独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

合間

愛が育まれるのは、いったい何時なのでありましょう。
一緒にいるときでしょうか。それは、育まれるというよりかは、深まるというほうが適切かと存じます。
愛が育まれるのは、互いに離れているときでございます。
いつもべたべたするのもよいかと存じます。しかし、それだけでは、愛は育たないものでございます。
お見合いと自由恋愛では、どちらが離婚が多いかといいますと、意外なことに、後者の自由恋愛でございます。
これは、江戸時代のお話しでございますが、江戸の下町では、見合い結婚ではなく恋愛によって一緒になるのが主流でありました。
しかし、その分、離婚も多かったと申します。
逆に、お見合いの方がお互いがわからない分、間を取ります。
そのため遠慮して互いに労わりあうのか、婚姻関係が長続きするのでございます。
結婚で夫婦となるわけではなく、労わりあって夫婦になるのでございます。
愛とは育てない限り、長くは続かないのでございます。
この点に、恋と愛の大いなる幻想があるものと考える次第でございます。
さて、またまた、話の大転換となりますが、お勉強の間についてでございます。
独学では、基本的に持続を旨に勉強していきます。
3日坊主という言がございます。3日だけ、がんばりにがんばっても、意味はないという立場に立つものでございます。
3日だけやって、どれほどのものが身に付くか、疑問に思うものでございます。
3日だけがんばってそれ以降はお勉強をしなくなると、まず、その3日がんばったことも雲散霧消することでありましょう。
短期間だけがんばって効果があるのは、一夜漬けか直前期くらいでございます。
それ以外のときでは、継続を意識したお勉強にしなければいけないのでございます。
ですから、毎日、短い時間でも机の前に座ることを推奨しているのでございます。
しかし、ときに、お勉強から距離が生まれることもあるかと存じます。
やはり、人間ですから、飽きてしまいこともあることでしょう。
とはいえ、普通にコツコツやって勉強に空きが生まれることは、それほど気にすることはないかと思います。
一病息災といいますように、多少の間があったほうが、お勉強も長続きするものでございます。
実は、勉強と勉強の合間に進歩がございます。
これまで勉強したことは、この合間に整理・熟成されて、実力に転化するものでございます。
まじめな人ほど、お勉強の中断をくよくよなさいますが、そうでもない場合があることを、頭の片隅にでも置いていただければと存じます。
なお、単なるサボリでは、この現象がおきませんので、あしからずでございます。

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脳のざわめき

お仕事から帰ってきたり、買出しから戻ってきたあとでは、なかなかお勉強に取り掛かれないかと存じます。
勉強しなくちゃなあ、と思いつつ、だべったりごろっとしたり、パソコンの画面に見入っているのではないでしょうか。
なかなかお勉強モードに入れないときは、脳がざわめいているときでございます。
うにゃうにゃあとしているというか、むにゅむにゅうとしているというか、なかなか考えがまとまらなかったり、なんともスッキリしない混沌とした状態を、脳のざわめきと申します。
こうしたときには、お勉強を無理強いしても、それほど効果がありません。
頭がざわざわめいていれば、なかなか眼前のことに集中できないものでございます。
この頭のざわざわは、脳が情報を処理しているものとお考えくださればと存じます。
どういうことかというと、人間というのは外界の情報を全て脳に入れざるを得ない生き物なのでございます。
広告やチラシの類、道行く人の顔や姿かたち、ショーケースのなかのものまで、すべてがすべて、いったんは脳に送られて処理されていくのでございます。
たとえば、配偶者の携帯をうっかり見てしまっても、見なかったことにはできないものでございます。
ハートマークの付いているために、目に飛び込んできたメールを忘れることはできないものでございます。
また、聞かなかったことにすることも、同様にできないものでございます。
太ったねといわれることは、剣道7段であってもなかなか受け流しができないものでございます。
このように、5感で感知したものは全ていったん脳に送られて、取捨選択されて処理されていくというわけでございます。
ですから、勉強前にどれだけ外界からの情報があったかで、処理に要する時間も変わってきます。
たとえば、新生活が始まるとぐったり疲れてしまい、帰ったら寝るだけというのも、脳が新しい外界の情報をフルに処理しているがため、と考えられるのでございます。
情報量が多ければそれだけ、お勉強できる状態までに移行する時間が変わってくるものでございます。
わたくしの場合は、車や原付で外出したときは、帰宅後、しばらくは頭がざわついております。
やはり、安全運転を心がけているので、自分の思う以上に神経を使っているのでありましょう。
こうしたときは、無理をせず、雑用や普段しないことをして、頭をリフレッシュするように心がけております。
頭がざわついているのは、情報過多で処理が遅れているものと考えております。
ですから、違う情報に接することで、脳内の情報処理を変えてしまおうというわけでございます。
無理をすれば必ず道理が引っ込みます。
無理強いは、手軽な手段である反面、害も多くございます。
お勉強でいうなら、お勉強の間が空いたり、試験勉強の放棄に繋がりも致します。
もう若くはないのですから、理を踏まえたお勉強に臨んでほしく存じます。そちらのほうが、負担も軽く、やりやすいかと存じます。
少しの工夫でお勉強が変わるものでございますよ。

