お勉強に必要なのは、やる気と根気でございます。
やろうという気がなければ、テキストは1ページも続きませんし、根気がなければ、お勉強が続いていきません。
常日頃から、このふたつの気を維持、または、阻害する邪魔物を除かれるよう、ご助言いたします。
さて、このふたつの気のもとになっているのが元気でございます。平たくいうなら、体調の良さでございます。
どんなに意欲に満ち溢れていても、ぐったりしていれば、お勉強は進みません。
頭でやろうと考えていても、身体がついていかなければ、お勉強は捗りません。
皆様にご理解いただきたいのは、体調管理と健康の維持も、お勉強の重要な一部であるということでございます。
ぶっ倒れるまでお勉強に臨んでもようございます。しかしながら、そのような勉強スタイルだと、何かあったときにすぐに挫折へと駒が進みます。
ぶっ倒れるまでがんばるのは、直前期の短い間だけにしておきましょう。本試験ぎりぎりまでがんばって、あとは倒れればよいのですから。
しかし、そんな「倒れて後止まん」勉強は、その他の長い試験勉強の間では、挫折に繋がる脆い勉強方法です。
お勉強とは長丁場になりますから、健康と体調の管理は重要な要素なのでございます。
暑い最中でございます。くれぐれも、「若かったとき」のような真似は、やめていただきたく存じます。
とはいえ、健康大好き人間やスポーツマンになろうと、考えないでほしいのでございます。
基本的にお勉強には、42kmを走るスタミナや100kgのバーベルを持ち上げる筋力は要りません。
秘薬秘伝の薬や最新科学に基づいたスポーツ器具や理論は必要はありません。ハリウッドと名のついた飲み物や用具も、軍隊式トレーニング理論もいりません。
必要なのは、姿勢維持の背筋と腹筋、そして、根本的な体力です。
なんだかお勉強が捗らない、やる気が出ない、机の前で集中できないとなったときは、身体面での衰えが考えられるのでございます。
お勉強の場所を変えると、急に集中できたりテキストに没頭できたりしますが、それはやはり、自宅の部屋に比べれば、幾分か外の環境に刺激を受けて、身体の各箇所が活発に動いているからといえましょう。
腕振り体操の利点については、これまで何度も述べてまいりました。
今回は、腕振りが背筋の刺激になっていることを述べたく思います。
腕振りをするとすっきりするのは、もちろんのこと、日本人が一番凝りやすい首と肩の筋肉がほぐれるからですが、身体の大きな部分を占める背筋への血流が増加するからと考えるようになりました。
というのも、勢いよくぶんぶんと腕を前と後ろに振ると、背筋が良く動いていることに気づいたからでございます。
普段使っていない背筋部分によく血が巡るのが、腕振りの健康効果を支えているのではないかと考えたわけでございます。
その発見から、背筋を意識して腕を振っておりますが、なかなかによいものがございます。
というのも、背筋を鍛えるのはめんどくさく、海老反りになったりボートを漕ぐ器具が要ったりするのでございます。
意外にぶんぶんと腕を振るだけで、鍛えるとまではできませんが、衰えの予防、良い刺激、リフレッシュ効果、血流増加の新陳代謝上昇を実感できるかと思います。
背筋に刺激が増えるのか、姿勢も自然とよくなってまいります。
腕振りには背筋への刺激になることを、記憶の片隅に止めておいて下さればと存じます。
お勉強に詰まったときに、良き気晴らしになるかと^^
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年8月8日 10:06 AM |
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本日のお話は、多少坊主めいたことになりますが、ご了承頂ければと存じます。
恐怖心とは荷厄介なものでございます。
ほっておけばどんどん大きくなるので、ある程度になれば、手をかけねばなりません。
とりあえずは、その現実可能性を考慮することでございます。
1月に1回は、ぞっとする事件が起きますが、確率的にわたくしたちの身の回りに起きる可能性は大変低くなっております。
そうそうのことがない限り、事件の現場には立ち会わないものでございます。
わたくしは1億2000で、確率を考えるようにしております。
ある事件で10人の方が不幸に見舞われたとしたら、そうした事件に我が身が巻き込まれる可能性は、10/120,000,000でございます。
起こりません。また、我が身に家族を加えて、その数字をかけてみます。それでも、50/120,000,000。240万分の1でございます。これまた、まず起こりえません。
