独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

まあよし

「よくよく考えてみる」というのが、大事なのでございます。
ムカ!!ときても、カチン!!ときても、まずは一息でございます。
深く考える人は、それほど怒らないと申します。
何か事情があるのだろうかと、忖度するが賢明なのでございます。
賢者は猛らずと申しますのも、よくよく考えることができるからでありましょう。
考えてみれば、それほど重大なことでもないのに腹を立てていることも多いのでございます。
よくよく考えてみれば、どうってことないものにブツクサいっているものなのでございます。
長い受験期間でございます。ときにはお勉強をすることが、なんともメンドクサクなるものでございます。
「何でこんなことをしなければいけないのか?」と、テキスト・問題集を前にして、思うことは晴れることのない疑問でございます。
しかし「考えてみれば」、こうして机の前に座れるというのも、悪くはないのでございます。
「考えてみれば」、勉強の時間が取れるだけでもありがたいものでございます。
ひどく体調を崩していたり、風邪を引いておれば机の前に座れるものではありません。
お勉強てなものは健康でないとできないもの、まずは健康のありがたさに感謝でございます。
時間が取れるのも、実際何も悪いことが起きていないということでございまして、悪くはないわけであります。
事情によりはるかに安い金で働かざるを得ない人も多数ございます。貧乏ヒマなし、に比べれば学べる境遇というのは悪くはないものでございます。
「考えてみれば」、お勉強は確かにシチメンドクサイかもしれないが、他にめちゃくちゃに楽しいことがあるのかといえば、そうないものでございます。
外食も買い物も、極めれば2回か3回、ヒマがつぶれればよいだけでありましょう。
ある意味、勉強ができることが好日の証なのでございます。

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古い習慣

わたくしたちには、やろうという気はあるのでございます。
また、やめようという気はあるのでございます。
たとえばあと一膳のご飯、あと一本のお銚子、あともう一袋のポテトチップ、あともう一枚の板チョコなどでございます。
食べなくてもいいのになぁ、と思いつつ、手を伸ばしているわたくし、そしてみな様かと存じます。あとひとつの余分のうまさを、わたくしたちは知っているものでございます。
この強力なパワーこそ、習慣なのでございます。
習慣とは、精神力や気合の問題ではなく、ただ、これまでやってきた事実の重さなのでございます。
事実の重さは、強烈でございます。意志やなんやらでどうこうできないものでございます。
わたくしが、焼酎後のインスタントラーメンをやめることができたのは、ラーメン類を一切買わず、「食べない」という既成事実をこさえにこさえたからでございます。
満腹の上をいく満腹、甘さのけだるいまでの堪能、酔いの上の酔いなどは、答えられない快感かと存じます。食べた事実と快感を伴った記憶が、再び同じ行動にわたくしたちをいざなうのであります。
勉強をしようしようと思ってもできなかったり、また続かないという人は、古い習慣に邪魔をされているとお考えくださればと存じます。
さきほどの飲食の例でいいますと、止めようという新しい習慣を打ち立てる前に、古い習慣が完全勝利を収め、凱旋をあげているのでございます。祝杯とボールいっぱいのお菓子とともに。
勉強をいう新しい習慣は、テレビやゴロゴロというこれまでの古い習慣に、毎回ノックアウトされているのでございます。
古い習慣に打ち勝つのは、実に、実に難しいもの。事実の重さをこれでもかと、感じることでありましょう。
類は友を呼びます。古い習慣の方が圧倒的な量なのでありますから、新しき習慣はそそくさと敗北を帰すのでございます。
人間、急激に習慣を変えることはできないのは、こういう理由からなのであります。
本当に、徐々に徐々にしかかわれないのでございます。それは、事実の積み重ねが必要だからでございます。
薄皮をむくが如く変えていかないといけないのでございます。
新しい習慣の事実を、積み重ね積み重ねしていくしかないのであります。
習慣化されれば、確実に勉強量をこなすことができるのであります。そして確実な勉強量こそ、確かな実力へ昇華し、合格証書をもたらすのであります。
峠を越すと、あとは惰力惰性でやっていけるものでございます。
坂のうえまでは少しの前進でガマンして、坂道になれば一気に駆け下りればよいのでございます。
歩みは遅くてイライラするけど、事実はわたくしたちを裏切らないものでございます。

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付け焼刃

些細な部分が全体を雄大に語ると申します。
たとえば、包丁の切れ具合は、実に多くのことを語るものでございます。
持ち主の性格から家事の腕までわかってしまうと申します。
ときはお盆、田舎から孫の顔を見ようとやってくる集団もあることでありましょう。
部屋の調度品や片付け具合、玄関の乱雑さ、料理の味だけで計られているのではないのでございます。見てくれだけを整えても仕方のない事を、肝に銘じる事でございます。
先ほどいいましたように、包丁の切れ具合、そして台所の機能具合など目で見えない箇所で大いに計られているのでございます。
台所関係は一朝一夕でできませんゆえに、どうしてもぼろが出てしまうのでございます。
自業自得と腹を決め、付け焼刃の対策などしないことでございます。
さらの包丁をおろしても、指をざっくり切るがオチでございます。
世のご亭主の方も、包丁の切れ味で「我が身の選択眼」がいかばかりであったかを確認してみるのもようございましょう。
なあに手伝うふりをして包丁を手に持てばよいだけの話でございます。
さてさて、普段の生活の心がけが大事なのは言うまでもございません。
生活の付け焼刃はスグにもげてしまいますが、とはいえ勉強の付け焼刃は推奨するものでございます。
直前期以外なら、「とりあえずやってしまえ」「とりあえず済ませてしまえ」の駆け込み精神が大切なのでございます。
こんだけしか時間がないや、と思うよりも、この時間でココまでなんとしてでも済ませてしまおう、ワカランモンは後回し、できるとこだけやっていこうで進んでいけばよいのであります。
とにかくやることが、お勉強では大事なのでございます。
付け焼刃ばかりだったのが、いつの日か本当の真剣に変わってしまうのが、人体の神秘でございます。
やれない理由を探すよりか、あっという間に適当に済ませてしまえばよいのでございます。

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