さあ、はじめようと思っても、そうは行かないのが人の世の習いでございます。
お勉強においても、やろうと思っただけで、急にテキストや問題集などを読んだり解いたりできるものではありません。
わたくしたちの実力というのは、完成に向けて徐々に育っていくのでございます。
さあやるぞ!さあできないと!と考えるのは、早急過ぎる話でございます。
だんだん、できるようになっていくのが、お勉強の実力というものでございます。
ですから、お勉強序盤でやるべきことは、ひたすらな学習よりも、お勉強に取り掛かるための計画を立てることでございます。
本格的なものでなくても結構でございます。
あの日までには、こーしてあーしていこう、と考えておくのが、本学習の前作業でございます。
今週までには、1章を終わらせておこう。そのためには、1日あたり○ページ程度は進めないといけないな、などといった見当をつけてから、ばりばりとお勉強に着手するのでございます。
もちろん、学習計画を立てても、不完全なもので終わります。
時間の齟齬やカリキュラムの配分ミスもあっておかしなことはありません。
たくさんの時間を取らねば到底できない単元なのに、短めの時間しか見ておらず理解に苦しむといった、多くの問題が噴出することでしょう。
しかし、それでも、計画なしの暗夜航路で進むより、不完全な計画であっても見通しや見当をつけて進む方が効率的なのでございます。
新章に入るなど、お勉強にある程度の区切りが付いたときでも同様でございます。
まずは、ざっと何をどうこうするかを調べて、見通しを立てておくことでございます。
こうした見通しや見当をつける作業は、無駄のように、徒労のように見えますが、さにあらずでございます。
やる気というのは、恋のように華やいで見えても、あっという間に燃え尽きる、束の間の夢話なのでございます。
元気があるときは、見知らぬ道でも気にならず、どんどん歩いていけますが、疲れたときなどは、知っている道ですら億劫でございます。
やる気というのは、すぐに燃え上がって、明日か遅くてもあさってには、いまの燃えるようなやる気など灰となっているのでございます。
目先のやる気に引きずられてお勉強を進めていくと、あっという間にやる気は消え去り、途端にお勉強がやりにくく、したくなくなるのでございます。
多少でも先の見当が付いていれば、やる気が落ち込んだときでも、お勉強に着手することが可能でございます。
お勉強は、やる気やる気といいますが、すべてではないことをご理解いただければと存じます。
やる気だけでは、お勉強は続かないのでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年7月3日 10:50 AM |
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ケーキやピザは、丸ごと食べられるでしょうか。
数十センチはある、あの円周の物体を徒手空拳で、手づかみでわしわしと食べるのも、まあ、ひとつの夢ではあるかと存じます。
手の平をクリームで、バターで、油で、チーズでべとべとにするのも、結構なことではございます。
しかし、ほとんどの人は、ナイフとフォークで切り分けて、御相伴いただくかと存じます。
正直な話、やってみればわかりますが、丸ごと食べるのはきゅうりか林檎くらいが関の山でございます。
いや、「食べれられる」のは、野菜か果物まででありまして、ケーキやタルト、ピザやBIGポテチ、食パン一斤などは、取り分けないとおいしくいただけないのでございます。
欲張って丸ごと食べようとしても、15分後には、飽満感と嫌なゲップが出るばかりでございます。
基本的に、口と胃袋は限られたものなのでありますから、小分けして少しづつ食べたほうが、味わい・消化ともによろしいのでございます。
さて、お勉強も同様でありまして、勉強内容を分けて細分化することが大切でございます。
あたかも、ケーキ丸ごとに食い付くかのように、お勉強をしていないかを、御省察くださればと存じます。
難しいこと、わからないこと、理解できないところを、通常のお勉強のペースで進めていないかということでございます。
調子をゆっくり目に変えるだけで、問題の解決が見えるかもしれないのに、なぜか、愚直に「1日○ページのノルマだから」といって、悪戦苦闘をしておられる方がいるかと存じます。
うまくいっていないときは、学習量や進める速さを減らしてやっていけばよいのでございます。
たとえば、テキストの難しいところであれば、1ページ、半ページづつ読み進めます。
それでもわからなければ、もっと量を減らして、5行、10行づつ、細かいところまで意を払って読み進めます。
それでも、それもでわからなければ、10文字づつなら、読み進めることができるでしょう。
しかも、掘り込まんばかりに、時間をかけて文字を追っていけば、理解に至る可能性も高くなります。
どんな長ったらしい文章でも数文字ずつなら、読み進めることができるもの。
わたくしたちは、一時に多くはできなくても、少しを何回もすることならできるのでございます。
手に負えないことは、しっかり取り分けて、自分の力量の範囲内からの解消を目指すのが賢明かと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年7月2日 8:47 AM |
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見(けん)から入るとは、よく言ったものでございます。
これに当てはまらないことはないのではないかと思います。
グダグダとあれこれ人に指図するよりかは、自分でやって見せることでございます。
やってみて、言って聞かせてさせてみて、褒めてやらねば人は動かじ、と申します。
人の指導においては、最初に自分でやって見せるのが一番、効用があるのでございます。
それほど、「見る」ということはお勉強になるのでございます。
お勉強というのは、頭のみの作業を思っている人がおられるかと思いますが、それは、考え違いというものでございます。
意外に、目やら指先やら、肩やら首の状態で、お勉強は影響を受けるものでございます。
目が疲れていたら、途端にお勉強の能率は落ち込みますし、肩や首が張っていれば目の前のことに集中できなくなるものでございます。
お勉強=頭、という固定的な考え方を、少しは緩めていただきたく存じます。
お勉強は、頭からわしわし理解しようとせずに、「見」から入っていってもよいのでございます。
見ていくうちに、3割から4割のことはわかってくる、というのが独学のセオリーでございます。
最初は大雑把に見るだけでも結構でございます。
テキストを見て、わからないことがあってもひたすら先に進みます。
わからないこと、疑問に思ったところはチェックをするだけに止めておきます。深追いはしません。
ざっざっざと、見ていって多少でも理解の見当が付けば、内容を深く見ていけばよいのでございます。
「こんな適当なやり方でいいのか」と悩まないことがポイントです。
細かいところができてなくても、後でやればいいのですから、先送りする気持ちで勉強に臨んでください。
ちなみに、わたし自身の個人的な経験からいいますと、最初から仕上げようとした勉強は途中で必ず詰まったものでございます。
そのときは、いくら完全に仕上げてもどんどん忘れたものです。
ぶっちゃけいうと、学習の序盤はしっかりやろうが適当にやろうが、そう変わらないというのが実感でございます。
ならば、「見」のレベルでやっていってもいいではないか、というわけでございます。
本格的に取り組むのは、試験全体を把握した後でも遅くありません。
安心して適当に大雑把に「見」から、お始め下さればと存じます。
隣で寝ている人も、最初はじろじろと陰から穿ち見て物色したでしょ、と忖度する次第でございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年7月1日 9:18 AM |
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