独学というのは、問題演習を重視した勉強方法でございます。
なぜかといいますと、まず、演習したことは記憶に残り易いことが挙げられます。そのほか、理解が進む、問われ方がわかる、解き方が蓄積される、知識が整理されるといったメリットを挙げることができましょう。
とはいえ、もっと根源的な理由がございます。
それは、問題演習は眠くならないという点でございます。
問題集と格闘したり、過去問と死闘を繰り広げているときは、意外に眠たくならないものでございます。
よっぽどお疲れでない限り、問題演習をしていくと、眠気が取れ、頭が覚醒していくかと存じます。
問題演習は脳の使用量が多いため、血流も増加するからでありましょう、目が冴えてくるのでございます。
ですから、夜遅くの問題演習は生活のリズムを崩す元になりかねないのでございます。
ようやく暑さも和らぎ、朝晩が過ごしやすくなる折でございます。夜更かしの罠が現れ始めるので、御警鐘をばと存じます。
さて、お勉強のうち、問題演習は眠たくなりませんが、これとは逆に、眠たくなる作業もございます。
代表的なものは、テキストの読解や暗記・記憶の作業でございます。
テキストの字面を淡々と読み進めていたり、頻出の表やリスト、定義や要件を頭に入れようと必死こいているときは、光速で眠たくなるものでございます。
本当に、あっという間でございまして、最も布団に近い作業なのでございます。
お勉強には、眠たくなる作業と眠たくならない作業のふたつがあることをご理解頂ければと存じます。
もし、生活のリズムが崩れ、夜型・夜更かし型になっている場合は、夜遅くなってからの問題演習は控えて、暗記や記憶にいそしむとよいでしょう。
すうっと気持ちよく眠れるかと存じます。枕元の目覚まし時計を見てはひやひやしなくてもよくなるのでございます。
また、頭が冴えているときには、テキストの読解に手を付けて眠たくなるよりかは、問題演習をしてお勉強を進めるのがよろしいかと存じます。
せっかく頭がいい状態なのですから、フルに利用しなければなりません。覚醒しきった頭をクールダウンするために、暗記や記憶、テキストの読みをしていくとよいでしょう。
ちょっと眠たいときには、問題演習で勢いをつけて、今日の日課をこなしていけばよいかと思います。
眠いのを我慢して、お勉強をしなければならないときもありましょう。
しかし、お勉強の眠さの性質をよく利用すれば、眠さを我慢する苦学の数も減るかと存じます。
作業ごとの性質を把握して、日課メニュウのお考えくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年8月20日 10:42 AM |
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やらなねばならない事や物、やりたい事ややってみたい事は、多数に上るものでございます。
考え出すと、あまりに多くて目が回りそうでございます。
とはいえ、無闇矢鱈に手を付けていっても、効率は良くないものでございます。
優先順位をつけて手を付けて行かないと、やる気と熱意は空回りをするものでございます。
もったいない話でございます。
しかし、やるべき順位を付したとはいえ、やるべきかどうか、迷ったり躊躇したりするかと存じます。
やるか否かに迷うときは、全くの正反対の意見をぶつけてみることでございます。
たとえば、何でこんなことをやらないといけないのか?!と、不満タラタラ愚痴ダラダラ垂れ流しながら、テキストや問題集に臨んでいるとしましょう。
このようなときは、正反対の意見である「こんなことは全く、寸毫ほどもやる価値はない!」と考えてみることでございます。いったんは完全否定してみるのでございます。
ぴしゃりと全否定してみると、不思議なことにあれこれと、これまで考えもつかなかったことが、頭によぎるものでございます。
この公式を覚えておくと解くのが楽になるしなア、とか、細かい数字だけど憶えたらそれで仕舞いだしなア、とか、どっちかつーと簡単な方だしなア、などと考えるようになるのでございます。
未練ともいえるものが、ボコっ、ボコッと泡立ってくるのでございます。
そうして最後には、(それほど悪くもないな)という考えを、毒突いていたものに持つようになるのでございます。やはり、それは、やるべき価値のあることが証明されたのでございます。
この完全否定の練習はお手軽でございます。
どうしてこんな人と一緒になったのかと、ぐうぐうと音を立てている顔を見て考えてみることでございます。
いったん、「こんな奴は人間としてダメだ!」と完全に否定してみることでございます。
まあ、別に酒乱じゃないし、金は家に入れるし、なんだかんだ家のことをやってくれるしなあ、と思うことでしょう。
まあ、美人には痛い目に遭っているしなあとか、ブランド物に狂っているわけでもないしなあ、まあ、やってくれているんではないかい、と思うようになれば、もう少し我慢もできることでしょう。
少しもいいところがなかったら、篤とこれからを考えてみることでございます。
完全否定は、意外に現状の認識を変えるパワーを持っております。
いったん全否定をしてみて、目の前のことをもう一度、捉えなおしてくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年8月19日 9:55 AM |
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木登りは皆が皆、上を向いて登攀するものでございます。
なかなかに、下を向いて登ったり、横をきょろきょろしつつ登るようなことはできないかと存じます。
上を向いているからこそ、高い木に登れるのでございます。
逆に、上を向いている状態の方が安全と申します。
木登りの途中で落ちるのは、大概が呼ばれて振り向いたときや、木から降りようと下を向いているときでございます。
上を向いて登るのが、木登りの理に適っていると申せましょう。
さて、お勉強も木登りのように、横や後ろを見ることなく、上や先だけを見て行くほうがよいのでございます。
あーしていこう、こーしていこうと、前向き・未来志向でお勉強を進めていくべきなのでございます。
わき目もふらず、と申しますが、実はこちらのほうが、彼方此方きょろきょろしながらのお勉強よりも、負担が軽いのでございます。
過去を振り返ったり、あれやこれやと世迷いしつつのお勉強は、通常のお勉強よりもしんどい上に効率も悪くなるばかりでございます。
前進志向こそ、お勉強の理に適っていると申せましょう。
ですから、もし、お勉強に取り掛かる前に気になることがあるのなら、それに始末をつけておかねばならないのでございます。
しかしながら、長丁場となるお勉強のことでございます。
どうしても途中でわき見をしたくなるでしょうし、または、気になる問題が出自しないとも限りません。
そのようなときは、どうしたらよいかというわけでございます。
この対処も、木登りの要領でございます。
わき目をしつつ気を登るのが危険なのでございます。ですから、登るのを止めるのが先決でございます。
途中で休める枝を見つけて、そこで登るのを止まればよいだけでございます。
お勉強においても同様に、気もそぞろであるならお勉強はストップすることでございます。
そうして、そのわき見の原因をじっくり検討して、現時点での結論を導くことでございます。
基本的に、湧き出る余所見の原因は、自分にとって必要で見るべき意味があるからこそ、気になるし見たくもなるのでございます。
よくいわれる、サインや兆候といわれるものでございます。こうしたものを無視するのは、得策ではございません。虫の知らせと申します。
それらを時間をとって検討して結論をだしてから、お勉強の再開と行きたいところでございます。
もちろんのこと、検討に膨大な時間を費やさなければならない必要もありませんし、答えの出がないようであれば、さっさと見切りをつけて行くだけでございます。
立ち止まるというのも、方便であることをご理解頂ければと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年8月18日 8:55 AM |
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