独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

やる気と掛け算

お勉強とは基本的に、絶対に必要なことではありません。
別にやらなくても、一家四人が路頭に迷うこともありませんし、電気・ガスが止められるわけでもありません。
なくても別に構わない、それがお勉強の真実であるかと存じます。
ほかにしたいこと・やりたいこともありましょう。また、単純にしたくないこともありましょう。ぼーと過ごしたいときもありましょう。
お勉強というのはだんだんとやらなくなったり、突然しなくなったり、油断をすると机から遠ざかっていくものでございますが、その理由は上記のような、絶対的には必要ではない事情があるからでございます。
無人島に幽閉されるときに、何を持っていくかといわれ、テキスト・問題集と答える人が絶無であることを意に浮かべればご理解していただけるかと存じます。
基本的に生存に必要ではないことをやるが故に、やる気や意欲というのは即断になくなっていくのでございます。
このためか、やる気や意欲というのは、気付いたらマイナスになっていることも多くございます。
テキストを見たくもない、問題集を触りたくもない、どうしてもしたくないといったような状態ともなれば、やる気がマイナスであると考えてもよろしいかと存じます。
このときが肝心でございます。
お勉強における調子と時間の関係は掛け算でございます。
つまり、やる気が「マイナス1」であれば、2時間、3時間とやったお勉強の結果は、掛け算ですから「−1*2」「−1*3」で、マイナスになってしまうのでございます。
余計に悪くなってしまうのでございます。
怪我をしているのに無理をして、更に悪化させるのと同様の理屈と申せましょう。
無理をしたお勉強が長期のスランプの原因になったり、お勉強そのものの中断へ誘うのは、やる気がマイナスなのに掛け算をしたからでございます。
やる気がマイナスのときは、逆でございます。そう、マイナスを掛けてやらねばいけないのでございます。
お勉強というのは、やらないほうが良いときもあることを、意識の片隅にでも置いてくださればと存じます。
やる意欲がマイナスのときにお勉強時間をマイナス1時間、マイナス2時間とすれば、掛け算ですから、最終的には「プラス」へと転じていくものでございます。
全くやる気が出ない、見る気もしなくなったときは、無理なお勉強はせずに、何かで生気を養いやる気を取り戻すようにした方が、最終的にうまくいくのでございます。
動機付けや自己管理といった類のものは、己を駆り立てるのみのものではございません。
「やる意欲がマイナスのときにはやらないほうが賢明である、なぜなら掛け算であるから」と、ちゃんとした自己の管理を施してくださればと存じます。

