独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

ちょっと先

来年のことをいうと、鬼が笑うと申します。
わたくしたちの予想や推測などは、まず、当たらないものとお考えくださればと存じます。
ですから、先々の試験の結果などを、お勉強の間に思ってみても、致し方のないことなのでございます。
基本的に、やるべきことをやっていれば、試験というのは受かるものでございます。
どんな試験であっても、お勉強の量さえこなしていけば、必ず、いいところまでは行くのでございます。
わたくしたちがあれこれと考えたりするものは、単に脳の電気信号モドキであって、数秒後数分後には消え逝く儚いものでございます。
そんなものをいくら積み重ねても、砂上の楼閣ができ上がるばかりであります。
それよりも、目の前のテキストや問題集をいかにやり込むかでございます。
それら着実かつ現実的なものにこそ、確かなものがあるのでございます。
試験においては、先々のことを想って、ぶっちゃけいえば、時間を潰すよりも、重要語句の確認や苦手な問題を再確認した方が、賢明なのでございます。
しかしながら、全く先のことを考えない、というわけではないのでございます。
先の、たとえば、半年先の、1年も先の試験のことは考えないのでございます。
「ちょっと先のこと」を考えるのでございます。
自分の視野の届く範囲は、よくよくじっくりと考えましょう、というのでございます。
遠い先のことを詳細に考えても、大半は使い物になりません。ですから、大雑把に捉えておくのが、正しい物の見方かと存じます。
極端な例ですが、数ヶ月先のことを考えるのは、数ヶ月先の天気予報を気にしているとお考えくださればと存じます。
いかに、愚かで、役に立たないことをしているか、お分かりいただけるかと存じます。
対して、ちょっと先のことなら、わたくしたちは、しっかり考えることが可能でございます。
3日先、1週間、2週間先のことなら、今すぐでも、あーしよう、こーしていこうと考えることができるかと存じます。
まあ、1ヶ月先のこととなると、やるべきことと身の回りの整理が必要となりますので、多少、手間を食いますが、それでも不可能ではありません。
また、こうしたちょっと先のことは、予想の精度も高いかと存じます。全くの大ハズレ!ともならないかと存じます。
独学は、できる範囲から手がけることが大切でございます。
これは、お勉強を難易度別にしていく、ということに限らない話なのでございます。
こうした、先々のことを考えるときにも、自分の予想の付く範囲、予想の精度の高い期間に絞って、よくよく、お勉強のメニュウやら学習計画を練っていただければと存じます。

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ギョッと感

お勉強をしていくと、ときどき、ギョッとすることがあるかと存じます。
これまでは順調で、何となく、(お、これはいけるんでないかい?!)と鼻歌混じりに、お勉強をしてきましたのに、突然、難易度が変わることがあるのでございます。
そう、その試験における難関に差し掛かったのでございます。
どんな試験であっても、難所はあるものでございます。
唐突な例えですが、川遊びの危険性を思い起こしてくださればと存じます。
夏になると河川で痛ましい事件が起きるものでありますが、その原因は、川の流れの急な変化と、温度差にあるといわれております。
急に流れが速くなった上に、水温がぐっと低くなったために、予想以上に身体が驚き、パニックに陥るというわけでございます。
一度でも、渓流で怖い目にあった事のある人なら、お分かりいただけるかと存じます。
お勉強にも、こうした難易度の温度差とでも言いましょうか、急激にお勉強の流れが変わることがあることを、頭の片隅にでも置いてくださればと存じます。
章によっては、難易度が急激に変わることもございます。
こうした場合は、これまでの順調な勉強を括弧がけをして、新しい気持ちで臨むべきなのでございます。
少しでも、甘い気持ちがあったり、試験を呑んでいたりすると、途端にわけがわからなくなってしまうのでございます。
そして、二進も三進も行かなくなって、最初から鉢巻締めてやり直しになるわけでございます。
難易度の温度差を感じるときは、最初から慎重に丁寧に、見ていってくださればと存じます。
全受験生に共通するのは、おそらく、過去問でありましょう。
テキストや問題集を中心にお勉強を進めてきた人が、過去問に初遭遇したときは、極度のギョッと感を受けるのではないかと忖度するものでございます。
いうまでもなく、わたくしも目が飛び出さんばかりに、過去問の難しさにギョッとする連中の一人でございます。
こうしたギョッと感を受けたときは、ひとまず肩の力を抜くことからはじめましょう。
どうあがいても、結果は散々なものでありましょうから、気負っても仕方がありません。
基本的に過去問は、受験生を落とすために作られておりますから、そうした手練手管に慣れていないときは、うぶな青年の様にころころと問題に翻弄されるだけでございます。むかしも今も変わりません。
気負わずといったのは、疲れないためでございます。
疲れというのも、嫌な方の疲れでありまして、気疲れ、気働きとでもいいましょうか、自分のできるイメージが壊れる衝撃とでも言いましょうか、肉体的な疲れではないのでございます。
ボディブロウのように響いてくる疲れが、難易度の高低差によって生じるのでございます。
急激な難易度差に見舞われたときは、こう考えて見てください。
『これまでは軟水を飲んでいたのに、急に硬水を飲めば「うっ!!」とくるのが普通だ』と。
『湧いていると思って入ったら水の風呂。驚くのが当たり前』と。
同じ章、同じような問題と、見た目では変わらなくても、その内実は大きく異なっているのでございます。
結局は、先入観の問題ということができましょう。
取るに足らぬ先入観で右往左往しないためにも、今、目の前のことをしっかり把握して、態度と方策を練ってくださればと存じます。
疲れないやり方、というのは、うまく活きるコツのひとつなのでございます。

