ふと見渡せば、雑草は生えているものでございます。
自分で抜いたときもありましょうし、管理人さんが抜いてくれたことも、管理会社のおっさんが綺麗にしてくれたこともありましょう。
しかし、ちょっと時間が経てば、もう、新しい雑草の芽が姿を現しているものでございます。
先日、面白い動画を拝見致しました。
人類が滅びた後、地球はどうなるかという科学番組でございます。
人類が地球からいなくなると、わたしたちの今住んでいる身の回りがどうなるかといいますと、植物が天下を取るのでございます。
街路樹は、きちんと手入れがされているから、あのような大きさで済んでいるのでございます。
それらは、5年も経てば枝を張り、根を伸ばして、あっという間に周辺5メートル四方を支配いたします。
雑草も負けてはおりません。庭の雑草が、プランターの雑草が、あっという間に、今住んでいる部屋に侵攻を開始して、あっという間に部屋全体が葉や根や茎で囲まれてしまうのでございます。
今はアスファルトで舗装されている道路も、あっという間に隙間に植物の種が入り込んで根を張り、ぼろぼろ・でこぼこにしてしまうのでございます。
かくも逞しき植物の強大さを実感した次第でございます。
さて、お勉強に植物・雑草の観点を取り入れてみれば、よくわかることがございます。
どこ?と疑問に思われるかと存じます。それは、記憶についてでございます。
長年、自分の記憶力の無さ、悪さに辟易していたのでありますが、ようやく、その記憶力の悪さを上手に形容できるようになったのでございます。
記憶とは、忘却との戦いでございます。
この忘却を、「雑草」と読み替えてみれば、わたくしたちの記憶との戦いがわかりやすくなるかと存じます。
憶えても、忘れてしまうかと思います。
それは、畑を耕して種を植えて「ヤレヤレ」と思っていたら、雑草が伸び放題になった事態と同様なのでございます。
記憶のコツは、何度も手を入れることでございます。
「こまめに抜く=機会を見つけて確認する。」
「雑草が生長し切る前に抜く=完全に忘れる前に見直す。」
感覚的に、雑草との戦いは、記憶の戦いと被るものがあるかと存じます。
ただ異なる点は、雑草には除草剤という便利な代物があるのに対して、お勉強には、記憶剤という、ちょっと怖い薬物はないということでございます。
昔のお百姓さんのように、雑草を抜くが如く、記憶の手入れをしていくイメージを持っていただければと存じます。
ほんの100年前までは、ほとんどの人が農業が生業であったのでございます。何となく、いわんとすることは、遺伝子に残ってございましょう。
わたくしたちの「雑草」対策は、本試験という収穫日までの話でございます。
その日まで、雑草を抜いて記憶を育てればよいだけでございます。その後は、いくらでも草ぼうぼうにしてしまえばいいのです。
忘れることに愚図愚図いわず、丁寧に記憶を育ててくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年10月28日 9:42 AM |
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いつでもやる気満々なのではないのでございます。
いや、正直なことをいえば、やる気を持ってお勉強に臨むなど、年に数えるほどしかないものでございます。
孔子様の時代から、色を好む以上に学を好むものを見たことがないのでございます。
人類がお勉強にそれほどやる気を持たないのは、千年の歴史があるのでございます。
お勉強に、常にやる気は伴わず、と考えておく方が賢明であるかと存じます。
さすれば、やる気を出す方法論や、心理学に基づいたモチベーション理論に惑わされずに済むからでございます。
人類の千年のやる気の実態を鑑みれば、まあ、やる気が無いのが普通であって、やる気状態なのが異常なのでございます。
しかし、やりたくないからといって、やらないわけには行かないのが独学でございます。
他人が決めたことなど、いくらでも破ったり、反故したりできるものでございます。
隣で寝ている人の顔をじっと眺めれば、身につまされることかと思います。
自分で決めたが故に、そう簡単に事を終わらすことができないのでございます。
やらねばならないが、やりたくない。
よくよく、よくよく承知してございます。
しかしながら、お勉強の放棄もできない以上、二進も三進も行かなくなってしまうのでございます。
それでは、二律背反をどうしたらいいのかといいますと、とりあえず、座ってみることでございます。
