独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

使いどころ

お金というものは、使い所がございます。
たとえば、下着類でございます。
シャツや靴下、アンダーウェアは、そこら辺のホームセンターで買うよりも、百貨店まで足を伸ばして、買った方がよいのでございます。
値段は張りますが、保ちが全く違ってくるからでございます。
数回洗濯したらもう着れなくなる下着ほど、安物買いの銭失いを体現したものはございません。
結局は、穴が開くやらぺらぺらになって寒くて着れなくなって、毎年の如くに買い替えに至るわけでございます。
よいものなると、それほど買い換えることがございません。大切に着れば、2年・3年以上は着れてしまいます。
最終的なコストを考えれば、よいものを買った方が安く付くのでございます。
いくら安いといってもダメはダメでございます。それを買う手間、運ぶ手間、洗う手間、そして、買い換える手間を考えれば、損をこいていることを御理解いただければと存じます。
さて、お勉強においても、お金の使い所はございます。それは、徹底して教材の質にこだわる点でございます。
教材の選択においては、絶対によいほうを選ばなければなりません。
値段が張る張らないは問題外でございます。
500円、1000円の差を物とせずに、よいほうをお買い上げくださればと存じます。
正直申しまして、教材の値段の差など、質の問題に較べれば、屁の様なものでございます。
再度申し上げますが、値段の差など、問題ではありません。
徹頭徹尾、その質で選択をお考えくださればと存じます。ちなみに、わたくしの生活のなかで、値段を度外視する珍しき買い物分野が教材の選択でございます。あとは、お菓子と菓子パン。
結局のところ、ダメ教材を使っては合格は覚束なく、大概は、不合格になって再度買い直すか、試験勉強の途中で買い換える羽目に陥るのでございます。
ダメ教材は、安物買いの銭失いになることを肝に銘じてくださればと存じます。
テキストならわかりやすさ、説明の多さ、見易さを徹底して吟味ください。
問題集なら、問題の作りや解説の言をしっかり吟味くださればと存じます。
過去問も同様でございます。しっかりした解説が付いているかを調べた上で、レジにお運びくださればと存じます。
過去問というのも、実は、解説が重要な教材でございます。
問題と答えのみの過去問というのは、本当にゴミなので買うのはお控えくださいまし。そんなお金があるなら、ちょっといい肉を買うべきでございます。
わたくしたちは、解説を元に勉強をしていきますから、解説のほとんど無い過去問など、勉強にならないのでございます。
解説がいらなくなるのは、試験勉強の本当に最終局面だけでございます。
そのときだけは、自分が解けるかどうかを確認するのみなので、解説は必要ありませんが、それ以外のお勉強のときでは、解説を読み込まねばなりません。
過去問には、ピンとキリがございます。しっかり、見極めてくださればと存じます。
お勉強においても、安物買いの銭失いは厳然と存在する真理でございます。
買い物間違えは合否に直結いたします。お金をケチらないように、御助言したく存じます。

(さらに…)

