独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

コーヒー or 紅茶?

朝晩がだんだんと涼しくなってまいりました。つい油断をしてお風邪を召さないよう申し上げる次第でございます。
涼しくなってまいりますと、温かい飲み物が、だんだんと恋しくなるものでございます。
さて、お勉強のお供には、コーヒーと決まっておりますが、時々は違う飲み物に変えてみるのもようございます。
わたくしは徹底したコーヒー派でございます。コーヒーを愛するものでございます。
あまりにコーヒー好きが高じて、マクドナルドのコーヒーを飲んだときなど、「このまずい飲み物を毎日、マクドの社長に飲ませたい。さすれば彼も改心するだろう」と10戒を持ったモーゼの如く、怒りに震えたわたくしなのでございます。まずい、まずすぎる。
ハンバーガーや油イモの味気なさにはガマンできるものでございます。(これが人生、セ・ラ・ヴィ)
しかしながら、コーヒーだけはガマンできず、大荒れに荒れたわたくしでございました。マックはいつも牛乳であったため、これまでそのまずさを知らなかったわたくしでございます。
っと、飲み物の話に戻したく存じます。
よく学ぶ者とは、よく休む者でございます。
いくら好きなものでも、そればかりでは飽きてくるし、やはり効き目がなくなってしまうものでございます。
初めてコーヒーを飲んだとき、玉露を飲んだとき、いい紅茶を飲んだときを思い出してほしく存じます。
あれほど眠れなくなったのに、いまや陸に登ったカッパの如く、布団に入れば眠ってしまうものでございます。
これは、飲み物が悪くなったのでなく、わたくしたちに抵抗が付いたからでございます。
コーヒー紅茶緑茶ウーロン茶、ハーブティにジャスミンティ、わたくしたちは「カフェイン」のひと言で片付けておりますが、やはりそれぞれのお茶で違うものがあるのでございます。
コーヒーに慣れた人は、紅茶に変えれば、ほんの一杯でガグン!と覚醒するものでございます。
紅茶に慣れた人、そのほかのお茶に慣れた人も同様でございます。
休息の楽しみ方は、千差万別でございます。
とかくにお勉強は繰り返しが多く、単調になりがちでございます。
そんななか、休息のお茶の一杯は、変化をつけられる時間でございます。
気が向いたときなど、百貨店のお茶売り場などを覗いてみることでございます。
奥深く過ごす時間こそ、わたくしたちの疲労を抜いてくれるものでございます。

(さらに…)

サムタイムロープライス

論理的なことを考えたく思います。
資格試験のお勉強とは、難しいことではありません。数百ページもの論理を追う問題など、ひとつも出ないからでございます。まず、出しようがございません。
試験とは、正解を置かねばなりませんから、意図的に論理に過ちを加えたりしております。
ですから、少し不自然なのでございます。
問題を解くための着目点さえわかってしまえば、あとは演習量だけがものをいうのでございます。
試験問題では、ちょっとした違和感を大事にすべきでございます。
なんかちょっとおかしいなぁ、という選択肢は、えてして間違いになっているものでございます。
ちょっとしたことを気づくかどうか、そこに合否を争う1点、2点が落ちているのでございます。
受験勉強のため、論理的な能力を鍛えたいのでしたら、十分、日常の生活の範囲内で賄えるものでございます。
日常の小さな相違点を大切にすることでございます。
それは、論理的に違うことでしょ、と突っ込む生活をするということでございます。
世のいたるところで、ヘンな文言・行為は満ち溢れているものでございます。
たとえば結婚前の約束とか。
しかし、「人」がらみの論理矛盾は言ってはならないのでございます。姑になるからでございます。
あまで世の事象に鋭い突っ込みをいれるのを、身を損なわないためにも徹してほしく存じます。
茶々を入れるのは、あくまで世の事象であります。たとえば、「エブリデーロープライス」といった罪のない文句でございます。
「エブリデーとは、毎日ではないか。この店は「ときどき」安いではないか。毎日では断じてない!従ってバツである」と突っ込むものでございます。
「サムタイムロープライス、としなければいけないではないか!」というわけでございます。
カレー粉安いなと思っていたら、全然入荷しなくなったり、値段を上げだしたりして、とてもじゃないが、エブリデーではないと噴したときに、勉強の機会があるのでございます。
なんかちょっと違うよね、という日常の疑問を丁寧におさえるだけでも、十分な選択し吟味能力に繋がっていくのでございます。

(さらに…)

薄皮

美しさは皮一枚、と申します。
人間の美醜など、ほんの数ミリの差でしかないのでございます。
しかし、そのわずかなもので、男女ともども人生が変わり、好転し、破綻するものでございます。
世の中には、ほんの少しで大きな差を生むものでございます。
薄皮をむく、という表現がございます。
理解というものは思いますに、やはり薄皮一枚の世界なのでございます。
ほんのちょっとしたことで、一気に氷解するものなのでございます。
しかし、その「ほんのちょっと」にたどり着くには、けっこう時間やら手間を食うものなのでございます。
物覚えの悪い人を見ると、イライラしてしまいますが、知っている人には当然なのに、知らない人には待ったく皆目わからない、ピンと来ない世界が理解なのでございます。
知らない人、わからない人に、どれだけ多くの言を重ねても、「?」であり、何かの拍子で「なあんだ」となるものでございます。
せっかくの理解の努力も、大半は失われてしまうものでございます。
ちなみにわたくしは、多くの資格試験で完全な理解に至ったものはすくのうございます。
実のところ、しっかり理解したというより、「このくらいなら点が取れる」という程度の把握が多かったなと自問する次第でございます。
「過去問の調子からすれば、まあこの程度でよかろう」という塩梅でございます。
実際のところ、完全に理解するのは難しいので、最終的な本試験の日までは、点を落とさない程度に把握しておけばよい、という姿勢で臨んでおりました。
試験勉強というのは、中・長期の期間を取るものでございます。
科目のなか、学科のなかには、「薄皮」のような、ほぼ偶然に近い形で理解に到るものも多いのでございます。
ゆえに、そんなものに徒労に終わりうる努力をするよりも、自分のできることを着実にやっていこうとした次第でございます。
本試験まで、直前期までは、適当と申しますか「この程度」くらいでおさえていけばよいと存じます。
一生懸命やって理解にいたるものではないのが、この薄皮。
できる部分からおさえ、できる部分が増えてから、よくわからない箇所を攻めていくのでございます。

(さらに…)