集中は、お勉強の奥義のひとつでございます。
集中せよ、集中せよ、と申しますが、それはなぜかといいますと、勉強の効率が高くなるからでございます。
気もそぞろの勉強と較べますと、集中状態のお勉強というのは、3倍以上の効率があるのでございます。
お勉強の効率とは何かと手短にいうと、憶えやすい、たくさん解ける、多くを読める、理解が早いといったことでございます。
集中するだけで3倍の効果があるということは、逆にいえば、3分の1の時間でひとつのことを済ませられるというわけでもございます。
お勉強の時間がなかなか取れないという人にも、集中というのは大事な技となってくるのでございます。
さて、では、集中している状態というのはどのようなものかといいますと、もやもやのない状態のことでございます。
邪魔が無い状態でございます。
わたくしたちの意識というのは、ほっておけばいくらでも拡散してしまうものでございます。
あらゆること、全方向に意識は飛んでいってしまうのでございます。
そして、意識の飛んだ先に興味や関心のあることにぶつかると、そこから思い為しが始まります。そうこうして、お勉強の時間に明日のおやつや次の外食時に何を食べようかと考え出すのでございます。
そう、いつものわたくしたちのお勉強になってしまうのでございます。
先ほどいいましたように、集中とはお勉強の奥義のひとつでございます。奥義というくらいですから、それを習得するのは実に難しいのでございます。
はっきりいってしまうと、集中を完全にマスターすることはできないでしょう。
集中力はあります、などとのたもう人が居りますが、ならばその人が集中状態にあるときに、たとえば、異性の写真であるとか、薫り高いコーヒーや見るからに上質のバターを使ったスフレを置いてみたり、3センチはある、じゅうじゅうと焼けている厚いステーキを見せたとしても、その集中を持続できるのか、と問い質してみることでございます。
おそらく、人間の根幹の欲に基づいた仕掛けを施されれば、忽ちのうちに集中状態など解けてしまうことでありましょう。
わたくしはパソコンやネットで学ぶ形式には最も縁無き者と考えております。それは、パソコンとネットの組み合わせは、あまりにも集中とは程遠い状態になるからでございます。気が付けば、世界のお菓子について調べているのでございます。
よく言われますように、集中など、30分ももたないといわれます。わたくしも、その通りであるかと思います。
わたくしたちの集中など脆いものでございます。
ですから、わたくしたちは、自分の集中など脆いものであるという点から、集中を見ていかなければならないかと存じます。
集中できるというのも、ひとつの才能なのでございます。
その才能が無い場合には、ないなりにやっていかねばならないのでございます。
凡人の集中のひとつとして、完全な集中を求めるよりも、まあ集中した状態に自分を持っていくことが肝要かと存じます。
次善の「まあまあの集中」を目指すべきなのでございます。「まあ集中」できる状況になるまでは、集中しないことでございます。
集中が効かない状況であるなら、その状況の改善と手当てを第一にすることでございます。
何か少しでも手立てを施しておけば幾分か緊張も和らいで、集中できる心持ちになるものでございます。
あたふたして、あくせくして、落ち着かないのに、集中しようとしないことでございます。
そんな、何時でも何処でもの集中は、達人の集中でございます。長き修行の果てに身に付く集中でございます。
わたくしたちは市井の人でありますから、そんなプロの集中など求めずとも良いのでございます。
まあまあに集中できる状態に持っていけば、3倍の勉強効果は享受できないかもしれませんが、まあ、2割3割り増しの勉強効果は入手できるかと存じます。
苦労の多い3倍増しのレバリッジの効いた集中よりも、債券投資に近い2割3割り増しの集中で手を打つのが、賢明であるかと考える次第でございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年12月5日 11:16 AM |
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人間、よほどのことがない限り、困らないものでございます。
困りに困り切るというのは、本当にめったにありません。
突然数億の手形がまわってくることも、急に財産のすべてが無価値になるということもありませんし、命が狙われるということもないことでありましょう。
大体のことにおいて、極めて困るということはないのでございます。生き死に病、借金・負債くらいでありましょう。
