現実的であるということは、功利的であることでございます。
利があればこそ、やるべきなのでございます。
逆にいえば、利がないときはやらなくてもよいのでございます。
利というのは、わたくしたちの身の回りの事象の司るひとつの「理」でございます。
試験勉強においても、利のあることは理する、つまり、お勉強は順調に進んでいくのでございます。
自分にとって、うまくいくことは続ける、そして、うまくいかないことはやめることが、まさに道理なのでございます。
石の上にも3年といいますが、座るのが好きなら座っておけばいいでしょう。
別段、座ることが好きでないなら、単に3年間座っていただけの話でございます。
うまくいったことをやることが、重要なのでございます。
石の上に座っていたら、たとえば、小鳥が遊びに来るようになったり、四季折々の命の息吹を、細やかに感じるようになったというように、宗教的覚醒でもあればうまくいったといえましょう。
しかし、足は痺れる、腹は減る、くだらん、めんどう、やめたいといった愚痴だけしか出ないのであれば、石の上に座るのは、早めに切り上げるのが賢明でありましょう。
それは、うまくいっていない証拠だからでございます。
おそらく、宗教的な特性が皆無なのでしょう。ならば、ほかの分野で自分の芽を出す方が、理に適っていると申せます。
自分ではやっているつもりであるが、それでも、うまくいかないときは、今やっていることをやめてみることでございます。
お勉強の進め方ややり方はたくさんございます。
しかしながら、それらがうまくいくかどうかは、実に個人的なこと、個別事情にかかってくるでございます。
たとえば、わたくしは朝型の勉強を勧めておりますが、これは個人的な経験から朝の方が勉強できたからでございます。
いまでも、難しいことを考えるときは、朝に限定して行っております。これも、また、昼や夜に頭を絞ってもそれほど有用な考えが浮かばなかったからであります。
しかし、低血圧のお人であれば、朝型勉強は非効率でしょうし、無理して早起きしてみても、憮然としたまま空虚な時間が流れ去ることでありましょう。
ならば、夜の時間を100%有効に活用すべく、工夫を練った方が賢明でございます。
科学的な態度といったように、堅苦しいことはいいませんが、自分の現状に即して方法論の当否を図り、徐々に自分のものにしていくのがよいかと存じます。
完全な方法論がないのも、多くは個人的なこと故でございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年9月17日 10:07 AM |
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テキストというのは、お勉強がしやすいように編集されたものでございます。
複雑な規定は表を使ってわかりやすく表現したり、難解な定義文であれば、小分けにしてそれぞれの意味と繋がりを解説したり致します。
そのほか、表やリスト、一覧化といった形式を用いて、学習内容や物事を簡潔にシンプルにまとめてございます。
こうした編集はもちろんのこと、テキストだけに限りません。問題集や過去問の解説においても、まとめといったものがございます。
値が張る良質な教材であれば、受験生にどんぴしゃに役に立つまとめがあり、それが、実力の向上を大いに促すものでございます。
しかしながら、「まとめ」というのは、あまりに簡潔で無味乾燥なために、逆に、わかり難い場合があるのでございます。
基本的に、テキストや問題集、過去問のまとめ方というのは、多くの人を対象にしたまとめ方でございます。
万人が見ても読んでもわかるようにするためには、極限まで無駄を排して、シンプルにまとめなければいけないのでございます。
ですから、役には立つのですが、まとめや一覧表というのは、とっつき難いものがあるのでございます。
お勉強というのは、実に個人的なものございます。
万人に受けるからといっても、勉強する当の本人にとっては、わかりにくいというのは多々あるのでございます。
テキストや問題集等の内容を、そっくりそのまま、おさえていかねばならない、憶えていかねばならないわけではございません。
表やリストといったまとめは、どんどんと自分の使いやすいように、加工・改変を施していけばよいのでございます。
たとえば、リスト形式で、要件や条件が述べられているのであれば、「あいうえお」順に並び替えるのもよいでしょう。もちろん、並び方が重要でないときに限りますが。
表やリストのまとめの順番を入れ替えたり、自分のわかりやすいように区分けすることで、大分、憶えやすくなってまいります。
とはいえ、テキスト等の極限までシンプルなまとめも一理はあるので、ある程度憶えたら、元のシンプルな形で、記憶を完成させればよいでしょう。
ま、自分流に憶えた方が使い勝手が良いという人は、それを続ければ良いでしょう。
どのようなものであれ、自分で憶えやすいように、理解しやすいように変えることができるのが、独学のメリットでございます。
いま与えられているものが、常に最上とは限らないのでございます。
お勉強においては、己のやり易さのみを追求すれば事が足ります。
憶えにくい、わかりにくいといったお勉強の障害は、素材・材料が整っていない場合が多くございます。
それらを上手に、自分流に正すのもお勉強のひとつでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年9月16日 9:30 AM |
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基本的に、健康法というのは、ある程度の効果、そこそこの効能はあるものでございます。
散歩然り、ストレッチ然り、乾布摩擦然り、ラジオ体操然り。
どんな健康法でも、やってみれば、体調というのは良くなってくるものでございます。
しかし、問題は継続できるかできないかでございます。
多くの健康法の欠点は、めんどくさくて続かない点でございます。
ジムも然り、ランニング、ウォーキング然りでございます。
健康法の効果はさておき、わたくしたちが考えなければいけないのは、続くか続かないかでございます。
どんなに効果を謳う健康法やグッズ、器具であれ、続きそうでないのであれば、無視の対象に入れるのが賢明なのでございます。
続かないと結局は、その効果を享受できないのでございます。
さて、掲題にある腕振りでありますが、簡単で手軽という点で秀逸なものがございます。
そして、単調な作業のため、意志の力が必要ではありません。ですから、継続するのは、比較的容易な部類に入るかと存じます。
また、腕振り中は深い呼吸になるので、気分が落ち着きも致します。
腕を振っているうちに、眠気も飛んでいきますし、集中力ややる気も回復いたします。
お勉強とは相性の良い、健康法かと存じます。
しかし、効果があるといってきた腕振りではありますが、二日酔いにはまったく効果がございません。
最近、少し肩を酷使することが多いので、200回ほど腕を振って寝ている毎日でございます。
体調はそのためか実に良かったのですが、いい酒が手に入ったのが運の尽きでございます。
うまいうまいとがぶがぶ飲むと、案の定、二日酔いでありました。
腕振りと肝臓の処理能力は、やはり、無関係でございます。
いくら優れた健康法であっても、食べ過ぎ飲み過ぎには対処なしでありました。
食欲の秋ですから、本当においしく頂ける毎日かと存じます。
ちなみに、二日酔いの上に、1パック分のししとうを焼いて(味付けは塩のみ)食べたのが祟ったのか、おなかの調子も悪いわたくしでございます。
やはり、腹八分に医者要らず。ご自愛のほどをお願いする次第でございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年9月12日 12:11 PM |
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