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ほかごとでも

お勉強に限らないことでございます。なんでも最初が難しいもの、大変なものとなってございます。
最初に職場に立ったときのことを思い出してほしく存じます。
1日目はぐったりと、3日経っても気疲れして、1週間はひどく疲れたのではないかと存じます。
まだまだ慣れは致しません。1ヶ月経っても、3ヶ月経ってもなかなかに疲れは引かないものでございます。
半年ほど経って漸く仕事にも慣れ、余暇を過ごす余裕も生まれてくるのではないかと存じます。
最初は簡単に見えていても、いざやってみると、見えなかった問題点が噴出しててんやわんやするものでございます。
最初の方は何かと手を焼き、うまくいかないことが多いかと存じますす。
大変であるからこそ、作業の難易度、量を見据え、自分の能力、経験、その他お勉強の進み具合を勘案して、現状の認識をしてくださればと存じます。
さて、これをお読みの方の中には、大変だからこそ「やれ」といわれた方もおられるかもしれません。
確かにその言は、一理どころか百理ある処世訓でございます。
大変なものは嫌でありますから、距離を取っていたりぐずぐずしていると、余計に嫌が募るものでございます。
イヤイヤ感が溜まりに溜まると、作業そのもの、お勉強自体を放棄することになりかねないのでございます。
だからこそ、大変なときこそ逃げずにやれという言があるのでございます。
この言は、100人中98人は賛同する正論でございます。
しかしながら、わたくしは、それもそうだが100%ではないと考える次第でございます。
一時、「がむしゃら」という言葉がもてはやされたときがございます。
確かに、歩兵を敵の要塞へ突撃させるためには、「がむしゃら」が指導方針として適切でありましょう。
しかし、いまどきそんな作戦案を提出する将官などございません。
そんな作戦を認可した政治家は次の選挙で落ちるのは目に見えているからでございます。
もっと被害の少ないやり方はないのか、それを考えるのが昨今の将官の役目であるかと存じます。
大変なときの行動は大切ではありますが、何か、壁にたまごをぶつけるような空しさや徒労感をもつようになったときは、がむしゃらではよくないサインでございます。
大変であれば、そこから逸れてみるのも一策であるかと考えます。
うまくいかないなら、どうしたらうまくいくかと考えてみたり、別のやり方はないかと模索するのもよいでしょう。
同じことでもやり方を変えると、ぐっとやり易くもなりますし、また、新鮮さも違うものでございます。
5分でテキストを何ページ読めるか、過去問1年分を復習まで含めて何分でできるか、30分でできないかなど、時間で作業を区切るのも一手でございます。
また、あーして、こーしてと今後の学習計画を立てるだけでも、良いかと存じます。
計画作りは、息抜きにもなるうえに、これからの進捗を踏まえるうえで重要な作業でもあります。
実行や行動は大切ではありますが、それがすべてではありません。
間違ったこと、誤ったこと、方向がそれている、などなど、ダメに向かって実行・行動しても無駄でございます。
やれ!やれ!と自分を駆り立てるような真似もほどほどにするのが肝心であるかと存じます。

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曖昧だと

やろうと思っていること、やらなくてはいけないことが明白かどうか、まずはそれを調べることが先決であるかと存じます。
中心部分がしっかりしていないと、以後の作業はグダグダになるものでございます。
コンセプトが曖昧な芝居や映画は、えてしてダメでございます。どれだけ演出や音楽が優れていても、悪く言えば、それらでごまかそうとしても、駄作にしかならないものでございます。
開幕5分で心をつかめなかった作品は、例外なくほぼ駄作で終わります。
タイトルすら憶えられずに消え去る作品となるものでございます。
こいつはダメだと、最初の5分で何度思ったことか、苦い経験を皆様お持ちであるかと存じます。
期待するのは結構疲れるので、今後の鑑賞に用立たせてくださればと存じます。
さて、お勉強についてでございます。
基本的に、やるべき対象とやるべきことの内容が曖昧であれば、お皿が宙に浮かぶくらいに考えても、徒労に終わるものでございます。
もう子供ではありません。
仕事であれ、家事であれ、やるべき対象とやるべきことが明確であれば、できるものでございます。
できないときというのは、よくはわからないもの、よく知らないものを、知ったようにわかっているかのように振舞うときによく起きるのでございます。
全くできないことには、多少距離を取って棒で突くなり、軽く一当てするなどして、いきなり完成させてやろうとかやりきってやろうとかを夢にも思わないものでございます。
やるべき対象とやるべきことが曖昧であるからこそ、うまくいかないことにご理解頂ければと存じます。
きちんと段取りを決めずに作業に臨むから、気持ちは空回りしてその場で地団駄踏むかのような結果になってしまうのでございます。
2:8の法則と呼ばれるものがございます。
全体のうちの重要な2割の部分に時間と作業をしっかり割けば、残る8割など終わったも同然となる法則のことでございます。
やるべき対象とやるべきことをはっきりさせることは、この法則の「2」の部分でございます。
何をするのかはっきりさせること、目標をしっかり定めること、曖昧なところをなくすこと、これらは諸作業の基本であるかと存じます。
うまくいかないときは、自分が闇雲に作業に臨んでいないか、やるべきことを舐めて呑んでいないかをご確認くださればと存じます。
少し作業の力点を変えるだけで、進捗はスムーズと相なります。
やるべき対象とやるべきことに曖昧さが含まれていると、その作業時間は棒に振るとお考えくださればと存じます。

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