前者はコントロールが効きませんが、後者は効かせられるので、ま、自業自得であります。バクチは場で朽ちると申します。
正直申しまして、困った顔ができるというのは、まだ状況に余裕のある証拠でございます。
うーん困ったと考え込む程度のことなど、本式には困ったことではないのでございます。
お勉強というのは、決して大層なものではないのでございます。
練習してみてあれこれ試して、実践して繰り返していけばよいだけのものでございます。
そこには、何ひとつ困ることはありません。
なのに、暗い顔、つまらない顔、苦虫を噛み潰したような顔をする人が少なくないのでございます。
大病を抱えたり、または、抱えたことがあったり、事故で生死の境目や死線を越えた人ほど、笑ってございます。
こちらがはっとするほど屈託のない笑顔をするものでございます。透き通る笑顔と申しましょうか、笑ってございます。
記憶に残る笑顔をするものでございます。
絶望的としかいいようがないのに、笑ってございます。
鏡を見て、ほっぺたが落ちていたり、にこやかでない困り顔をしているときは、まだまだ余裕がある証拠でございます。
困れるだけ、余裕があるのでございます。
どうしようもなくなったとき、人は笑うしかございません。
そうして、運命と状況を甘受していくものであると考える次第でございます。
そこに人間の幅ができると申しますか、処理能力が増えると申しますか、一回り大きくなるように思うのでございます。
自戒を込めて、苦虫顔・困り顔にはなるまいと思っている、昨今のわたくしでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年12月4日 10:07 AM |
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劣等感というのは、無いものねだりから始まるのでございます。
背が低いのに、高くしようとすることから生まれるのでございます。
足が遅いのに、自分は速いと思うことから生じるものでございます。
何であっても、まずは、正しい穏当な現状認識から始まるものでございます。
釦(ぼたん)を掛け違うと、どのみち最初からやり直さなければなりません。
善悪・正誤は別にして、どこぞに置いておいて、まずは自分の立ち位置を把握することが、問題の達成や解決の的確な方策であるかと存じます。
劣等感というのは、もっていれば発奮の材料にはなりはします。
しかしながら、徹底した諸刃の剣でもございます。
がんばるため・やる気を出すバネにはなりますが、劣等感のベースは感情にございますから、理知的・理性的なものではなくなってしまいます。
結局、好調なのは一時だけで、人生は良くはない方向に進むか、回りに迷惑をぶっ掛けまくるのが落ちであろうかと存じます。
劣等感というものは劇薬であります。効きはしますがわが身を損ないも致します。
できるだけ蓋をして戸棚の中に入れて使わないようにするのが、賢明というものでありましょう。
お勉強、特に独学というものに至っては、自分の現状こそが勉強の土台でございます。
そこんところをしっかり意識しないといけません。
できるものはできる、できそうにないものはできないと正しく見ることでございます。
そして、そこから、やること云々を考えていかねばなりません。
できそうなものなら短い時間や労力を見ておけばいいでしょう。しかし、全く苦手なものや寡聞な事柄については、しっかり時間を取っておかねばならないでしょう。
自分の土台を間違わないことでございます。
ほとんどの人が1週間や1ヶ月で仕上げるものであっても、もし、あなたが苦手であるなら、もっと時間をかけて2ヶ月3ヶ月、半年の時間を費やしても、独学では良いのでございます。
逆に、この期間内でできなければ!とアタフタしてできないにも拘らず駆け足で済ましてしまう方が、更に事態を悪化させるものでございます。
お勉強で大事なことは、「できた!」という感じでございます。
ひとつかふたつでもできる実感を味わうと、今後のお勉強の勢いはぐんと弾みます。
これまでの低成長が嘘のように、ぐんぐん伸びるものでございます。
結局、できずにいたために多くかかっていた時間はとんとんになるといいますか、先々のペースのアップで賄えるものでございます。
再度申し上げます。
釦の掛け違うと、最初からのやり直すか方法は残されておりません。
ゆっくりでも結構でございます。確実に、自分の一歩を歩んでいくことが誤り少なき道なのでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年12月3日 10:40 AM |
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