やりたくないときは、あたかも、机の上に、本当に読みたくないお別れの手紙類(離婚届、人事異動書、子供の通知書、請求書、告知書、催促の手紙)があるかごとく、机の周辺に立ち寄らないかと存じます。
座ろうかなと思ったら瞬間に、もろもろの雑用をうまく思い付くものでございます。
で、あるからこそ、とりあえず座ってみるのでございます。
コツは、何かをしようと思わないことでございます。
お勉強の前に、あれとこれをしようと具体的に決めておくのは、お勉強のコツのひとつですが、全てにうまくいくものでもないのでございます。
気乗りのしないときは、敢えて何も考えず、おもむろに座ってみることでございます。
そして、おもむろに、テキストを手に取って見ることでございます。問題集を開いてみることでございます。
座ることに、たとえば、コーヒーで釣るのもいいでしょう。菓子パンやお菓子で釣るのもいいでしょう。晩酌で釣るのもいいでしょう。
兎にも角にも、机の前に座ってみることでございます。そして、机の前での滞在時間を増やすことでございます。
100の言葉、100のモチベーションの理屈よりも、「座る」という1作業に及びません。
とりあえず座って、ぱらぱらめくるだけでも、今日翌日以降から違ってまいります。
やる気の無いときでも、座ってしまえば、何とかなることが多うございます。
乾いた心を絞るようかのやる気を出すのでなく、自分をお勉強に持っていくように仕向けた方が、結果はよいものがあるかと考える次第でございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年10月27日 9:36 AM |
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さて、本日のススメは、高齢の腕振りについての雑文でございます。
お目汚しの程、お願い申し上げる次第でございます。
さて、試してみる、ということは重要であるかと存じます。
これまで、いろいろで腕振りを実験してみてきたわたくしでございます。
最近わかってきたことは、単独では効果が宜しくないということでございます。
これをお読みの皆様方は、肩の重みや首の張り、腰の鈍痛などを自覚されているかと存じます。
こうした不快な状態に、腕振りは改善が見られるといって参りました。
しかし、腕振りのみでは、不十分であることを最近気づいた次第でございます。
肩の重みなどは、『お風呂』に入るというのが、その改善に欠かせないことがわかったのでございます。
逆にいえば、腕振り体操は、お風呂(シャワー、足湯など)とタッグを汲むことで、よりいっそうの効果が出てくると踏んでいる次第でございます。
最近、忙しくてときどきお風呂に入らず寝ることの多かったわたくしなのでありますが、風呂に入らなかった翌日の肩の重さに、驚いた次第でございます。
日中、ぶらぶらと腕を振っておきながらのこの重さでありますから、いかに、お風呂やシャワーが身体の血行に影響を与えているか、もっといえば、疲労物質や老廃物の除去に役に立っているかを、まじまじと感じた次第でございます。
お風呂に入っていないと、肩の重みだけでなく、まあ、手首は痛いは、膝には違和感があるはと、腕振りだけでは、流石にダメなのだなあと思った次第でございます。
昨今は健康ブームであれやこれやが取りざたされますが、やはり、結局のところ、良い物しか残っていかないことを実感した次第でございます。
アレやコレやと試してみるのもようございますが、自分の生活で最も身近な、お風呂の効果を実感していただきたく存じます。
やはり、健康法の原点は、蒸し風呂も含めれば奈良時代から面々と続く、お風呂でございますよ。
このお風呂から、腕振り体操やらストレッチやらを見ていってくださればと存じます。また、お風呂の効果を最大限に享受することを見ていったほうが賢明ではないかと思う次第でございます。
ああ、お風呂っていいものだったのだなあと、御納得いただければ、更に身体の改善が多く見られるかと存じます。
肩が重いと気も散りますし、背中・首の張りは、姿勢の悪い証拠。これまた、お勉強の集中を邪魔するものでございます。
お勉強も健康から始まることを、頭の片隅にでも置いてくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年10月24日 9:45 AM |
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