独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

やり直し

独学のメリットとは、やり直しが効くという点でございます。
やり直すというと、何だか否定的な語感がして、禍々しい感じ・よくない気が致します。
しかし、やり直せるというのは「特権」であることを、よくよくご理解するのが良いかと存じます。
商売の損は一時の損、連れ合いの損は一生の損と申します。
商売で失敗し多額の負債を抱えても、なあにと発奮して、どん底から復帰なさる方は枚挙に暇がございません。
1億2億の借金などへっちゃらで、10億20億で酒が恋しくなり、100億あたりで夜よく眠れなくなるという豪の方もございます。
金銭上の損などほんに一時的なもので、取るに足らないものであるというわけでございます。
しかしながら、連れ合いの損は一生と申します。
下手な相手を選んでしまうと、物が物だけに苦労のしっぱなしでございます。
そして、「わ」「か」「れ」「る」の4文字で問題が片付くわけでもありません。
別れる方が一緒になるより数倍しんどいと申します。
何しろ、コノヤロウぶん殴ってやると常々思っている人を目の前に、憎しみと憎悪を抑えつつ、冷静かつ理性的に別れる手立てについて話し合いを持たねばならないのでございます。
どれほど自己管理パワーが求められるか、想像がつきかねるものでございます。
このハードな話し合いの場が嫌で、謎の同居人と仕方なく一緒にいる人が、きっとたくさん居られるかと存じます。
連れ合い選びで貧乏くじを引いてしまうと、数年・数十年が消失するくらいの無駄・徒労、永遠に続く気苦労を背負い込む羽目になるのでございます。
そのダメージたるや深刻で、別れたとしても、連れ合いの損は容易に取り戻すことはできないのでございます。この点、一発逆転や波に乗ることのある商売とは異なるのでございます。
商売にはいいときが必ずありますが、連れ合いの損はほとんどないものでございます。嫌なことばかり思い出すと申します。
さて、お勉強というのは、特に独学というのは、商売と同様にやり直しが効くものでございます。
もちろんのこと、やり直せるとはいえ、商売の損で人生を棒に振る方も多数ございます。
仕入れミスで多数の在庫を抱え、筋の悪いところから金を引っ張ってきて結果的に夜逃げしてしまい、人生の本道から外れてしまった人もおられます。
世の多くのしくじりは、あとで取り戻せないことの方が多いものでございます。
しかし、殊お勉強のしくじりというのは、いつでも、どこでも、意を決すれば可能なのでございます。
たとえ本試験の1ヶ月前であっても、やり直しが効くのでございます。
全てをやり直すのは、なかなかにできることではありませんが、商売や連れ合いのしくじりに較べれば、何てことはない屁のようなものでございます。
あ〜だめだなあとか、どうも泥縄だなあ、と思ったときには、「やり直し」を決断するときかもしれません。
一挙に最初から、それももくじレベルのことからやり直してみると、かつて見落としていたことや基礎・基本レベルの事柄がすらすらと頭に入っていき、あーこのあたりの認識不足が不調のもとだったのかも?!と思うことが多々あるかと存じます。
やり直すのに必要なのは、唯、覚悟のみでございます。
やり直せるのだから、1からやり直せば良いわけでありまして、他のしくじりや失敗に較べたら、月とすっぽん並みに難易度と困難の程度に差がございます。
ダメなときは、恐れずひるまず、やり直すことをお勧めいたします。

