独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

できるまで

できるようになるまで行うのが、訓練でございます。
お勉強において必要なのは、この訓練でございます。
できるようになるまで、繰り返して練習するのでございます。
○○を何回やればいい、という問題ではないのでございます。
たとえば、過去問は3回やればいい、と耳にしたとしても、それを鵜呑みにすることは危険でございます。
3回で、あなたができるかどうかの保証などないからでございます。
3回だろうが5回だろうが、できなければ仕方のない話でございます。
3回やっても、所々で間違えたり、重要問題や頻出事項を落としたりするようであれば、それ以上の回数をこなして、できるようにならなければいけません。
逆にいえば、できるようになるまでが、適正の回数、正しい演習数であるのでございます。
できないないなら、できるまでやってこその、訓練なのでございます。
人口に膾炙されているからといって、形式的な数字に振り回されないようにすることが肝要でございます。
○○回やりました、といって褒めてもらえるのは小学校低学年まででございます。
3年生にもなれば失笑が待っていることでありましょう。
子供じみた判断違いには御注意でございます。
資格というのは、経験や能力、知識の客観的評価でございます。
ある意味、準プロなのでございます。
プロというのは、聞かれたら即、解答できるような状態をいうのでございます。
完全な解答ができなくても、多少の見通しと検討を付けねばならない立場でございます。
わたくしたちのお勉強は、そうならんがためのものであることを、意識してくださればと存じます。
聞かれたら即答、がベースなのでございます。
聞かれて、えーとなんだっけなあ、とか、わからないですうー聞いてないですうーとへらへら笑う営業マン・店員に誰が好意を持つでしょうか。
縊り殺してやりたいと思うものでございます。
試験において、あやふやな知識や不十分な勉強では点が取れないのは、まさに、こうした愚者にならないがための試練なのでございます。
できるようになるまでが、わたくしたちのお勉強の本質でございます。
何度も何回も、繰り返して挑戦してくださればと存じます。
やるべきことは無限ではございません。数えられる有限のことでございます。
それだけやりさえすればいいのですから、きっちり、細部までおさえていってくださればと存じます。

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お探りだよ

人間は、意味や意義の確かなもの、そのほか、実感の伴ったものには、それほど不安の心を抱かないものでございます。
お水のお姉ちゃんたちが饒舌なのは、お客様に対して探りを入れているためでございます。
喋ることにより、情報をつかんだところで、お姉ちゃんたちはさまざまな戦術を練って来るのでございます。
お仕事は何、お年はいくつ、好きなものは何?、御趣味はなどと質問を重ねるのは、故あっての事、もっというならば、自衛の為のおしゃべりということができるかと存じます。
話が上手でないと、人はもてないと申しますが、さもありなんでございます。
その人となりがよくわからないために、お相手の人は、心中に不安を抱いているからでございます。
この点わたくしなどは、お菓子と菓子パン、美食以外のことはまったく喋らないものですので、これまで大きく損をしてきましたが、性分であるから致し方がないと諦めている次第でございます。
相手に不安を抱かしていないかどうかをお調べくださればと存じます。
笑顔がよいといわれるのは、それだけ不安を呼び覚まさないからでございます。むっつりしていれば、それだけで噛み付かれそうな感じがございます。
不確かなもの、意味のわからないものを明らかにするのが、会話やおしゃべりなのでございます。
不確かなものを確かなものへ、意味不明なことはっきりさせることは、心中の不安を晴らす第一歩とお考えくださればと存じます。
さて、お勉強においても、同様の理屈があるかと考えます。
見知らぬこと、よくわからないことへは、否が応にも不安が湧き上がってくるのでございます。
不安があればあるほど、お勉強へのやる気はそがれるものでございます。
しかも、それは、時間が経過するたびにますます、大きくなってくるのでございます。
お勉強の進みが遅くなったり、なんだかやる気がなくなってきたときには、無理して自分を鼓舞するよりも、不安なところはないか、意味不明の事を残していないかどうかをお確かめくださればと存じます。
あるようなら、簡単な探りを入れて正体を確かめてみることでございます。
完全なる、白日の下の「わからない」というのは、ある意味、安心なのでございます。
わかっているような、わからないような、できているような、できていないような事柄が、心中の晴れない不安を呼び起こすのでございます。
できないなら、これこれはこれこれの理由でできない、とか、○○の点がわからない位の把握をしておくべきなのでございます。
できれば、メモっておくことでございます。
そうするだけで、とりあえずの応急処置は済んだとお考えくださればと存じます。
また、ぐっと不安も治まるのではないかと存じます。
不安が軽くなれば、お勉強への活力も戻ってくるものでございます。
意味不明・わからないことを明らかにする不安対策のあることを、ご理解頂ければと存じます。

