独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

甘さに甘えない

独学では、間食を薦めるものでございます。別段、わたくしが甘いものが大好きだからというわけではございません。
独学で試験勉強を続けるときに大切なのは、楽しみだからでございます。
根を詰めて勉強しても、明日からイヤンになって机に向かうのを躊躇するようにでもなれば、平均すればトントンの勉強になるからでございます。
気合を入れてがんばった分、精神エネルギーの浪費でございます。
気合が入るのは全受験期間中、限られております。
これ!という佳境のときに気合を入れたいものでございます。普段のお勉強のときには、気合は要らないことでありましょう。
要は、独学ではいかにして長くお勉強を続けられるかに眼目を置くのでございます。
そのためにお菓子があるのでございます。
しかしながら、お菓子には厳密に守らねばならない鉄の掟があるのでございます。
それは小皿に盛ることでございます。
昨今のお菓子は、「食べ切り」サイズが多くなっているのでございます。そこはかとないボリュームなのでございます。
ついつい、食べてしまうのであります。ですから、ガチで太るのであります。真っ向勝負で太るのでございます。
お腹がポッコリしてきたら、それは間食太りでございます。酒の太り方とは違う太り方をするのであります。
クッキーなどは実にカロリーが高く、食べ切りサイズだからといって油断すると即、1日のカロリーは5,000kを越えてしまうのでございます。
食べ切りドーナツ、食べ切りカステラ、食べ切りあんころもちなどは実に危険でございます。
お菓子を袋のままから食べだすと、最後まで食べきってしまいます。これくらいなら、といってラストまで突っ走るのでございます。
ですから、小皿に盛って小分けしてしまうのでございます。
強制的に食べる量を減らしているわけでございます。
ついつい、あっという間に食べきってしまう昨今のお菓子事情を甘く見てはなりません。
体重計に驚いたわたくしでございます。

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アタマの掃除

テキストや問題集というのは、難しいものでございます。
これらは基本的に読むように作られておりません。
難解すぎるし、専門用語は多いし、文章は長いし、はっきりいえば落第点の日本語で書かれています。
しかしそれに付き合わないといけないのが、試験勉強というものでございます。
人間は環境の生き物と申します。
環境とは、衣食住だけではありません。空気や音やにおいや、周りの人がどんな人かで変わってくるものでございます。
旦那が暗いと、えてして奥さんもだんだん暗くなってきます。
奥さんが酒豪だと、飲めない旦那も飲みだすものでございます。
夫婦の好物も同じになってくると申します。あなたが脂っこいものや肉類が大好きなのも、実は配偶者の影響だったのですよ。
だんだん、互いに相似通ってくるものでございます。
夫婦も犬も似てくると申しますが、お互いに顔を付き合わせるため、やはり環境の生き物だと納得する次第でございます。
試験勉強は、テキストと問題集と、顔を毎日合わせるものでありますから、どうしてもこれらの影響を受けてしまうものでございます。
影響というのは、日本語が難渋になるのでございます。
だんだん、書くものや考え方がテキスト・問題集のような難解な日本語になってくるのでございます。
法律系の資格をお勉強の人のメールなどは、法律っぽい文章で愕然とするものでございます。
理屈っぽくなって、結論を先延ばしにするような話し方、書き方になったならアタマの大掃除をしなくてはならなくなります。
読みやすい「読み物」の出番でございます。
難しいのは程ほどにして、読みやすくて楽しいものを探しては読むことをオススメするものでございます。
推理作家の東野圭吾さんの小説は、さらさら読めて面白く、脳のお掃除にはもってこいでございます。
苦難だけが読むことではありません。すらすら読める日本語に時には接して、難渋になったアタマのメンテナンスでございます。

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ダメ本

読解力は、どういう本を読むかにかかっているものでございます。
読解力アップのための読書、というのもナンダかアレな読み方ではありますが、選ぶ本は選択せねばならないのでございます。
本当に、何十何百札を読破したところで何の足しにもならない本は、いくらでもございます。
やさしすぎる本、読者の媚びた本は、まず避けるべし、でございます。
ついで避けるのは、難しい本、難しい小説の類でございます。
大半の難しい本では、常識では考えられない日本語の世界が展開されており、とても読める代物ではございません。
哲学書などはまずいけません。パッと手にとって読み進めて2ページ目で挫折する本は、読まなくてよい本です。
哲学書というのは、こう考えていただければと存じます。理数系の技術書であると。
もし、カントやショウペンハウエルの書物に手が延びそうになったときは、「非平衡熱力学」のような本を読むのと同じ意識を持ってほしいのでございます。
まず理解できない、それか、理解したところで何の足しにもならない、理学書を読むのと同じというわけでございます。
また、翻訳された小説もひどいのがございます。特に岩波の文庫は悲惨でございます。
ドストエフスキーの訳など、クソ日本語過ぎて、読みようがありません。ドストエフスキーが生きていて、アレを読んだら「わたしはこんな風に書いた憶えはない」と絶叫するのではないかと思うわたくしでございます。ひどい。
ロシア語から日本語へのの訳は完全であろうとも、日本語として読めなければ意味がないわけであります。
逆に、日本語能力が落ちる、典型的なダメ本かと存じます。
そういう本群よりかは、だしのとり方100選、世界のチーズ、つまみ味紀行といったもののほうが、よっぽど人生を豊かにするものでございます。
難しいことをやればアタマがよくなるのではないのと同様、読書も難しい本を読めば読解力が上がるものでもございません。
逆に、読む力が落ちるのでは、と訝るものでございます。

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