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感謝のしどころ

わたくしたちのやる気というのは、時に「やるけどやりたくない」といった状態になることもございます。
プラスかといえばそうでもなく、やる気がないのかといわわれれば、そうでもない状態。
がんばればがんばれるし、やれる。
さぼっても、後でいくらでも取り戻すことはできる。
お勉強以外に、取り立ててやることはない。
やりだしたらやるけど、それまでが長い。
挙げてみれば、こうした状態をプラマイゼロ状態とでも、言うことができるかと存じます。
こうしたプラスマイナス0の周辺をうろうろするのはお勉強の常でありますが、それが長引くと、あまり気持ちの良いものではないかと存じます。
こうした、気の晴れないスッキリしない状態をどうしたらいいかといいますと、感謝の気持ちを持つことでございます。
世の中のことは、大概のことはアハハと笑って済むことが多くございます。
誰かの小言や陰口などアハハで終わりでございます。
嫌な奴に会ってもアハハでございます。
間違ったものを買ったりお釣りを間違われてもアハハで事は済むのでございます。
アハハと笑ってみれば、何かしら気持ちに余裕が生まれるものでございます。
そして、その空いたスペースに、感謝の気持ちを注ぎ込むわけでございます。
基本的に、お勉強とは絶対的に必要なものではありません。遠い孔子様の時代から、綿々と続く伝統でございます。
しかしながら、考えてみれば、何かを学べる状況自体、恵まれていると見ることもできるのでございます。
目の前のテキストにひいひい言ってみても、昨年の今頃はインフルエンザにやられて虫の息であったと思えば、健康である我が身がありがたくなるものでございます。
苛酷な労働環境で日々の残業が6時間、家に帰れば寝るだけという生活では、お勉強のおの字もできないことでありましょう。
家族の誰かが病気で床に伏せっていれば、お勉強のできる心身状態を維持するのは難しいことでしょう。
ころころ入れ替わる馬鹿部下の指導に頭を悩ますこともなければ、無能な上司の尻拭いをしたり、傲慢な資本主(金主)に頭を下げなくても良いのでございます。
雪だるま式に増えていく借金に身震いし、働いても増えるのは借金ばかりという逃げ場のない状況下にあるわけでもありません。
そんなことを考えていけば、お勉強のできることがなんて幸運なのだと思えるかと存じます。
調子の良い悪い、進捗の早い遅い、理解できたできない、憶えた忘れた、などと考えられること自体が喜ばしいことなのでございます。
こうした根本的にある喜びを噛みしめてみれば、地をなめるような低空飛行状態から、いともたやすく脱出できるかと存じます。

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やる気と掛け算

お勉強とは基本的に、絶対に必要なことではありません。
別にやらなくても、一家四人が路頭に迷うこともありませんし、電気・ガスが止められるわけでもありません。
なくても別に構わない、それがお勉強の真実であるかと存じます。
ほかにしたいこと・やりたいこともありましょう。また、単純にしたくないこともありましょう。ぼーと過ごしたいときもありましょう。
お勉強というのはだんだんとやらなくなったり、突然しなくなったり、油断をすると机から遠ざかっていくものでございますが、その理由は上記のような、絶対的には必要ではない事情があるからでございます。
無人島に幽閉されるときに、何を持っていくかといわれ、テキスト・問題集と答える人が絶無であることを意に浮かべればご理解していただけるかと存じます。
基本的に生存に必要ではないことをやるが故に、やる気や意欲というのは即断になくなっていくのでございます。
このためか、やる気や意欲というのは、気付いたらマイナスになっていることも多くございます。
テキストを見たくもない、問題集を触りたくもない、どうしてもしたくないといったような状態ともなれば、やる気がマイナスであると考えてもよろしいかと存じます。
このときが肝心でございます。
お勉強における調子と時間の関係は掛け算でございます。
つまり、やる気が「マイナス1」であれば、2時間、3時間とやったお勉強の結果は、掛け算ですから「−1*2」「−1*3」で、マイナスになってしまうのでございます。
余計に悪くなってしまうのでございます。
怪我をしているのに無理をして、更に悪化させるのと同様の理屈と申せましょう。
無理をしたお勉強が長期のスランプの原因になったり、お勉強そのものの中断へ誘うのは、やる気がマイナスなのに掛け算をしたからでございます。
やる気がマイナスのときは、逆でございます。そう、マイナスを掛けてやらねばいけないのでございます。
お勉強というのは、やらないほうが良いときもあることを、意識の片隅にでも置いてくださればと存じます。
やる意欲がマイナスのときにお勉強時間をマイナス1時間、マイナス2時間とすれば、掛け算ですから、最終的には「プラス」へと転じていくものでございます。
全くやる気が出ない、見る気もしなくなったときは、無理なお勉強はせずに、何かで生気を養いやる気を取り戻すようにした方が、最終的にうまくいくのでございます。
動機付けや自己管理といった類のものは、己を駆り立てるのみのものではございません。
「やる意欲がマイナスのときにはやらないほうが賢明である、なぜなら掛け算であるから」と、ちゃんとした自己の管理を施してくださればと存じます。

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