先今昔

独学で危険なのは、バランスの欠けた考えに陥ることでございます。
他人から見れば、取るに足らないことが、心労に圧し掛かっていたりするのでございます。
そして、独学ゆえに、独り悩んでしまう人が多いのです。
基本的に、考えるべきことは、先4:今4:後2の割合でございます。
たとえば、現実の今だけを見つめて(わたしはどうしたらいんだ?)と考え込んでみても、妙案はまず湧かないものでございます。
なぜこんなにできないんだ、と考えてみても、できないが続くだけでございます。
そこで、○日までにできるようになるためにはどうしたらいいか、と考えをひねってみたら、アレをやらないことにして時間を確保して、やるべき課題のみを集中的にやってみようとか、○日までに○回はできそうだから繰り返してみよう、といった取り組みが可能になるのでございます。
同じように、(わたしはどうなるんだ?)と先のことだけを考えても、建設的な考えは浮かばないものでございます。
将来・未来というのは、その時の通りに、突然来るもの、いまだ来ていないものでありますから、いくら考えても細部はわからないのでございます。
こんなことで受かるのだろうか、と本試験のことを想ってみても、まあ、それだけでは受からないものでありましょう。
必要なのは実際のお勉強であって、本試験の想像・妄想・妄念の類ではないからでございます。
先のことと今のことをバランスよく、比率からいえば4:4で考えることが、問題を解決するポイントであるかと存じます。なお、残りの2は過去を振り返ってみることでございます。
過去のことが「2」というのは、まあ、過ぎたことをあれこれ考えてみても仕方がないからでございます。
失敗から教訓を得ることも必要ですが、得たことを先々と今に活かすことに力を尽くすべきことでございます。
教訓やら何やらは、すぐに見つかるものではないでしょうか。逆に、得たものを活かす方が、実は、難しくて大切なのでございます。
人は容易きに流れます。
教訓や名言、失敗例ばかりを抱え込んでも仕方がありません。
よくいわれるのは、「お前はことわざ(著名人の名台詞、名言)で生きているのか」ということでございます。
今と先の両方としっかり考えてみて、そして、過去のスパイスを効かせれば、個々単独で頭を捻るよりかは、はるかに考えやすく、名案や突破口が閃くかと存じます。
下手な考えは休むに似たりと申します。
ダメ考えはどこまでいってもダメなので、少しく、考えの主軸をいじってくださればと存じます。

(さらに…)

実に感じてみる

夏の残暑は過ぎ去って、涼しいというよりかは、時折、寒く感じる時候となって参りました。
皆様方には御自愛の程をお願いする次第でございます。
布団を出したり、毛布をいれる、いちゃいちゃ出来る相手を探すなどして、冬支度をお考えくださればと存じます。すでに居る方は今のうちから機嫌を取り、暖を取る準備をしていただきたく存じます。枯れ木も山の賑わい、いないよりかはましでございます。
さて、寒くなりますと、一際、お風呂というものがよくなって参ります。
夏などは一風呂浴びると、茹蛸のようになって爽快からは程遠かったのでありますが、肌寒い季節頃となりますと、暖かさと涼しさが同居して、何とも気持ちがよいものでございます。
過度に汗を掻くわけでもなく、かつてお風呂は医療行為であったというのも、さもありなんと思うしだいでございます。
お風呂の後では、毒気が抜けると申しますか、老廃物やその他もろもろが排出された身の軽さを感じることかと思います。
さて、皆さんも御存知ではありましょうが、「血」というものは固まりやすいものでございます。
水のようにさらさら流れるものではありません。どろっとしているものでございます。
血管が詰まったり固まったりする病気もございます。
こうした「血」の意識は、意外にお勉強とかかわりがあるのでございます。
お勉強は当然の如く、頭を酷使するものでございます。
うんうん考えたり、文章を追ったり、何かを憶えたりしたときなどは、頭がぼうっとするかと存じます。
それは、頭から血が引いたというよりかは、脳が活発に動きました故に、頭に血が行き過ぎているのでございます。
脳みそにびっしり、ぎっしりと血液が入り込んで、ぱんぱん状態であると、想像してくださればと存じます。
その上、頭を使いに使いまくっておりますから、エネルギーの粕やらなんやらが多量に含まれた、血になっておりましょう。
本当に、煮詰まるとはよく言ったもので、そういう血で頭がいっぱいになれば、検証を待つことなく、まあ、頭が働かなくなるのも頷けることかと存じます。
お勉強の足が止まってしまったときは、そういう脳の状態になったとお考えくださればと存じます。
そこで、軽い運動をしたり、お風呂に入ったり、シャドーボクシングの真似事をしてどたばたしてみると、すうっとするのでございます。
もちろん、頭に行き過ぎていた血の巡りがよくなったというわけでございます。
お勉強というのは、気合ややる気や精神力も大事ではありますが、それだけではないのでございます。
自分の持っている身体の機能や、今置かれている状態と向き合うことも、秘訣なのでございます。
坊さんは修行として、お経ばかりを読んだり経典のみを憶えてはいないかと存じます。
托鉢をしたり掃除をしていることを鑑みれば、机の前のみのお勉強が完全によいものではないことがお分かりいただけるかと存じます。