わたくしの不合格の体験や失敗の経験を思い返してみると、変な力みがありました。
逆に、うまくいったときというのは、程よく力が抜けていたように思います。
気負うということは大事なことでございます。
どうでもいいやといった風に、お勉強の結果に無頓着であれば、お勉強に張り合いがあるわけがありません。
そんな緊張感のないお勉強では、早晩に挫折することでありましょう。
しかし、あまりに気負い過ぎるのも問題でございます。過度の気負いの原因として、合格のプレッシャーがあるかと存じます。
「合格する!」「合格するんだ!」という前向きなプレッシャーは、良質で日々のお勉強の発奮ややる気の維持となるものでございます。
しかしながら、「合格しなくちゃ」「合格しなければ」と考え出すと、ずっしりと重い錘となって参ります。
しなくちゃ、という考えの裏には、合格して当然、合格して当たり前、という考えがございます。
できて当たりまえ、というのは、ご経験のある方でしたらプレッシャーの強度は桁外れて高いものがございます。
こんな数字は当たり前、こんなことをしても当たり前、このくらいのことはできて当たり前、という状況に陥りますと、「こんな」をしっかりこなすことや良い仕事をすることは後ろに隠れてしまい、ひたすら、達成と成功のみを追求せざるを得なくなってしまいます。
人を指導するときや接するときには、「当たり前」を前面に出さないようにするのが賢明であるかと存じます。必ず下手を打つか、先々に凄まじい非効率さ、進展のなさとなって現われて参ります。
どうしてこんなことに?、の裏には「当たり前」の姿ありでございます。
せっかく良い仕事をしたのに、こんなことして当たり前みたいな顔をされれば、これからあなたは、良い仕事分の「良い」をやらなくなることでしょう。
やられて嫌なことは、やらないことが賢明であるかと存じます。
犬ころでさえ、投げたボールを咥えて戻ってきたときに撫でないと、ボールを口から離さないようになると申します。畜生ですらこうなのですから、況や人をばでございます。
変な力みが生じるのも、こうした「当たり前」意識に由来するものではないかと考えている次第でございます。
世の中、当たり前のことというのは、早々にはございません。
水道ガス電気が当たり前に出たりつくようになったのも、この20〜30年の話でございます。断水停電当たり前の時代が日本にもあったのでございます。
もし、お勉強が捗らず、また、やる気があまりないようであれば、心中の当たり前感の有無をお確かめくださればと存じます。
中には、べっとりと、質の悪いラードのように、この「当たり前」が心にへばり付いている方も居られるでしょう。
そんな余分な重さは捨てることでございます。
力みすぎより、力が程よく抜けた状態の方が、お勉強は絶対にうまくいきます。もちろんのこと、合格も近づいて参ります。
少しずつで結構でございます。当然感を薄めていってくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年12月19日 11:49 AM |
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やったりやらなかったりが、お勉強の日常ではないかと存じます。
もちろんのこと、やった方がいいに決まっております。
とはいえ、なかなか、頭ではそうわかっていても、できないものでございます。
頓知というか詐欺まがいといいますか、小理屈・へ理屈ではありますが、やることを楽にする方法はございます。
それは、楽になるまで続けることでございます。
なんだそりゃという落胆の声が聞こえそうでありますが、やはり、楽にするにはこれしかないような気が致します。
お勉強というのは、動き出すまでが大変なのでございます。
いうなれば、試験勉強の序盤あたりが最も苦しいのでございます。
劇や芝居と違って、お勉強は最初にクライマックスが来るのでございます。
最初のこるは、えいやおーと気合に気合を、活に活を入れてでないと、お勉強に立ち向かえないものでございます。
しかし、ある一定の線を越えると、まるでベテランの事務職員のように、今日は○○と××をするのね、みたいな感じに、たんたんとお勉強をこなしていけるようになるのでございます。
習慣化されたというか、やることが既成事実と化したといいますか、ほんとうに、自然にお勉強に向かえるようになるのでございます。
いうなれば、お勉強は中盤や終盤の方が楽なのでございます。
お勉強というのは、台車の上に巨大な岩石がのっかている情景を想像してくださればと思います。
こうした重い荷物を運ぶときは、最初にどれだけ力を込められるか、その力を維持できるかにかかってまいります。
中途半端な力では疲労するばかりで、余計にしんどくなるのでございます。
最初に大きな力を込め、途中までその力を維持すること、これが肝要でございます。
そうこうしていくと台車の車輪の回転は良くなり、勢いもついて、最初のときよりも少ない力で、台車は動いていくのでございます。
台車を押すときに「よいしょ!」と声を出しますが、動き出したら声を発しないかと存じます。