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裏に理あり

わたくしは、現状こそがベストであると考える次第でございます。
ベストといってもそれは、自分にとって最高の状態を意味するものではありません。恋愛も仕事も家庭も、全てうはうは!というわけではないのでございます。
なるべくしてそうなった、ベストの帰結という意味で使っているのでございます。
産地の偽装やら使いまわしで総スカンを食らっている食べ物屋「船場吉兆」がございます。
1回の食事が5万〜8万という価格でありながら、なんたる不善であろうか、というのが、そのバッシングの根拠でございます。
しかしながら、わたくしは、先ほどもいいましたように、なるべくしてなったと考える次第でございます。
もし、3,000円程度のお値段であれば、絶対にこのような事件は起きなかったのでございます。
おそらく、1万円までも、起きなかったことでしょう。
なぜなら、自腹を切って食べに来る人は、真剣に料理と演出、食器等を楽しむからでございます。
しかし、吉兆ではそうではなかった。吉兆に来る客層は、ほとんどが社用費族・交際費族であったと申します。
いや、会社の金でなければ、到底いけないことでしょう。
おそらくは、料理を出してもほとんど手につけなかったことでしょうし、食器を省みるよりは、商談・政談、密談に花が咲いたことでしょう。
一連の不祥事は、あの法外ともいえるお料理代であったからこそ、発生したのでございます。
接待費は経費で落ちるからでございます。
船場吉兆に行く人の大半が求めたのは、領収書という法外な金額が書き込まれた紙切れを求めたのでございます。
経費・損金の証たる1枚の紙切れが、船場吉兆の真の『売り物』であったのでございます。
そういう世界であれば、常識的に使いまわしもしますし、食器もよい物は使いません。お土産の偽装も当然でございます。
なぜなら、領収書目当ての客が大半だからでございます。料亭でありながら、誰も味わわず、楽しまず、見ようともしない食べ物屋。
当然、接待で飲み食いしたことにして領収書を発行し、いくらかのキックバックもあったことでしょう。
料亭側・客側にとっても、手間要らずのよいアルバイトがあって、何の不思議がありましょう。
ま、何かにうるさい人もいるでしょうが、そうした人だけ個別的に対応すればいいこと。
使いまわしも産地偽装も、なるべくしてなった、おそらくは、当事者にとっては、そうするのが最も合理的であったと考える次第でございます。
さて、ここからお勉強に繋げるのも、無理がありますが、言っておきましょう。
自分の出来ない、わからない、憶えられないの裏には、そうなるべくしてなる理(ことわり)がございます。
現状の問題が解決しないからといって、頭を抱えて悩まないことでございます。何らかの因果があり、その因果を変えれば変化が生じるものでございます。
ふと立ち止まって、どうしてこうなるのか、隠れている理をお考えくださればと存じます。

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