独学で困るのは、机に向かえないときでございます。
やろうやろうと思っているのに、なかなかテキストに手が伸びません。
商談で下手を打った新人営業マンの如く、机の前を右往左往するものでございます。
そうこうするうちに、何だかんだ、自分で雑用を見つけては手をつけてしまいます。
書類の処分、写真・アルバムの整理、文房具の片付け、衣替え、植木の水やり、エンジンオイルの汚れ検査、タイヤの溝チェック、携帯のメール消去、ハードディスクの整理、水面台の下の物入れの片付け、消耗品チェックなどなど、机に向かいたくないときほど、これまでのやろうと思っていた雑用が一挙に押し寄せるのでございます。
これまでほうっておいた雑用が「とても目に付く」ようになったときは、分岐点でございます。
やるの?やらないの?ハッキリしてよ、という分かれ道なのでございます。
もちろん、ここで少しでもやっておくのが、独学を成功に導く選択でございます。
しかし、この選択を取れるかどうかは己次第でございます。
独学ですので、どうこういってくれる人もおりません。やさしく諭す人、強引に連れて行く人などいないのでございます。
自分でなんとかして、机に向かわないといけないのであります。
今日だけしかしない、とお考えくださいまし。
今日しか勉強しない、今日しかやらない、明日からはやらない、明日以降はもうやらない、と思い込むのでございます。
雑用が目に付くのは、心の深いところで「あーまた 毎日やらんといけんのか、めんどうじゃ」と、今日ではない明日以降を考えてウンザリしているのでございます。
これを紛らわせるには、今日だけしかない、今日だけしかやらない、今日で終わりと思い込むことでございます。
仏のウソを便法と申します。
今日を乗り切ることだけ、意識するのでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年8月24日 10:43 AM |
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最もしんどいのは、終わりがない戦いでございます。
終わりがあるからこそ、わたくしたちは力を出し惜しみしないのでございます。
小学生に勉強をしろ、といっても言う事を聞かないのは「何時」までかハッキリしないからでございます。
何時までやればいいのか、何時になったら解放されるのか、これが人の行動を司る原理だと思うのであります。
小学生に勉強をしろ、といってもしないのは、まだ先々までずうっとしないといけないのだから、今は手を抜いてもいいじゃん、というわけでございます。
逆に中学受験で目いっぱい勉強するのは、中学さえ入れば後はエスカレーター、勉強をしなくてもいいと理解しているからでございます。
アタマの中での小理屈では、動かないのでございます。
たとえば、借金でございます。
高利貸しの借金は年収の2倍になると返せなくなると申します。破産するしかございません。
みな、借金するときはアタマの中で計算はするのでございます。1ヶ月これだけ返せばいいと、胸算用するのであります。
しかし現実的には、利息を払い続け減らない元本にウンザリするのでございます。
10年先には20年先には返済が終わっていようとも、もうガマンできず、生活は荒れ、更なる借金を重ねるのでございます。
「何時まで」かをよくよく考えることが、やる気の維持で大切でございます。
この点、資格試験は受験日という最終締め切りがきられている分、楽でございます。
上司が仲人で別れるに別れない夫婦の消耗戦の毎日に比べれば、いかにラクチンな戦いかお分かりいただけるかと存じます。
これ以上、もっとひどい戦いもあると思えば、テキストと問題集を開く手も、幾分軽くなるのではないかと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年8月23日 8:41 AM |
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アタマと胃袋は、おなじようなものだと考えるものでございます。
もちろん、それぞれの機能は違いますが、どちらも「8分目」がよいのでございます。
お腹はいっぱいになれば、もう食べられないし食べたくもないものでございます。
アタマも同様でございまして、ある程度まで詰まってしまったらそれ以上、入らないのでございます。
満腹なのに食べ物を、詰め込まんとすればどうなるか、自明の理かと存じます。
どんなにおいしい料理といえども、お腹いっぱい以上は入らないものでございます。まずい手料理ならいわずもがな。
勘違いしてはならないのは、中には消化の優れた方がいるということでございます。
大食タレントの名前を出すまでもなく、たくさん食べられる人は世に多々ございます。
しかしほとんどの人は、それほど食べられないものでございます。
胃袋の容量は、皆ごく平均的なものでございましょう。
頭脳も胃袋と同じで、容量にはそれほど大差はございません。
お勉強というのは、アタマの良し悪しではないとつくづく思うものでございます。
違ってくるのは、胃袋でいう食べ方にあたるものでございます。ありていにいえば、使い方でございます。
ガツガツと3分で弁当を平らげる人がいるかと思えば、25分かけてゆっくり食べる人もございます。
お勉強は、気合だけでいくらでもできるものと考えている人が多いのでございますが、全くの誤りでございます。
消化の悪いものばかりを勉強していると、「嫌気」という症状がでて、ストップサインをだすものでありましょう。それを無視すると次は学習放棄が待っていることでしょう。
消化をする力が弱いのなら、弱いなりにやっていかねばならないのでございます。
大食いタレントの真似事はしないのに、こと勉強に限っては、超人の計画を真似て実行し、挫折する人が多いのでございます。
まずは自分の目分量あってこその、お勉強でございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年8月22日 3:16 PM |
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