再度申します。お勉強は動き出すまでが大変でございます。
逆にいえば、動き出すようになれば楽になるということでございます。もっと逆にいえば、最初のしんどい期間をどう凌ぐかが、お勉強のコツであるのでございます。
最初さえ凌げば、何とかなってしまうのです。
最初の頃にお勉強に挫折すると再開はほとんど無いといっていいのですが、中盤以降ともなれば、1回や2回挫折しても、意外にすんなりお勉強に戻る人が多いように存じます。
続けることさえできれば、挫折リスクも低くなるのでございます。
では、最初のしんどいときを越えるにはどうしたらいいかというわけでございます。
それは、今サボると先々余計にしんどくなるという観点から、現状を分析することでございます。
「ここでサボると振り出しだ」と紙に書いて張っておくのも良いかと存じます。
勢いに乗れば、今の3割減の力でも、お勉強をこなしていくことが可能です。
ですから、先の楽チンモードを享受するために、今だけがんばること、淡々とこなしていくことでございます。時間がなくても、少しでも見ておくこと、テキストを開くことでございます。
お勉強の事実として、先になれば必ず楽になってまいります。それを信じて目の前のことにご尽力くださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年12月18日 11:26 AM |
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愕然としたことがございます。
わたくしは成年男子でございますが、ずーと成年男子は「2,500kカロリー」で過ごせば太らないと信じておりました。
しかし、この2,500kカロリーとは、激しい運動や肉体的な業務に従事している人が2,500でありまして、わたくしのような、パソコンの前で過ごすことの多い者のカロリーではなかったのでございます。
そら、1年前のズボンがきつく(履けなく)なるわなと、納得を深めた次第でございます。
これまで、何号から何号に変わったなどと、サイズを気にする女性を鼻でせせら笑ってまいりましたが、着れた服が着られなくなるというのは、意外にショックが大きいのだとわかった次第でございます。
己の無知さ加減と配慮のなさに赤面すること甚だし、でございます。
人間、1,700kカロリーあれば、十分に生きていけると申します。もちろん、肥満も、内臓脂肪も、生活習慣病もございません。
ちなみに、生活習慣病とは旧成人病のことでありまして、これまでは成年以後の病気だったのに、子供を含めた全世代に広まったために、このような名称になったのでございます。
いま、近くに○○ボンのチョコチップクッキーの残骸がございます。
昔、そばかけというものがございまして、おそばをいくら食べれるかを賭け合うのでございます。おそばというものは、意外にたくさん食べれるものでして、大食の方は、水を飲むかのようにすらすらと食べてしまうとのことでございます。
いうならば、わたくしは、お菓子かけとでもいいましょうか、あっという間にすうっとお菓子を食べきってしまうのでございます。まさに、飲むかのように、でございます。
600k近くあるカロリーのクッキーを1箱、5分弱で煙のように食べてしまうのですから、そら、太るわな。
というわけで、お菓子断ちをしつつ、年末年始の食べ過ぎに備えるためにも、散歩にいそしんでいるわたくしでございます。
散歩というのは、摂取カロリーの消費と体力づくり、そして、気晴らしの3つの利点がございます。
歩くというのは、あまりカロリーを消費しないものと考えている人が居られるかと存じます。やせるためには走らねばならないと考えている人も居られるかと存じます。
しかし、時間当たりのカロリー消費は散歩もランニングもほとんど変わりません。ランニングは筋肉が付くために、痩せやすい身体になる点に特徴がありまして、運動そのもので消費するカロリー量はそんなに差がないのでございます。
ですから、走るには億劫でも、歩くだけでもカロリーは消費できる意のでございます。
散歩の体力づくりの面も、お勉強にとって重要な役目を果たします。
お勉強には体力など要らないと考えている人も居られるかと思いますが、ひとつの姿勢を長時間取るというのも、しんどいものでありまして、体力を必要と致します。
お勉強用の、長い時間の作業に耐える体力は、散歩のような時間をかける運動で涵養するのが、適していると考える次第でございます。
また、日々のお勉強の気晴らしにも、散歩は適してございます。
お勉強は頭を酷使するので、頭に血が登りがち、うっ血しがちでございます。
ですから、散歩という軽い全身運動で、血流を負担少なく散じていくのでございます。
散歩から帰ってくると、頭も幾分かスッキリしてございます。
このように散歩にはさまざまな効能がございますので、歩けるところは歩いていき、お勉強と健康の一助としてくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2008年12月17日 10:14 AM |
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