独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

すばやい手当て

お勉強に失敗は付き物でございます。
たとえば、できたことができなくなる失敗でございます。
解けたはずの問題が、あららおかしや、解けなくなっていることは多々ございます。
また、憶えたはずのことをきれいさっぱり忘れていたり、何度も挑戦するも、ことごとく憶えられないこともございます。
相も変わらずわからないこと、意味不明なこと、理解不能なこともあることでしょう。
とはいえ、こうしたことは、別段、あなただけの現象ではないのでございます。
受験生一般によくあることでありまして、あって普通、ない方が不自然、とさえいうことが出来るのでございます。
不調のときなどは、周りの人が皆、できている人に見えてしまうものでありますが、内実はほとんど同じと考えても良いのでございます。
少なくとも、わたくしは、上記のことを多々味わってきましたので、確実に1名は失敗をする人が居る計算になるのでございます。
とにかく、失敗自体はお勉強では自然のこと、当然のものとお考え下さればと存じます。
逆にいえば、失敗にくよくよしてはならないということでございます。雨が振るのを毒づいても、傘を差して出かけねばならないのと同様の理屈でございます。
失敗対策の第一歩は、失敗を受け止めることでありますが、それだけではありません。
次の一手で、失敗が糧となるか否かの境目なのでございます。
失敗したときは、すばやい手当てが必要になることを、頭の片隅にでも入れておいてくださればと存じます。
では、お勉強における手当てとは何かといいますと、まあ、最低限、失敗したことをメモに残す程度のことはやっていただきたく存じます。
もちろん、日記でもポストイットでも結構でございます。
「○○ができない」程度の記録を残しておくことが、失敗を再度犯さないコツであるかと存じます。
そういった走り書きがあれば、どうしても、時間が経った後で目にしたら、確認するものでございます。
お医者様がカルテを取るのは、当たり前のことですが、診断結果を時系列に記録して、かつてと今の症例を比較するためでございます。
失敗のメモ書きも同様の理にあるかと存じます。
失敗も、たいそうなことはしなくてもよいのでございます。
最上の対処は、失敗した瞬間にその原因を特定したり、もう一度やり直してみることでありますが、そうも行かないのが多々かと存じます。
ですから、メモ程度の手当てを施しておくわけでございます。
失敗のメモさあれば、本当にひょんなことで見直したりしますし、メモを集めてそれらを集中的に復習するといったことも可能でございます。
瞬間的な時間を活かすこともできますし、そうした失敗メモを、お勉強に取り掛かるためのウォーミングアップとしてでも用いることができるでしょう。
『せっかく』失敗したのですから、多少はメモに残しておくことをご助言いたします。
記録という偉大なパワーを、失敗の改善に活かしてくださればと存じます。

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腕振り体操効果報告−46

なんとなく、お勉強やお仕事をしたくないときがございます。
もちろんのこと、家事や育児に気乗りしないときがあるかと存じます。
こうした絶無の気乗りは、本当に困った問題でございます。
机の前に座ってみるが、パソコンの前に行ってはみるが、資料を取り出しては見てみるが、テキストや問題集を開いては見るが、やっぱり、どうにもやる気の出ないときがございます。
こうした状態で着手しても、ガス欠というか、ひとつもやる気は出ず、用語や語句は頭に入ってこないし、5分ごとにめんどくさいという感情が沸き立ってまいります。
常識的に考えれば、こうした場合は、もうやめてしまうのがよいのでしょう。
しかしながら、こうした場合こそ、やるべきでございます。
克己力といいましょうか、こうした壁を打ち破ることが、勉強の限界量の上昇と作業量のアップ、忍耐力の練磨となるのでございます。
いま、その壁を突破すれば、更なる力を得ることができるのでございます。
とはいえ、本当に疲労困憊であったり、体調不良や病み明けであったり、大きな仕事が終わった後というのであれば、壁の突破は後回しにするのも良いかと存じます。
しかし、別段にそんな特殊な事情下にあるわけではなく、また、体力もあるにも拘らずやりたくないときこそ、奮起のチャンス、成長の機会なのでございます。
とはいえ、こうした事情を理解したとしても、なかなか身体は動かず、考えている風には手を付けられないかと思います。
そこで、腕振りの出番でございます。
こうしたときには、腕振りを500回以上してから着手すると、先ほどの停滞は何処へやら、手に取った鉛筆もスムーズに進むものでございます。
どういうわけで、500回の腕振りが停滞を打ち破るのかはわかりませんが、腕を500回も振れば、気分だけは一新することは間違いないのでございます。
とにかく、これまでの流れをぶったぎるときに、腕振りを推奨するものでございます。
あー疲れた、というノンキ・ノンビリモードは、発奮には程遠い状態でございます。
ですから、腕振りでいったん自分をリセットすることが大切かと存じます。お風呂や散歩でも良いのですが、いっそうノンキモードが強化されることもございます。
力強く腕を振っていけば、大分、気分を一新することができるかと存じます。
個人的には、500回振ってみてそれでもダメだったら寝るようにしております。
アクセルを踏んでいるのにブレーキがかかっている状態が一番疲れます。
できるできない、するしないに悩むとき、やりたいけどできない、といった相反する状態に陥ったときは、腕振り500で判別をしてくださればと存じます。

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雑用は今日中に

お勉強には時間が必要でございます。しかしながら、そう、うまく時間を確保できないのも、世の理でございます。
時間を確保するためには、まず、雑用をちゃっちゃと片付ける必要がございます。
雑用は、雑用のみにあらずでございます。
雑用の雑用たるゆえんは、溜めれば溜めるほど、その雑用でやるべきことが増えていくのでございます。
判子を押して単に返送するだけの書類だからといって、うっちゃっておくと、あっという間に返信期限は過ぎ去り、また送られてくるのをいらいらして待たなければいけなくなるのでございます。
消耗品の補給も同様でございます。
切れた〜と思ってほったらかしにしておくと、いざというときに痛い目にあうのでございます。
わたくしなど、朱肉を切らせてほったらかしにしておいたところ、どうしても判子を押さねばならぬ必要書類に遭遇したのでございます。
朱肉を買いに行く時間も無かったし、買いに行くのもめんどくさかったので、切れ切れになった朱肉に絞るように判子を押し付けて押印したのでございます。
しかし、判子の朱肉量!が足りず、「不鮮明なので再度押しなおしてください」と着払いで書類が返送されてまいりました。もちろん、再び送る費用もこちら持ちでございます。
この書類を送るまでに、何度、文房具屋を、雑貨屋を、100円ショップの前を通ったことでしょうか。朱肉を買うチャンスは何度もあったのでございます。
しかし、この体たらく。あまりにあほらしくて、ああ、切れたものを買うという雑用を甘く見るとこうなるのだな、と感を改めた次第なのでございます。
連絡事項を先延ばしするのもいただけません。
ちょっと電話を入れるか、メールでちょこちょこお知らせすればよいだけなのに、それを後でやればいいやとうっちゃっておくと、100%忘れてしまい、あれはどうなったのと大騒ぎに至って、かかずともよい恥を晒すことになるのでございます。
壊れたり使わなくなった不燃ごみも、ほっておくと畳3畳を占有するに至ります。もういらないでしょ、そのパソコン、その周辺機器、電気機械、なのでございます。
お勉強というのは、ストレスが溜まりやすいものゆえ、できるだけスッキリした環境で執り行いたいものでございます。
し残した雑用は、カビの胞子のごとく心中に巣食って参ります。放置すれば放置するほど、解決と解消には手間と時間がかかります。
雑用は、はやめはやめ、先手を打って倒すことを推奨したく存じます。

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