できるようになるのは、神秘の世界の物語ございます。
幾分か、わたくしたちの努力の範疇を超えた事柄であることに、ご配慮くださればと存じます。
何時、どうすればできるようになるのか、それは人のあずかり知らない事なのでございます。
まず、何時できるようになるのか、というのは、はっきりと捉えられません。
工業製品のようには、わたくしたちの「できる」は出来上がらないのでございます。
できる方法というのも、曖昧でございます。
いろいろなやり方や手段方法が、巷には溢れかえってございます。
それは即ち、それだけ、多数の方法があるということでございます。
逆にいえば、「できる」ようになるには、決まった手順や方法が無いということでございます。
このように、できるようになるのは、確実でありながら不確実という、至極はっきりしない事情下にあるのでございます。
これが、何かを学ぶときの障壁になるのでございます。
お勉強を含めて、ピアノ、ギター、水泳、絵画などなど、ほとんどのことは、練習して訓練していけばできるようになります。
どんなことでも、どれほどの量でも憶えることができます。
高々、テキストの1冊、問題集・過去問の数冊の内容など、人間の作ったものですから、可能の範疇に入っているものでございます。
できるようにはなるのでございます。
しかしながら、いつできるようになるのか、どうすればできるようになるのかは、至って不明なのでございます。
ゲームのように、「○○はレベルアップした!」というわけでもございません。実際のところ、ぴかーんと閃いてできるようになったのを自覚するのは、ごくごく、稀なのでございます。
何時の間にやら、できるようになっていたというのが、真実の姿であるかと存じます。
できるということには、深くて暗い古井戸のような、よくわからないメカニズムが働いてございます。
「やれやれ!!」と口をすっぱくして言い付けたのにも拘らず、一向にやる気配がないので、もうこいつはだめだと諦めrた途端に、できるようになる御人も居られます。あなたですよ。1回は見捨てられてますよ。
大事な事実は以下の通りでございます。
教わったからといって「できる」のではございません。
理解したからといって「できる」ものではございません。
よい教材、よい解説があっても「できる」わけではありません。
しっかり理解したとしても、正確に憶えても、必ずしも、100%「できる」に繋がるわけではないのでございます。
何時の間にやら、ひょんなことからできるようになって、気が付いたらできて行くようになるのでございます。
お勉強には忍耐力が必要といわれておりますが、少しく言葉が違うかと存じます。
できるようになるまでの時間を、気楽に構える姿勢でございます。
練習して訓練していけば、何時の日かできるようにはなります。
そのときが来るまで、焦らずのん気に構えられるかどうかが、できるかどうかの境目なのでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年11月27日 10:45 AM |
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先日のススメでは、できるようになるまで訓練するように申し上げました。
しかし、ここに注意しなければならないことがございます。
それは、太陽のように、暖かく見守ることでございます。
やってはいけないのは、鬼教官のように峻厳な態度で当たってはいけないのでございます。
北風のように、びゅうびゅう寒い風を送ってもコートが取れないのと同様の理でございます。
馬に鞭ばかりをくれても、走らなくなるのと同様の話でございます。
もちろんのこと、厳しく当たることも大切なのでございます。
だらだら、ぐだぐだ。
のろのろ、とろとろ。
怠惰と惰性の間を行きつ戻りつして、これでは・このままではダメになると思う下降線を描いているときには、厳しい「活」が効いて来るのでございます。
生温い現状から抜け出すには、すべての着物を脱ぎ捨て、あえて寒中に入っていかなければいけないこともあるでしょう。
そうした転機の時には、峻厳に己を律していかなければいけないのでございます。
しかしながら、わたくしたちは、そんなのに厳しい目に毎日毎回遭うとイヤンになる凡人でございます。
ときどきであるから、作用と効能があるのでございます。
何度も続けば、いやになるものでございます。
いやになれば、お勉強から遠ざかってしまうのは、これまた自然の理なのでございます。
試験勉強は、継続こそがポイントでございます。継続さえできれば、誰でもある程度の実力までは到達できてしまうのでございます。
わたくしたちは、「続ける」という観点を忘れてはいけないのでございます。
学校時分には、厳しい先生という方は居られました。
しかし、どこか暖かいところ、楽しいところ、面白いところがあったように思います。
100%に近い厳しさなどは、どこか人気の居ない山の中の修行で求められるものでございます。
普通に生きているわたくしたちには、100%の厳しさなど要求されていないのでございます。
殊、試験勉強というのは、そのほとんどが「できない」の連続でございます。
できることなどは、過去問演習後しばらくたって後に、実感していくものでございます。
「できない」がほとんどでございます。
それなのに、厳しい仕打ちをしたらば、お勉強がどうなるかは想像に難くないことでありましょう。
自分の出来なさ加減を、厳しくも暖かく見守ることでございます。
失笑するのもようございます。
うひひ、くひひと己のできなさ加減を笑い飛ばすのもようございましょう。
こんなことができなくてどうするんだ、という発奮が2割。
うひひ、まだできへんなあ、生暖かく見守るのが8割。
こうした割合で見ていけば、お勉強は続いていくかと存じます。
厳しさの中の優しさ、寒中の暖こそが、万事に渡るコツであると存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年11月26日 8:44 AM |
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できるようになるまで行うのが、訓練でございます。
お勉強において必要なのは、この訓練でございます。
できるようになるまで、繰り返して練習するのでございます。
○○を何回やればいい、という問題ではないのでございます。
たとえば、過去問は3回やればいい、と耳にしたとしても、それを鵜呑みにすることは危険でございます。
3回で、あなたができるかどうかの保証などないからでございます。
3回だろうが5回だろうが、できなければ仕方のない話でございます。
3回やっても、所々で間違えたり、重要問題や頻出事項を落としたりするようであれば、それ以上の回数をこなして、できるようにならなければいけません。
逆にいえば、できるようになるまでが、適正の回数、正しい演習数であるのでございます。
できないないなら、できるまでやってこその、訓練なのでございます。
人口に膾炙されているからといって、形式的な数字に振り回されないようにすることが肝要でございます。
○○回やりました、といって褒めてもらえるのは小学校低学年まででございます。
3年生にもなれば失笑が待っていることでありましょう。
子供じみた判断違いには御注意でございます。
資格というのは、経験や能力、知識の客観的評価でございます。
ある意味、準プロなのでございます。
プロというのは、聞かれたら即、解答できるような状態をいうのでございます。
完全な解答ができなくても、多少の見通しと検討を付けねばならない立場でございます。
わたくしたちのお勉強は、そうならんがためのものであることを、意識してくださればと存じます。
聞かれたら即答、がベースなのでございます。
聞かれて、えーとなんだっけなあ、とか、わからないですうー聞いてないですうーとへらへら笑う営業マン・店員に誰が好意を持つでしょうか。
縊り殺してやりたいと思うものでございます。
試験において、あやふやな知識や不十分な勉強では点が取れないのは、まさに、こうした愚者にならないがための試練なのでございます。
できるようになるまでが、わたくしたちのお勉強の本質でございます。
何度も何回も、繰り返して挑戦してくださればと存じます。
やるべきことは無限ではございません。数えられる有限のことでございます。
それだけやりさえすればいいのですから、きっちり、細部までおさえていってくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年11月25日 8:31 AM |
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