いまやハンドクリーナーは、1,980円でございます。
黄色の化学雑巾のホコリサッサは、105円でございます。
ウェットティッシュも、100円ショップで買える時代でございます。
掃除道具は、実に値が下がりました。ですから、今以上に身のまわりをキレイにできるのでございます。
わたくしは、勉強や仕事、軽作業の前には軽く掃除をするものでございます。
台所で包丁を持つときも、ふきんを絞ったり、ざるを棚にしまったりと、軽く片づけをしてから調理に臨むものでございます。
少しの軽作業が、それ以後の本格的な作業を上手に運ぶのでございます。
フルコースの料理も同様の理がございます。
オードブルや前菜があったほうが、たくさん食べられるしおいしく頂けるというわけでございます。
お勉強も、お勉強前に掃除をすることで、すうっと勉強可能の姿勢になるのでございます。
本棚や机上のほこりを取ったり、スタンドのほこりを拭ったり、机の後ろに溜まった塵を取り除きます。
座布団をぱんぱんとたたいたり、勉強時に羽織る暖衣をはたくのもようございます。
5分も10分もかけずとも、結構でございます。3分未満でよいでしょう。
この短い時間の軽い掃除でも、違ってくることをご理解いただけるかと存じます。
倒産する会社は、例外なくトイレが汚いと申します。
良くない会社、取引先、勤め上げても報われない会社は、例外なく職場が乱雑でございます。
事故労災の多い現場は、例外なく整理が行き届いておりません。
強盗や殺人、痴漢といった不幸な事件が起こる家屋、マンションやアパートは、例外なくベランダが汚く、ゴミ捨て場はゴミでメチャクチャになっております。
掃除と勉強荷なんて関係がない、という方もおられるかと思います。
しかし、わたくしは十分な因果関係があるものと考える次第でございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年1月9日 11:22 AM |
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機会というものは、「チャンスでございます」と包装されてはいないのでございます。
もっと漠然としたものでございます。油断をすると見過ごしてしまうものでございます。
何かをやろうと思っていたら、フト時間が空くことがございます。
その空いた時間というのは、そのときに意中のものをやってしまえということなのでございます。
何かをやろうと思っていたら、お食事のお誘いがあったり催しのあることを知ったり、一度は見たい聞きたい人が住んでいる町にやってくることがございます。
その楽しい出来事の出現は、その日までに意中のことをやってしまえということでございます。
逆もございます。
何かをしようと思っていても、なんだか時間が取れない。
やろうかなと思って取り掛かろうとすると、トラブルや事故、アクシデントが発生します。
取るに足らない雑用が重なったり、親しい人が発熱発病してお見舞いや看護に行かねばならなくなります。
そういうのは、別段、そのときにはやらなくてもよいことを示唆しているのでございます。
無理にやってもわからないだろうし、理解も少ないし、アタマに入っていかないものでございます。
臨機応変と申します。
この4文字熟語は、要領のよい人、澄ました奴、ちゃっかりしている人を指すだけではないのでございます。
機に臨んでどう変わるかを意味するこの熟語は、いいことが起きようとも、悪いことが起きようとも、それをどう利用するかを問いただしているのでございます。
いいことがあっても浮かれることなく、悪いことが起きても愚痴ることなく、その機会を上手に利用せよというわけでございます。
いいことは、結構、お勉強をサボるきっかけになったりします。
悪いことは、それ自体はそれほど深刻ではないのに、二次的なものに囚われてお勉強をダメにすることが多くございます。
起きたことは、それはそれで意味があるものでございます。また、起きてしまったことは仕方のないことでございます。
「あ、これがその機会じゃないかな」と気づくことは、日常生活にたくさんございます。
たとえばわたくしごとですが、スパイダソリティア(中級)が全くクリアできないことが綿々と続くと、当分はやらずに自分の大事な課題をやれということなのだな、と思うものでございます。
その機を、どう自分に引き寄せて活用するかなのでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年1月8日 11:09 AM |
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新年あけましておめでとうございます。
これからもはじまりです。皆様の一助になれば幸いでございます。
これから1年、宜しくお付き合いのほど、お願い致します。
さて、年始というわけで寺社仏閣に参拝してまいりました。
なにしろ、京都検定の勉強であちこちのお寺や神社に観光兼お参りをしましたので、参拝がスッカリなじんでしまいました。
さて、神社仏閣といえば、標語でございます。ところどころに、はっと考えさせる言葉が貼られているものでございます。
新年にちなんだ言葉に、「洗心」という言葉がございます。
昔から目にして知っているはずなのに、今年は妙にこの「洗心」が気になった次第でございます。
読んで本当にその通りだなあと思った次第でございます。
独学では、やる気が大切でございます。
しかし、このやる気は気づいたらなくなっているものでありまして、大概、3日でなくなるものでございます。ビールや菓子パン以下の期限しかもたないのでございます。
そして、やる気のなくなった部分に、何か他のものが入ってくるというわけでございます。
洗心という言葉は、こうした心のメカニズムをうまく言い当てていると考える次第でございます。
どんなに固く、やろう!と決意してもほおっておけば、埃にまみれゴミや何かで汚れていくものでございます。
部屋の隅を見てください。昨年の大掃除にもかかわらず、もう埃が溜まっていることでしょう。
ベッドの下、机の後ろ、本棚の背面、パソコン本体の中、キーボードの隙間にも、うっすらと埃は溜まってきたのではないかと存じます。
目に見えるところ、手で触れる物でさえ、もうすでに埃が付き始めております。いわんや、手にもできず目にすることもできない決意をやでございます。
やる気があると勉強はできます。
しかし、勉強をやり始めると決意の部分への配慮が薄れてしまうのでございます。
そうこうするうちに、決意は色褪せくすんでいくのでございます。
わたくしたちは、かつての輝きを取り戻さなければならないのでございます。
まあ、毎日毎日、やろうやろうと思うと、逆にプレッシャーですから、毎日やろうと思うのは直前期くらいにとどめおきましょう。
普段は週に1回は省みて、心中のよけいなものや要らないものを洗い流し、再び「やろう」と決意を固めたいものでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年1月7日 11:15 AM |
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