やろうと思っていること、やらなくてはいけないことが明白かどうか、まずはそれを調べることが先決であるかと存じます。
中心部分がしっかりしていないと、以後の作業はグダグダになるものでございます。
コンセプトが曖昧な芝居や映画は、えてしてダメでございます。どれだけ演出や音楽が優れていても、悪く言えば、それらでごまかそうとしても、駄作にしかならないものでございます。
開幕5分で心をつかめなかった作品は、例外なくほぼ駄作で終わります。
タイトルすら憶えられずに消え去る作品となるものでございます。
こいつはダメだと、最初の5分で何度思ったことか、苦い経験を皆様お持ちであるかと存じます。
期待するのは結構疲れるので、今後の鑑賞に用立たせてくださればと存じます。
さて、お勉強についてでございます。
基本的に、やるべき対象とやるべきことの内容が曖昧であれば、お皿が宙に浮かぶくらいに考えても、徒労に終わるものでございます。
もう子供ではありません。
仕事であれ、家事であれ、やるべき対象とやるべきことが明確であれば、できるものでございます。
できないときというのは、よくはわからないもの、よく知らないものを、知ったようにわかっているかのように振舞うときによく起きるのでございます。
全くできないことには、多少距離を取って棒で突くなり、軽く一当てするなどして、いきなり完成させてやろうとかやりきってやろうとかを夢にも思わないものでございます。
やるべき対象とやるべきことが曖昧であるからこそ、うまくいかないことにご理解頂ければと存じます。
きちんと段取りを決めずに作業に臨むから、気持ちは空回りしてその場で地団駄踏むかのような結果になってしまうのでございます。
2:8の法則と呼ばれるものがございます。
全体のうちの重要な2割の部分に時間と作業をしっかり割けば、残る8割など終わったも同然となる法則のことでございます。
やるべき対象とやるべきことをはっきりさせることは、この法則の「2」の部分でございます。
何をするのかはっきりさせること、目標をしっかり定めること、曖昧なところをなくすこと、これらは諸作業の基本であるかと存じます。
うまくいかないときは、自分が闇雲に作業に臨んでいないか、やるべきことを舐めて呑んでいないかをご確認くださればと存じます。
少し作業の力点を変えるだけで、進捗はスムーズと相なります。
やるべき対象とやるべきことに曖昧さが含まれていると、その作業時間は棒に振るとお考えくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年1月20日 11:16 AM |
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怒りと恨みという2大感情は、持たないほうが良いといわれてございます。
これらふたつの感情を抱いていると、身体のほうが悲鳴をあげるからでございます。
何かに怒ると、頭がかあっとするというのは、適当な形容詞・擬態語であるかと考えます。
その言の通りに、頭が熱くなって血管がぴくぴくするのを体感できるかと存じます。
そう、怒ると血の巡りが良くなり過ぎてしまい、おそらくは、血管や心臓の負担が急激に高まるのでございます。
怒ったときに深呼吸をしてくださればと存じます。
息の調子と心拍が普段と全く違うことに気づくかと存じます。
いったん怒りの状態に入ると、呼吸も息も荒々しく変わってしまい、元に戻そうとしてもなかなかうまくいかないのでございます。
元の状態に戻るのには、結構な時間がかかることを発見するかと存じます。
怒りっぽい人は早死にするといいますが、さもあらん、と思えるような心身の状態になることを、お確かめくださればと存じます。
さて、上記の怒りは本当にわかりやすいのですが、身体で恨みを体感するのは難しいものがございます。
恨みというのは、内にこもる点が特徴であるかと存じます。
ある意味、怒りとは外に向かって発奮されるのですが、恨みとは、しんしんと中へ中へ、内へ内へと入っていくような感じが致します。
恨みが身体に好くないのは、どんどんと、発散されないエネルギーが身体に溜め込まれていくことでありましょう。
ガソリンや灯油入りのポリタンクを家に買いこんでしまっていくようなものでありまして、おちおち、タバコも喫えないかと存じます。
わずかな火の不始末で爆発する危険性は言うまでもありません。
この爆発が発病に当たると考えれば、シックリ来るのではないかと存じます。
しかしながら、これら怒りと恨みは、全く無駄ではないのでございます。
