして机の前に座れるというのも、悪くはないのでございます。
「考えてみれば」、勉強の時間が取れるだけでもありがたいものでございます。
ひどく体調を崩していたり、風邪を引いておれば机の前に座れるものではありません。
お勉強てなものは健康でないとできないもの、まずは健康のありがたさに感謝でございます。
時間が取れるのも、実際何も悪いことが起きていないということでございまして、悪くはないわけであります。
事情によりはるかに安い金で働かざるを得ない人も多数ございます。貧乏ヒマなし、に比べれば学べる境遇というのは悪くはないものでございます。
「考えてみれば」、お勉強は確かにシチメンドクサイかもしれないが、他にめちゃくちゃに楽しいことがあるのかといえば、そうないものでございます。
外食も買い物も、極めれば2回か3回、ヒマがつぶれればよいだけでありましょう。
ある意味、勉強ができることが好日の証なのでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年8月15日 8:44 AM |
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わたくしたちには、やろうという気はあるのでございます。
また、やめようという気はあるのでございます。
たとえばあと一膳のご飯、あと一本のお銚子、あともう一袋のポテトチップ、あともう一枚の板チョコなどでございます。
食べなくてもいいのになぁ、と思いつつ、手を伸ばしているわたくし、そしてみな様かと存じます。あとひとつの余分のうまさを、わたくしたちは知っているものでございます。
この強力なパワーこそ、習慣なのでございます。
習慣とは、精神力や気合の問題ではなく、ただ、これまでやってきた事実の重さなのでございます。
事実の重さは、強烈でございます。意志やなんやらでどうこうできないものでございます。
わたくしが、焼酎後のインスタントラーメンをやめることができたのは、ラーメン類を一切買わず、「食べない」という既成事実をこさえにこさえたからでございます。
満腹の上をいく満腹、甘さのけだるいまでの堪能、酔いの上の酔いなどは、答えられない快感かと存じます。食べた事実と快感を伴った記憶が、再び同じ行動にわたくしたちをいざなうのであります。
勉強をしようしようと思ってもできなかったり、また続かないという人は、古い習慣に邪魔をされているとお考えくださればと存じます。
さきほどの飲食の例でいいますと、止めようという新しい習慣を打ち立てる前に、古い習慣が完全勝利を収め、凱旋をあげているのでございます。祝杯とボールいっぱいのお菓子とともに。
勉強をいう新しい習慣は、テレビやゴロゴロというこれまでの古い習慣に、毎回ノックアウトされているのでございます。
古い習慣に打ち勝つのは、実に、実に難しいもの。事実の重さをこれでもかと、感じることでありましょう。
類は友を呼びます。古い習慣の方が圧倒的な量なのでありますから、新しき習慣はそそくさと敗北を帰すのでございます。
人間、急激に習慣を変えることはできないのは、こういう理由からなのであります。
本当に、徐々に徐々にしかかわれないのでございます。それは、事実の積み重ねが必要だからでございます。
薄皮をむくが如く変えていかないといけないのでございます。
新しい習慣の事実を、積み重ね積み重ねしていくしかないのであります。
習慣化されれば、確実に勉強量をこなすことができるのであります。そして確実な勉強量こそ、確かな実力へ昇華し、合格証書をもたらすのであります。
峠を越すと、あとは惰力惰性でやっていけるものでございます。
坂のうえまでは少しの前進でガマンして、坂道になれば一気に駆け下りればよいのでございます。
歩みは遅くてイライラするけど、事実はわたくしたちを裏切らないものでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年8月14日 9:17 AM |
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