独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

きおくの敵

記憶というのは、お勉強の永遠のテーマでございます。
とにかく憶えていかないと、お勉強はどうにも先に進まないからでございます。
記憶が厄介なのは、努力と比例しないことでございます。ランダムでございます。
たとえば、しっかりテキストを読み込めば、憶えるときもあります。しかし、憶えないときもあるのです。
同じ行為でも、よく憶えたり憶えなかったりするものでございます。
たとえば、1日に5個づつ憶えるといった、ノルマ方式の記憶方法がございます。
よい方法だと思います。憶えるべき全体を把握しています。自分の手に追える量に小分けをしています。
長く続けることができ無理なく憶えていけるでしょう。
しかし、このノルマ方式も続けることで飽きてきたり、また、過度なノルマ意識が生まれ始めると、重荷になってくるのでございます。
そうこうすると、ノルマ方式も完全によい記憶の方法とはいえなくなるのでございます。
ノルマ方式は、代表的な記憶の作業でございます。代表的な方法でさえ、よい面と悪い面がございます。
一長一短なのでございます。このことが、さらに記憶の方法論を難しくしているのでございます。
このときにはよいけど、あるときからは効かなくなる。この人に適しているかもしれないが、ある人には全く合わないというのは、往々にしてあるのでございます。
このように、どうすれば記憶力がよくなるかを考えるのは、効が薄いものでございます。
とはいえ、確実にいえることがございます。
記憶の方法は多種多様で決め手に欠きますが、記憶の障害となるものは断定できるのでございます。
間違いなく、記憶の障害になるものがございます。
焦りやイライラ、落ち着きのなさというのは、記憶の障害の最たるものでございます。
焦って用語や語句を憶えようとしても、イライラしながらテキストを読んでも、そわそわ問題演習をしても、まず憶えないことでしょう。
ですから、よく憶えようとするなら、多種多様の方法を追い求めるよりも、確実な障害を除いておくほうが、建設的なのでございます。
それでは、焦りやイライラの原因は何かということになります。多くは人間関係に由来するものではないかと考える次第でございます。
では、人間関係のイライラはどこからくるかというと、8割は自分が原因なのでございます。
類は友を呼ぶと申します。
性格の悪い人は、他の人をイライラさせているので、それが自分に返ってきているのでございます。
記憶の問題が根深いのは、実は、己の身の置きようや、心の有様、自分の仕事の進め方、仕事への心持ちといった、深い部分に繋がっているからでございます。
お坊さんや神父さん、牧師さんは、どえらい量の経典を暗記しておられます。
よく憶えていられるなあと感嘆するものでございます。
それだけの記憶を可能にしたのは、どんな宗教であれ、慈悲や安心(あんじん)、愛を説くからではないかと考える次第でございます。
だからこそ、心中にブレなく落ち着き、アタマに憶えたいことや憶えるべきことが入っていくのではないかと思うのでございます。
再度申しましょう、お勉強での記憶の敵は、焦りやイライラでございます。これらは人間関係に由来するものでございます。
その由来する人間関係の原因の8割は、自分に帰来するものでございます。
暗記の敵は、身の持ち様ともいえるのでございます。
記憶が難しいのではなく、記憶が可能となる状態に身を置くのが難しいのでございます。

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おそうじ論

いまやハンドクリーナーは、1,980円でございます。
黄色の化学雑巾のホコリサッサは、105円でございます。
ウェットティッシュも、100円ショップで買える時代でございます。
掃除道具は、実に値が下がりました。ですから、今以上に身のまわりをキレイにできるのでございます。
わたくしは、勉強や仕事、軽作業の前には軽く掃除をするものでございます。
台所で包丁を持つときも、ふきんを絞ったり、ざるを棚にしまったりと、軽く片づけをしてから調理に臨むものでございます。
少しの軽作業が、それ以後の本格的な作業を上手に運ぶのでございます。
フルコースの料理も同様の理がございます。
オードブルや前菜があったほうが、たくさん食べられるしおいしく頂けるというわけでございます。
お勉強も、お勉強前に掃除をすることで、すうっと勉強可能の姿勢になるのでございます。
本棚や机上のほこりを取ったり、スタンドのほこりを拭ったり、机の後ろに溜まった塵を取り除きます。
座布団をぱんぱんとたたいたり、勉強時に羽織る暖衣をはたくのもようございます。
5分も10分もかけずとも、結構でございます。3分未満でよいでしょう。
この短い時間の軽い掃除でも、違ってくることをご理解いただけるかと存じます。
倒産する会社は、例外なくトイレが汚いと申します。
良くない会社、取引先、勤め上げても報われない会社は、例外なく職場が乱雑でございます。
事故労災の多い現場は、例外なく整理が行き届いておりません。
強盗や殺人、痴漢といった不幸な事件が起こる家屋、マンションやアパートは、例外なくベランダが汚く、ゴミ捨て場はゴミでメチャクチャになっております。
掃除と勉強荷なんて関係がない、という方もおられるかと思います。
しかし、わたくしは十分な因果関係があるものと考える次第でございます。

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機縁をだいじに

機会というものは、「チャンスでございます」と包装されてはいないのでございます。
もっと漠然としたものでございます。油断をすると見過ごしてしまうものでございます。
何かをやろうと思っていたら、フト時間が空くことがございます。
その空いた時間というのは、そのときに意中のものをやってしまえということなのでございます。
何かをやろうと思っていたら、お食事のお誘いがあったり催しのあることを知ったり、一度は見たい聞きたい人が住んでいる町にやってくることがございます。
その楽しい出来事の出現は、その日までに意中のことをやってしまえということでございます。
逆もございます。
何かをしようと思っていても、なんだか時間が取れない。
やろうかなと思って取り掛かろうとすると、トラブルや事故、アクシデントが発生します。
取るに足らない雑用が重なったり、親しい人が発熱発病してお見舞いや看護に行かねばならなくなります。
そういうのは、別段、そのときにはやらなくてもよいことを示唆しているのでございます。
無理にやってもわからないだろうし、理解も少ないし、アタマに入っていかないものでございます。
臨機応変と申します。
この4文字熟語は、要領のよい人、澄ました奴、ちゃっかりしている人を指すだけではないのでございます。
機に臨んでどう変わるかを意味するこの熟語は、いいことが起きようとも、悪いことが起きようとも、それをどう利用するかを問いただしているのでございます。
いいことがあっても浮かれることなく、悪いことが起きても愚痴ることなく、その機会を上手に利用せよというわけでございます。
いいことは、結構、お勉強をサボるきっかけになったりします。
悪いことは、それ自体はそれほど深刻ではないのに、二次的なものに囚われてお勉強をダメにすることが多くございます。
起きたことは、それはそれで意味があるものでございます。また、起きてしまったことは仕方のないことでございます。
「あ、これがその機会じゃないかな」と気づくことは、日常生活にたくさんございます。
たとえばわたくしごとですが、スパイダソリティア(中級)が全くクリアできないことが綿々と続くと、当分はやらずに自分の大事な課題をやれということなのだな、と思うものでございます。
その機を、どう自分に引き寄せて活用するかなのでございます。

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