基本的に、お勉強は継続が大切でございます。
1日にドカンと100ページ進めて、後の10日を何もしないよりかは、1日に10ページ弱進めていった方が記憶には残りやすいのでございます。
しかし、継続が大事といわれても、なかなかに厄介な問題でございます。
そう、単純に続かないのでございます。
己を知る、というと実に大げさでございます。しかし、多少は己の事情を知らないと続いていかないのでございます。
ペースをつかむというのは、実に大事でございます。そして、このペースとは、実に個人的な問題でございます。
ある人はこれだけできようとも、自分がその半分くらいしかできないのであれば、その半分のところからペースメイキングをしていかなければいけないのでございます。
実力面のみの話ではございません。
基本的な生活の成り立ちや仕事の忙しさ加減等々も踏まえて、ペースを見ていかなければいけません。
当たり前の話ですが、人によって時間の性質というのは全く異なります。
時間のある学生が言う、「○章は1週間でできる」の1週間は、社会人や乳飲み子を抱えた人の1週間とは別物でございます。
ですから、形式的な数字や情報を追いかけるよりも、まずは自分のペースからお勉強を組み立てていくべきなのでございます。
そうであるのに、自分のペースを無視して無理できついお勉強をするからこそ、2週間後には破綻が待っているのでございます。
まずは、自分のペースをつかむことでございます。
これならできる、くらいから始めることでございます。
ペースをつかんでから、段々と量を増やしたり勉強時間や機会を増やしていけば良いのでございます。
調子に乗る、という言葉がございますが、いい調子に乗れば、最初の方の勉強時間の少なさや遅い歩みなど、あっという間に取り返すことが可能でございます。
わたくしたちの作業量や勉強量は、実力の伸びに比例して増えていくものでございます。
やっていけば伸びるのでありますから、無理やりギリギリと脂汗を流してまですることはないかと存じます。
もちろんのこと、ペースをつかんだからといって、そのペースがすべてではありません。
調子に乗って実にお勉強が進むときは、これを機にどんどん進めていけばいいでしょう。そういう、ぐんと実力が伸びるボーナスタイムというのはございます。
逆に、調子の悪いときには、ゆっくり目遅めでいくことでございます。また、難しいところ、全く知らないところ、これまでの経験が通用しないところでも、ペースを遅くしてやっていくことが肝要であるかと存じます。
ま、簡単にいえば、難所はゆっくりやれ、でございます。
お勉強でも緩急をつけられるようになれば、大分実力が身に付いたといえましょう。
やるべきときにはやり、やらないときにはそれほどやらない。
単にそれだけのことなのですが、うまくことを運ぶエッセンスが詰まっているかと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年12月8日 11:34 AM |
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集中は、お勉強の奥義のひとつでございます。
集中せよ、集中せよ、と申しますが、それはなぜかといいますと、勉強の効率が高くなるからでございます。
気もそぞろの勉強と較べますと、集中状態のお勉強というのは、3倍以上の効率があるのでございます。
お勉強の効率とは何かと手短にいうと、憶えやすい、たくさん解ける、多くを読める、理解が早いといったことでございます。
集中するだけで3倍の効果があるということは、逆にいえば、3分の1の時間でひとつのことを済ませられるというわけでもございます。
お勉強の時間がなかなか取れないという人にも、集中というのは大事な技となってくるのでございます。
さて、では、集中している状態というのはどのようなものかといいますと、もやもやのない状態のことでございます。
邪魔が無い状態でございます。
わたくしたちの意識というのは、ほっておけばいくらでも拡散してしまうものでございます。
あらゆること、全方向に意識は飛んでいってしまうのでございます。
そして、意識の飛んだ先に興味や関心のあることにぶつかると、そこから思い為しが始まります。そうこうして、お勉強の時間に明日のおやつや次の外食時に何を食べようかと考え出すのでございます。
そう、いつものわたくしたちのお勉強になってしまうのでございます。
先ほどいいましたように、集中とはお勉強の奥義のひとつでございます。奥義というくらいですから、それを習得するのは実に難しいのでございます。
はっきりいってしまうと、集中を完全にマスターすることはできないでしょう。