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のみ、ではなくて

基本的に、独学では、同時期にAをやったりBをやったりするのでございます。
たとえば、テキストを読みながら問題集を解いたり、問題集を解きながら過去問を見てみたり、試験用の資料を見つつテキストを参照する、または、その内容をテキストに書き写したりするのでございます。
Aのみ、Bのみをやるというのは、よほどの理由、正当な事由がない限り、行わないものでございます。
たとえば、○月いっぱいまではテキストを読んで、それ以降は問題集をやる、といった風にはやらないのでございます。
定食と同じ発想でございます。
いくらご飯がおいしくても、食べるのがご飯だけでは飽きますし、おみおつけオンリーではお腹に溜まりません。
おかずもおかずだけでは、濃い味付けにだんだんと辟易するものでございます。
ご飯、お汁、おかずのバランスが取れていた方が、食べやすいしたくさん食べれるものでございます。
お勉強も同様の理屈で、何かと一緒にやっていった方が、何かとやりやすいし、憶えやすいし、理解も早いということができるのでございます。
たとえば、問題演習と一緒にテキストを読んでいくと、問題の刺激を元にテキストを読み込むことが可能になります。
テキスト単体で読むのに較べたら倍は、テキストの記述に取っ付きやすいのではないかと、忖度する次第でございます。
つまりは、じっと目でテキストの文字を追うよりも、(ああ、コノ記述はこういう風に問題に出されるのかあ)と思いながら読むのと、どちらが効率的であるか、というわけでございます。
同様に、問題集も過去問と一緒にやっていき、問題を相互に比較していくと、問題の作りというかポイントというか、骨子というものがわかって、問題のからくりに強くなるかと思います。
お勉強においては、刺激は無いよりも有った方がよいのでございます。
もろもろの刺激を受けつつ、それぞれに取り組む方が、やり易いものでございます。
テキストを読んでいくと眠たくなる、問題集が解けないという方は、何かと一緒にやってみて頂きたく存じます。
しかしながら、いっしょにやるのは、問題点もございます。
作業量は多くなってしまうこと、下手をしたら大混乱してしまうことでございます。
たとえば、テキストと問題集、問題集と過去問を一緒にやるわけでありますから、作業量は単純に倍になりますし、しっかりおさえようとするならば、単体でやるときの4倍は作業量が増えましょう。
よくわかっていることなら、それほど手間を食いませんが、学習序盤のころなどは、実力もあまり付いていないため、実に骨が折れる進め方となっております。
また、刺激が強すぎたといいますか、難解な問題に遭遇してしまうと、頭がぐちゃぐちゃになる危惧もあるのでございます。
(問題集ではこういっているけど、過去問ではそうでないし、テキストとも違っている。。。どうなっているの?!)と混迷を極めることも多々あるのでございます。
しかしながら、何にも刺激も無くお勉強を進めていくよりも、こうした大混乱や大作業のある方が、取り組みやすいものでございます。
また、こうした事態を解消していくことが、よいお勉強となっております。
これはこうで、あれはあれでしょ、ここではこうだからこうなのでしょ、という風な整理が付いて行くにつれて、実力がめきめき付いていくことを実感できるのではないかと考える次第でございます。
よいお勉強というのは、単調なものではありません。敢えて、己をカオスに叩き込んでみるのも、よいお勉強なのでございます。

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