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今の1

大切なことは、できるようになるまで練習することでございます。
練習して繰り返して、できるようになってこそ、その作業は完結するのでございます。
それを途中で諦めてしまっては、元の木阿弥になるばかりでございます。
手がけたならば、できるようになるまで続けてみることでございます。
しかし、要注意の事項がございます。
それは、一時に多くのことをしないことでございます。
できないこと、苦手なことは、まずは細分化して進めていくのが大切でございます。
あたかも、嫌いな食べ物を少しずつ切り分けて、ちょっぴりわずかずつ頂く如しでございます。ふな寿司も、少しずつなら抵抗のある方でも食べられるものでございます。
嫌いなものを丸ごと食べろといわれてもできない話でございます。それと同様の理なのでございます。
憶えられないと言う方がございます。
そんなことはありません。
合格者数の人は憶えられたのでありますし、ぎりぎりのところで涙を呑んだ潜在的な合格者の数を含めれば、更に多数の方が憶えることができたのでございます。
それでは、そうした人たちは、尋常ならざる記憶力があったというのでしょか。
それとも、憶えられない人自身の記憶力に障害や欠損があったというのでしょうか。
そんなことはないかと思います。試験会場に集まる人は至って穏当な人たちばかりでございますし、憶えられない人も自分の体重や配偶者の顔くらいは憶えていることでありましょう。
ならば、どう違うのかといいますと、作業への考え方かと存じます。
憶えられないと言う人は、得てして、50個・100個を憶える方法を追い求めているのではないかと見受けられる次第でございます。
1つのことを真剣に憶えようとはせず、一足先に、50個・100個を求めているのでございます。
たった1つを憶えても仕方がない、と考えているのでございます。
確かに1つ憶えても合格に直接的には影響を与えないことでしょう。
しかし、1もできぬのに50個・100個の方法を求めても徒労に終わることでありましょう。
お勉強においては、明日の100より今日の50以上に、今の1が大切になってございます。
今の1をしっかりやりきることから、話は進んでいくのでございます。
上滑りの50よりも、まずはしっかりした1でございます。
つまらない50人と付き合うよりも、1人の愛を求める方が、賢明な人生であるかと存じます。
隣で寝ている人の顔をまじまじと見つめれば、ご理解頂けるかと存じます。
1をしっかりやっておくと、あとの伸びが違います。先ほどの愛の例でいうと、いつまでたっても愛が深まると申しましょうか、どんどん、実力や力が付いていくのでございます。
たった1しかできなくても、愚直に積み重ねていけば、1.5くらい、50%増しにはなるものでございます。
それでも続けていけば、1.5の50%で2.25くらいにはすぐにできるように、憶えられるようになるものでございます。
そうこうして、後はとんとん拍子に伸び行くものでございます。
ある程度実力が付けば、倍々で実力は伸びませんが、それでも最初の方に較べれば、遥かにたくさんのことを記憶に維持できるかと存じます。
テキストや問題集、過去問をしっかり憶えている人というのは、たくさん憶えていけるようになったのでありまして、最初から膨大な事項を憶える能力が備わっているわけではないのでございます。
ショートカットの効く所を効かない所に、鼻を利かせてくださればと存じます。

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