基本的に、突発的な事件に巻き込まれるのは、運としかいいようがありませんので、あれこれ不安に思っても仕方がないのでございます。
そう考えれば、なるようにしかならないのでありますから、仏教の精神といいますか、大きな流れに身を委ねたほうが懸命な生き方であると考えるのでございます。
お勉強においても、あまりくよくよ深く考えないことでございます。
問題集を『久しぶり』に解いてみて、全然できなくなっているのは自然の理でございます。とはいえ、もう一度やり直せば、ごく短期間で元に戻るものでございます。
できなくなったと右往左往するのが無駄なのでございます。
憶えたことがぼろぼろになっていても、もう一度、憶えなおせばよいことでございます。
何回も憶え直したものの方が、実は、本試験では強固な記憶となってよみがえります。忘れたことも、それほど気に病むこともないのでございます。
散歩や移動途中、トイレや定型的な家事の合間に、こつこつと憶えていけばよい話でございます。
おそるるべきは、不安や恐怖のとりことなって、目の前のお勉強が滞ることでございます。
こちらのほうが、実害のあることをしっかり把握していただきたく存じます。
基本的に、しっかりと努力を積み上げた人は、途中でいざこざや紆余曲折があっても、無事合格するものでございます。
早々に悪いことは起きませんし、大体、起きるときはその前兆なり予兆なりがございます。
あら?!っと思ったら、それ以後、気をつければよいだけの話でございます。
そうなるまでは、1日1日、目の前のことを勤めていけばよいのでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年8月7日 8:53 AM |
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基本的に、お勉強とは退屈なものでございます。
ほんの時々にしか、楽しみや喜びがありません。
試験勉強の多くは頭の痛い問題で占められ、テキストは難解な語句で彩られております。
そのほかに、忘却との戦いややる気の維持といった困難な問題もございます。
まあ、お勉強の大体は、めんどくさくて嫌なものなのでございます。
しかし、どんな退屈な作業でも、どれだけ苦労する作業であっても、快感はあるものでございます。
皿洗いでも、さっさと洗って短時間で流しが整理されれば、それだけで気持ちのよいものがございます。
連絡や指示がピシッとはまって、業務が円滑に動いたときは、快感がこみ上げてくるものでございます。
基本的に、どんな作業であっても、はかどることを経験すれば、楽しくなる要素・苦痛が少なくなるやり方を見出すようになるのでございます。
はかどりというのは、別段、主観的な思い込みでも構いません。
ばりばりテキストを読んで、問題集を解いて、(ああ、今日はここまで進んだ!)と感慨にふけるのもようございます。
それだけで、明日の活力が生まれることでしょう。
しかし、客観的な「時間」という要素を含めると余計にがんばることができるのでございます。
たとえば、テキストの読解や問題演習の時間を計るのが代表例でございます。
なぜ、マラソンや短距離走にタイムがあるかというと、単にタイムがないとまじめに走れないからでございます。
「時間」という括りがあるからこそ、陸上選手はあのような単調な肉体作業に一生懸命になるのでございます。時間は関係ないから走ってみよ、といわれても、それが1年も続けば誰も走らなくなるでしょう。
お勉強も同様でございまして、時間という客観的ものさしを持ち込んでみると、意外に燃えるのでございます。
過去問1年分を30分で解ききってみるとか、テキストを1時間でどこまで読めるか試してみるなどして、時間制限の面白さがわかるかと存じます。
時間の括りがあると、もっと早くやろう、同じ時間でももっとたくさんやろうといった効率化にも、意識が働くようになります。
お勉強の進みが速くなれば、その分、同じ時間でたくさんのことを上手に運べるようになります。
5時間、6時間、果てには1日に10時間もお勉強ができるという人は、はかどりの面白さと気持ちよさを味わっているからこそ、ここまで続けられるのでございます。
別段、常人より忍耐力が優れているわけではないのでございます。方法の違いでございます。
ま、あまりにも時間を意識しすぎると消耗してしまうので、多様は禁物でございますが、時間意識こそはかどりを味わうのに手短な入門かと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年8月6日 11:49 AM |
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