ケーキやピザは、丸ごと食べられるでしょうか。
数十センチはある、あの円周の物体を徒手空拳で、手づかみでわしわしと食べるのも、まあ、ひとつの夢ではあるかと存じます。
手の平をクリームで、バターで、油で、チーズでべとべとにするのも、結構なことではございます。
しかし、ほとんどの人は、ナイフとフォークで切り分けて、御相伴いただくかと存じます。
正直な話、やってみればわかりますが、丸ごと食べるのはきゅうりか林檎くらいが関の山でございます。
いや、「食べれられる」のは、野菜か果物まででありまして、ケーキやタルト、ピザやBIGポテチ、食パン一斤などは、取り分けないとおいしくいただけないのでございます。
欲張って丸ごと食べようとしても、15分後には、飽満感と嫌なゲップが出るばかりでございます。
基本的に、口と胃袋は限られたものなのでありますから、小分けして少しづつ食べたほうが、味わい・消化ともによろしいのでございます。
さて、お勉強も同様でありまして、勉強内容を分けて細分化することが大切でございます。
あたかも、ケーキ丸ごとに食い付くかのように、お勉強をしていないかを、御省察くださればと存じます。
難しいこと、わからないこと、理解できないところを、通常のお勉強のペースで進めていないかということでございます。
調子をゆっくり目に変えるだけで、問題の解決が見えるかもしれないのに、なぜか、愚直に「1日○ページのノルマだから」といって、悪戦苦闘をしておられる方がいるかと存じます。
うまくいっていないときは、学習量や進める速さを減らしてやっていけばよいのでございます。
たとえば、テキストの難しいところであれば、1ページ、半ページづつ読み進めます。
それでもわからなければ、もっと量を減らして、5行、10行づつ、細かいところまで意を払って読み進めます。
それでも、それもでわからなければ、10文字づつなら、読み進めることができるでしょう。
しかも、掘り込まんばかりに、時間をかけて文字を追っていけば、理解に至る可能性も高くなります。
どんな長ったらしい文章でも数文字ずつなら、読み進めることができるもの。
わたくしたちは、一時に多くはできなくても、少しを何回もすることならできるのでございます。
手に負えないことは、しっかり取り分けて、自分の力量の範囲内からの解消を目指すのが賢明かと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年7月2日 8:47 AM |
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見(けん)から入るとは、よく言ったものでございます。
これに当てはまらないことはないのではないかと思います。
グダグダとあれこれ人に指図するよりかは、自分でやって見せることでございます。
やってみて、言って聞かせてさせてみて、褒めてやらねば人は動かじ、と申します。
人の指導においては、最初に自分でやって見せるのが一番、効用があるのでございます。
それほど、「見る」ということはお勉強になるのでございます。
お勉強というのは、頭のみの作業を思っている人がおられるかと思いますが、それは、考え違いというものでございます。
意外に、目やら指先やら、肩やら首の状態で、お勉強は影響を受けるものでございます。
目が疲れていたら、途端にお勉強の能率は落ち込みますし、肩や首が張っていれば目の前のことに集中できなくなるものでございます。
お勉強=頭、という固定的な考え方を、少しは緩めていただきたく存じます。
お勉強は、頭からわしわし理解しようとせずに、「見」から入っていってもよいのでございます。
見ていくうちに、3割から4割のことはわかってくる、というのが独学のセオリーでございます。
最初は大雑把に見るだけでも結構でございます。
テキストを見て、わからないことがあってもひたすら先に進みます。
わからないこと、疑問に思ったところはチェックをするだけに止めておきます。深追いはしません。
ざっざっざと、見ていって多少でも理解の見当が付けば、内容を深く見ていけばよいのでございます。
「こんな適当なやり方でいいのか」と悩まないことがポイントです。
細かいところができてなくても、後でやればいいのですから、先送りする気持ちで勉強に臨んでください。
ちなみに、わたし自身の個人的な経験からいいますと、最初から仕上げようとした勉強は途中で必ず詰まったものでございます。
そのときは、いくら完全に仕上げてもどんどん忘れたものです。
ぶっちゃけいうと、学習の序盤はしっかりやろうが適当にやろうが、そう変わらないというのが実感でございます。
ならば、「見」のレベルでやっていってもいいではないか、というわけでございます。
本格的に取り組むのは、試験全体を把握した後でも遅くありません。
安心して適当に大雑把に「見」から、お始め下さればと存じます。
隣で寝ている人も、最初はじろじろと陰から穿ち見て物色したでしょ、と忖度する次第でございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年7月1日 9:18 AM |
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お勉強で気づいたことは、まめにメモを取っておくべきでございます。
テキストを読んだり、問題集を解いているときには、いくつかの発見が必ずございます。
たとえば、「このページは何度も読まないといけないな」とか、「要復習である」、「テキストのこの部分は徹底しないと」「この章は全く理解できていない」「問題No25からNo45はもう一度やる必要がある」「このページは丸暗記だ」といった塩梅でございます。
こうしたことを、理想をいうなら、すぐに消化したいものでございます。
しかしながら、すぐには時間がとれず、なかなか手が付けられないものでございます。
ですから、メモにとって忘れないようにしておくのでございます。
メモに取っておくだけで、かなりの忘却を防ぐことができるのでございます。
人間の記憶はもろいもので、記憶だけを頼りにするのは危険でございます。
であるからこそ、有史以来、人類は紙と文字、そして、記録を続けてきたのでございます。
わたくしたちも、メモの威力を十分に享受すべきなのでございます。
買い物メモなど、まさに英知の塊でございます。
牛乳の安い店に買出しに行って、お目当ての牛乳を買うことなく帰ってくることは多々ございます。
クリーニングを取りに行って、なぜか焼酎を買って帰ってくることもございます。
こおしたことは、メモ一枚あれば済む話のこと。
メモの労力と買い忘れを比べたら、圧倒的に後者のほうが大きいものでございます。
確かに、何かをメモするのはめんどくさい話ですが、それをしないとそれ以上の巨大な労力が横たわっているのでございます。
ですから、メモは面々と続いてきた人特有の動作なのでございます。犬猫の畜生どもには真似できまい!
漠然とお勉強するのはしんどいものでございます。
メモひとつに、自分のすべきことを書き付けておれば、何かとお勉強の指針や目標になるものでございます。
メモがあれば、日々のお勉強から日常的な作業、お仕事までの負担が軽くなることを、ご実感いただければと存じます。
倦んだ生活も、「労わろう」と何かに書き付けておけば、変化があるかと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年6月30日 9:50 AM |
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