| カテゴリー: 過去のススメ |
見(けん)から入るとは、よく言ったものでございます。
これに当てはまらないことはないのではないかと思います。
グダグダとあれこれ人に指図するよりかは、自分でやって見せることでございます。
やってみて、言って聞かせてさせてみて、褒めてやらねば人は動かじ、と申します。
人の指導においては、最初に自分でやって見せるのが一番、効用があるのでございます。
それほど、「見る」ということはお勉強になるのでございます。
お勉強というのは、頭のみの作業を思っている人がおられるかと思いますが、それは、考え違いというものでございます。
意外に、目やら指先やら、肩やら首の状態で、お勉強は影響を受けるものでございます。
目が疲れていたら、途端にお勉強の能率は落ち込みますし、肩や首が張っていれば目の前のことに集中できなくなるものでございます。
お勉強=頭、という固定的な考え方を、少しは緩めていただきたく存じます。
お勉強は、頭からわしわし理解しようとせずに、「見」から入っていってもよいのでございます。
見ていくうちに、3割から4割のことはわかってくる、というのが独学のセオリーでございます。
最初は大雑把に見るだけでも結構でございます。
テキストを見て、わからないことがあってもひたすら先に進みます。
わからないこと、疑問に思ったところはチェックをするだけに止めておきます。深追いはしません。
ざっざっざと、見ていって多少でも理解の見当が付けば、内容を深く見ていけばよいのでございます。
「こんな適当なやり方でいいのか」と悩まないことがポイントです。
細かいところができてなくても、後でやればいいのですから、先送りする気持ちで勉強に臨んでください。
ちなみに、わたし自身の個人的な経験からいいますと、最初から仕上げようとした勉強は途中で必ず詰まったものでございます。
そのときは、いくら完全に仕上げてもどんどん忘れたものです。
ぶっちゃけいうと、学習の序盤はしっかりやろうが適当にやろうが、そう変わらないというのが実感でございます。
ならば、「見」のレベルでやっていってもいいではないか、というわけでございます。
本格的に取り組むのは、試験全体を把握した後でも遅くありません。
安心して適当に大雑把に「見」から、お始め下さればと存じます。
隣で寝ている人も、最初はじろじろと陰から穿ち見て物色したでしょ、と忖度する次第でございます。
見ることから
2008年7月1日 9:18 AM
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