意味や効用があるからこそ、人体に備え付けられている機能ということができましょう。
料理でたとえるなら、怒りや恨みは香辛料の類と考えてもよろしいかと存じます。
スパイスを効かせ過ぎると料理はダメになってしまいますが、全く無いとそれはそれでおいしさは半減するものでございます。胡椒のないステーキというのも、あれかなあと。
怒りも恨みもスパイス程度に、時には摂取することをお勧めしたく存じます。
たとえば、グダグダした日が続いたり、気力が続かない日が続いたり、入ってはいけないのにのん気モードになってしまったときなどでございます。
こうした時には、なぜ、自分はお勉強を志したのか、どうして、勉強しようかと思ったのか、その原点に立ち返っていただきたく存じます。
(あのクソガキ、しゃあしゃあと)とか、(あのダボ、ぬけぬけと言いよる)とか、(この恨み晴らさでおくべきか)など、かつて在りしことを思い出すのではないかと存じます。
ありありとそれらの日を思い出せば、次第に心がふつふつとたぎってくるのではないかと存じます。
やってやれないことはない!と、猛烈に意識が固まっていく自分を発見するかと思います。
時には怒りや恨みに身を任せ、原始的なパワーを取り戻すのも方便であるかと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年1月19日 11:17 AM |
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基本的に、テキストとは読み難いものでございます。
というのも、誰かの教授・授業を前提に作っているテキストが多いからでございます。
そして、それらを無思考でコピー・ぱくったテキストが後を続きますから、こうしたテキストがますます流布されていくのでございます。
わたくしは、授業用向けに作られているテキストを「教科書風テキスト」と読んでいる次第でございます。
つまり、そのテキストは、内容が誰かに補足され、例証され、例えを述べられ、多少冗談交じりの解説が加わって、最大の効果が発揮されるように作られているのでございます。
逆にいえば、教科書風テキストは、それらのものがない場合は、実に読み難いといえるのでございます。
教科書風テキストを普通の感覚で1ページ目から、いくら真剣に読んでいっても、よくて10ページ、根気のある人でも30ページで読みは止まってしまうことでしょう。
なんなれば、テキストの記述は「誰かの補足」あってこそ完全になるものでございます。
多少の前提知識や経験等がなければ、到底読みえないものになっているのでございます。
即ち、意図的に何らかの記述が省かれているからでございます。
そんな穴ぽこだらけの文章を読んでいくと、1時間で脳はオーバーヒートすることでしょう。
また、テキストには初心者にはわからない、理解不能の用語・語句で埋まっております。
そして、テキストを読むようになるには、ごいに慣れる必要もございます。さらに骨が折れることでしょう。
ますますもって、テキストとは読み難いものであることをご理解いただければと存じます。
わたくしたちは、独学で進めますから、こうした教科書風テキストからは距離を取るほうがよろしいかと存じます。
わたくしたちが必要とするのは、独学に適したテキストでありまして、それは、探さなければ見つからない代物でございます。
また、教科書風テキストとはいえ、いろいろ補足説明があったりして、独学の用にも絶えうるものも当然ございます。
そうした、独学でもできそうなテキストを買うことが教材選択の要でありまして、有名どこだからとか、たくさん積まれているとか、人気があるからで買ってはいけないのでございます。
独学とは頼りになるのは自分のみでございます。
最初から何かを頼っていては早晩、ちょっとした困難で根を上げるのではないかと考える次第でございます。
テキストを探す努力は、独学で行く以上は省かぬようにお願いする次第でございます。
ま、経験者なら多少手間をかけて探しても、必ずあとで功徳が返ってくることを知ってございます。
至らぬテキストでのお勉強ほど、骨の折れるもの、徒労の多いものもございません。
結局、探して自分に適したものを使うのが効率的であることをご理解いただければと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年1月16日 11:05 AM |
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