独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

試験勉強なので

これをお読みの多くの人が、お勉強をしておられるかと存じます。とりわけ、受験勉強・試験勉強といった種のお勉強かと存じます。
試験勉強というのは、合格を目指すお勉強でございます。自分の興味や関心を満たすような勉強ではございません。
普通のお勉強では、興味や関心というのは大事でございます。そうした好奇心に由来するものから、学識というのは広く、深くなっていくのでございます。興味関心好奇心を潰しては、身になるお勉強にはならないことでしょう。
しかしながら、試験勉強というのは、基本的に自分の興味や関心とは離れたものでございます。
細かい数字や語句を憶えなければならないし、難解な文章と格闘するわけですから、お世辞にも大好きとはいえないことでありましょう。
普通のお勉強と、わたくしたちの採る試験勉強とは、意味が大きく異なることをご理解いただければと存じます。
試験勉強とは徹底して合格を目指す勉強でございます。
勉強中に関心や興味が沸いてもメモに留めて、合格後に消化するのが、理に適っているのでございます。
この点を混同してはいけないのでございます。
方向は正反対なのでございます。
興味を追求してもいいのが、通常のお勉強であります。
興味よりも出題実績や重要語句、頻出事項をおさえなければいけないのが、試験勉強でございます。
もちろんのこと、試験に出るものばかりをやっていくと息が詰まりますし、理解に及ばぬところがあるので、試験以外のことをやるのも良き方策でございます。
しかし、試験以外に一生懸命になるのは、試験勉強ではご法度なのでございます。
試験勉強中に、興味が沸いたものに、テキストや問題集をそっちのけで夢中になるのは、いただけないものでございます。
わたくしたちの試験勉強の目的は「合格」でございます。
興味関心好奇心については、息抜き程度の扱いでなければいけません。それらは、合格後に本腰を入れて、取り組まねばならないのでございます。
合格を目指す試験勉強に、試験とは関係のない興味事項をやるのは、一種の錯乱でございます。
攻めるは攻め、引くときは引くのが大切でございます。
アクセルを踏みながらブレーキをかけるかのような、意味不明・用途不明の行為に走ることが、お勉強では早々にございます。
何のための勉強なのか、しっかり意識することでございます。
教養や知識を得たいのであれば、試験勉強という形式以外に、もっと別のやり方がございます。そして、試験勉強以外の方が習得しやすくなっています。
再度いいますが、合格を目指すのが試験勉強なのでございます。

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「べき」で溢れて

わたくしたちの学習環境をよくよく振り返れば、そこには「べき」が溢れているかと存じます。
テキストを開けば、憶えるべき表とリスト、重要語句や定義文がたっぷりございます。
問題集を手にすれば、解くべき問題、やり直すべき問題が溢れております。
過去問を紐解けば、見直すべき問題がそこかしこにございます。
やるべきことが具体的なのは、やる気のもと、実行のもとなのでございますが、あまりに「べき」がたくさんありますと、逆に、試験勉強のプレッシャーとなるものでございます。
見れば見るほど気が滅入っていきますし、不調時にはどんどん沈みこんでしまいます。
「べき」に縛られることから、実力の伸びが止まってしまうことも、十分に考えられるのでございます。
皆さんに憶えておいてほしいのは、お勉強というのはすべてが一本調子ではないということでございます。
「べき」一色で塗りつぶしてはいけないのでございます。「べき」一色の世界など、収容所か留置所くらいでございます。
お勉強はもっと色鮮やかでカラフルなものなのでございます。
「やるべき」と思い込んでいるものを、いったん括弧がけをしてほしく存じます。
よくよく見れば、やるべきことにも、絶対にやらないといけないこと、まあ、やっておくべきこと、せんでもいいかもしれんね、保険かな、くらいにランク分けをすることができるかと存じます。
また、ややこしくて難解なもの、整理して憶えなければならないことなどは、「やるべき」には変わりはないでしょうが、今はやるべきものではないことが多々ございます。
超頻出事項の問題を間違えたり、忘れていたりすれば、そのほかのAクラスの事柄を総復習すべきでしょう。
のんきに、出るかでないかわからない表や語句を、いまそのときに憶えることはないのでございます。
実力がついて、試験勉強への目が利いていくるほど、要不要がわかって参ります。
やるべき、とは考えやすい方便ではありますが、本当にすべきことは数少ないものでございます。
全部やるべき、としか考えられないのは、演習不足のために、情報が欠けているものでございます。
「べき」はお勉強の推進剤でございますが、多用は控えるようにして頂ければと存じます。

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急中の閑

やろうと思えば、いくらでもやるべきことが生まれるのが、お勉強の真実でございます。
お勉強に、これとこれをしたら終わりというものはございません。
定量の作業ではないので、アレも見直したい、コレも解き直したいというものは、無限に出てくるものでございます。
こうした現象は、実力が伸びれば伸びるほど、見られるものでございます。
テキストは読み直したい、過去問をもう一度解き直したいと、強く思うものなのでございます。
このようにして、お勉強をがんばるのもよいのではありますが、あまりにがんばりすぎると、消耗という敵が顔を現すのでございます。
がんばり過ぎた結果、逆に、実力が伸びなかったり、能率が落ちたりするのはよく見られる現象でございます。
やる気が出なくなった、テキストを見たくなくなった、机の前に座りたくないなどの症例が、その代表的なものでございます。
がんばるのも大事ですが、さりとて、がんばり過ぎもこれまた、勉強をしないのと同じくらい留意しなければいけないのでございます。
では、どうやって、過ぎたるを防げばよいかといいますと、きちんと休息を取ることでございます。
やるべきことがたくさんあるときほど、休憩時間をしっかり楽しむことでございます。
よく遊びよく学べ、といいますが、実は、この格言は大量に学ぶためのコツでもあるのでございます。
つまり、遊んでリフレッシュしないと、勉強量をこなすことはできないのでございます。
5分、10分、15分、30分。休憩の時間の長さは、どれだけでも結構でございます。
ただ、その時間だけは、お勉強のことを考えないようにしてほしく存じます。
そんな休憩時間など、薄まったお勉強タイムでございます。
時間とは名目のきり方ではなく、身の持ちよう、心の入れようなのでございます。
お勉強の休憩時間も、身と心が入れ替わってこその、休憩時間なのでございます。
休憩時間には、頭をお勉強からすっぱりと切り離すべきなのでございます。
でないと、お勉強が続行しているのと変わりません。気分転換には、程遠いものでありましょう。
どんなに困難なときでも、いっぱいのお茶を楽しめるのが茶心(ちゃごころ)と申します。
あたふたせず、休むときはしっかり憩いをとっていただきたく存じます。

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