独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

やったからには

いったんやると決めたことでも、別にやめてもよいのでございます。
どこにも、決めたらやるべしなんてルールはないものでございます。
やろうと決心しても、5分後には考え直してもよいのでございます。
忙しくなるしなあと躊躇してもようございます。半年後からやるかあでも結構でございます。
また、やると決めてやってみるも、3日坊主で終わってもよいのでございます。
水に合わない、性に合わないということは、思った以上に多いもの。
3日やって終わることというのは、性格に合わないか、やっても仕方のないことなのでございます。
それか、「そのやり方ではだめである」「工夫の余地あり」「時期、未だ到らず」「準備不足」といった、おみくじによく見られる事情が控えているのでありましょう。
三日坊主は、天の神様のご配慮と考えればよろしかろうと存じます。
ボウズといえでも、できないことがわかっただけでも儲けでございます。
さて、やると決めて幸運か不幸にも、1週間から1ヶ月、続いてしまうことがございます。
こういった場合にのみ、やると決めたことはやっていかねばならないのでございます。
そのくらいの期間続けられたこと、できたこと自体が、最後までできる証拠なのでございます。
これまでの我が身を振り返ってほしく存じます。すぐにやらなくなったものは、数多いかと存じます。
わたくしのケースではおしゃれ。本当にめんどくさくて、ファッション雑誌などすぐに読まなくなったものでございます。みすぼらしくなければいいくらいが、わたくしにできる最大のおしゃれでありました。
おしゃれは1ヶ月も続きませんでしたが、お料理やお菓子研究はかれこれ10年以上のベテランになりました。
やはり、続くものは続くし、実になるし楽しいし、人生をよくするものでございます。
もし、無理しておしゃれを続けていれば、人格がひねくれたであろうと自問する次第でございます。本当に、シャレになりません。
ある程度続くことは、よい方へ向かう可能性を多く含むものでございます。
ですから、やれたなら最後までやってみよというわけでございます。

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ショックと付き合おう

お勉強で最もつらい経験とは何でありましょうか。
それは、それなりの努力をしたはずなのに、問題が全く解けないことでありましょう。
模試などで問題を解こうとするも、答えがひとつもわからない。それどころか問題文が読めない。解きようがない。鉛筆が動かない。解答用紙を埋めれない。解答用紙に書けたのは自分の名前のみ、といった塩梅でございます。
こうなるともう、針のムシロでございます。その時間は、何をしていたんだろう、、、おいらっていったいと。。。ぐるぐると無力感にさい悩まされることでありましょう。
とはいえ、わたくしはこういうショック体験を非常に評価するものでございます。
本試験でなかっただけで上出来でございます。本試験までのこうしたショック体験は、極上の経験であると考える次第でございます。
全く問題が解けず、青い顔になった人を見るにつけて、非常によい経験、たいへん得がたい教訓、これから40年は保つ体験ができたね、と申し上げたく思う次第でございます。
基本的に、人間とは大概のことに慣れてしまうものでございます。
お勉強の成績の悪さや問題の解けなさも、例外ではございません。
わたくしなどは、中2の2学期中間テストの数学で、12点という相当たる点数を(武勲)をあげたことがあるので、成績の悪さなど免疫がついているのでございます。
当時はショックを受けました。結構、解けたと感じ、手ごたえがあったのに12点でした。のび太君の気持ちがわかったものでございます。しかし、わたくしにはドラえもんはおりません。
今となっては、かつての12点経験が、どんな成績だろうと、どんな得点であろうと、平常心でいられる原点となっております。
平均が60点なのに40点なら、お、あと20点かあ〜と気楽に捉えられますし、60点なら、あともう少しやれば平均を超えるのうと思うことができます。最終的に、平均のちょい上になってたらいいんでしょ、という感すらもてるのでございます。
お勉強とは、目の前のテキストや問題集だけの世界ではございません。
心の内面に属するものもあるのでございます。
一度でもお勉強でショックを受けていると、お勉強がらみの大概のことは、受け流しが可能でございます。
ショックを恐れず、ようこそショックさん!くらいで、受け止めたいものでございます。
お勉強のショックなど、恋のそれに較べたら話になりません。

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腕振り体操効果報告−16

本日は恒例となりました、腕振り体操の研究でございます。最近では、この腕振りをしないと1日が始まらないわたくしでございます。
今週、この腕振り体操で気づいたことは、手のひらについてでございます。
お勉強では手を多用するものでございます。テキストに線を引いたり、何かを書き込んだりするためには、ペンを持たねばなりません。
もちろん、「手」の出番は、お勉強だけに限られません。
パソコンから車の運転、家事炊事まで、手の関わらない仕事というのは、そうないものかと存じます。
よくよく考えれば、手というのはこれほど酷使されながら、筋肉痛にもならず、非常にタフな器官であるとつくづく思うものでございます。
しかし、タフな器官であっても、酷使されているのは間違いないことでございます。
というのも、毎日腕振りをしていると、右の手の平の重みに気づくようになったのでございます。
日常ではほとんど意識できない重さなので、疲労感といってもよいでしょうか。
腕を前後に振ると、当然ながら血液が手の平の方へ溜まっていきます。そうすると、手の平の毛細血管の隅々節々にまで血液が行き渡るのでしょうか、普段では感じないものを手の平に感じるのでございます。
今週になって、なんとも手の平の疲労感を感じて、やはり手の平も疲れるのだなあと実感した次第でございます。
手の平の疲労に着目してみると、わたくしたちの生活では、ほとんど手の平に力が入っているものでございます。
ほとんど無意識に近いほど、気づいたら手の平にわずかな力が入ってございます。
布団に横たわったときでさえ、気づくと手の平を閉じようとする力が入ってございます。
やはり、力が入っているというのは、リラックスできていない証拠でありましょう。
そう考えたわたくしは、休憩のときなどは手の平の力を抜くように意識しだしたのでございます。
ときに、休んでも疲れが取れない、リラックスできないということがあるかと存じます。
休んでいるのに休めないのは、実につらいものでございます。
このような場合は、利き手の手の平に意識をしてほしく存じます。
そうすると微力ながら力が入っているのではないかと存じます。
手の平の力を抜くと、腕がだらんとしてきます。そして、だんだん肩と首、そして背中の力が抜けていくかと思います。
なかなか簡単なリラックス方法だなあと、最近、好んでやっているわたくしでございます。
短い時間しか休憩ができないときは、ぜひ、手の平に意識してリラックスをしてみるよう、ご提案する次第でございます。
なかなか、身体のいろいろなことがわかってくる腕振り体操でございます。

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