集中力はあります、などとのたもう人が居りますが、ならばその人が集中状態にあるときに、たとえば、異性の写真であるとか、薫り高いコーヒーや見るからに上質のバターを使ったスフレを置いてみたり、3センチはある、じゅうじゅうと焼けている厚いステーキを見せたとしても、その集中を持続できるのか、と問い質してみることでございます。
おそらく、人間の根幹の欲に基づいた仕掛けを施されれば、忽ちのうちに集中状態など解けてしまうことでありましょう。
わたくしはパソコンやネットで学ぶ形式には最も縁無き者と考えております。それは、パソコンとネットの組み合わせは、あまりにも集中とは程遠い状態になるからでございます。気が付けば、世界のお菓子について調べているのでございます。
よく言われますように、集中など、30分ももたないといわれます。わたくしも、その通りであるかと思います。
わたくしたちの集中など脆いものでございます。
ですから、わたくしたちは、自分の集中など脆いものであるという点から、集中を見ていかなければならないかと存じます。
集中できるというのも、ひとつの才能なのでございます。
その才能が無い場合には、ないなりにやっていかねばならないのでございます。
凡人の集中のひとつとして、完全な集中を求めるよりも、まあ集中した状態に自分を持っていくことが肝要かと存じます。
次善の「まあまあの集中」を目指すべきなのでございます。「まあ集中」できる状況になるまでは、集中しないことでございます。
集中が効かない状況であるなら、その状況の改善と手当てを第一にすることでございます。
何か少しでも手立てを施しておけば幾分か緊張も和らいで、集中できる心持ちになるものでございます。
あたふたして、あくせくして、落ち着かないのに、集中しようとしないことでございます。
そんな、何時でも何処でもの集中は、達人の集中でございます。長き修行の果てに身に付く集中でございます。
わたくしたちは市井の人でありますから、そんなプロの集中など求めずとも良いのでございます。
まあまあに集中できる状態に持っていけば、3倍の勉強効果は享受できないかもしれませんが、まあ、2割3割り増しの勉強効果は入手できるかと存じます。
苦労の多い3倍増しのレバリッジの効いた集中よりも、債券投資に近い2割3割り増しの集中で手を打つのが、賢明であるかと考える次第でございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年12月5日 11:16 AM |
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人間、よほどのことがない限り、困らないものでございます。
困りに困り切るというのは、本当にめったにありません。
突然数億の手形がまわってくることも、急に財産のすべてが無価値になるということもありませんし、命が狙われるということもないことでありましょう。
大体のことにおいて、極めて困るということはないのでございます。生き死に病、借金・負債くらいでありましょう。
前者はコントロールが効きませんが、後者は効かせられるので、ま、自業自得であります。バクチは場で朽ちると申します。
正直申しまして、困った顔ができるというのは、まだ状況に余裕のある証拠でございます。
うーん困ったと考え込む程度のことなど、本式には困ったことではないのでございます。
お勉強というのは、決して大層なものではないのでございます。
練習してみてあれこれ試して、実践して繰り返していけばよいだけのものでございます。
そこには、何ひとつ困ることはありません。
なのに、暗い顔、つまらない顔、苦虫を噛み潰したような顔をする人が少なくないのでございます。
大病を抱えたり、または、抱えたことがあったり、事故で生死の境目や死線を越えた人ほど、笑ってございます。
こちらがはっとするほど屈託のない笑顔をするものでございます。透き通る笑顔と申しましょうか、笑ってございます。
記憶に残る笑顔をするものでございます。
絶望的としかいいようがないのに、笑ってございます。
鏡を見て、ほっぺたが落ちていたり、にこやかでない困り顔をしているときは、まだまだ余裕がある証拠でございます。
困れるだけ、余裕があるのでございます。
どうしようもなくなったとき、人は笑うしかございません。
そうして、運命と状況を甘受していくものであると考える次第でございます。
そこに人間の幅ができると申しますか、処理能力が増えると申しますか、一回り大きくなるように思うのでございます。
自戒を込めて、苦虫顔・困り顔にはなるまいと思っている、昨今のわたくしでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年12月4日 10:07 AM |
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