独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

事前の予告

先だって、わたくしの行きつけのお店のシャッターが急に閉まったのでございます。
何の事前予告も、アナウンスもなく、でございます。
もちろん、シャッターには何の張り紙もございません。
あらあ、この店は潰れたのかあ、行くところがひとつ無くなってしまったなあ、とさびしく思ったものでございます。
しかし、そうではなかったのでございます。
シャッターを閉じたのは、単にお店の一部を改装するためで、10日後には営業を再開したのでございます。
営業再開までの間、何回かそのお店の前を通りました。
もちろんのこと、シャッターが閉まっておりますので、中に入ることはできません。
何回か通るうちに、その店は潰れてしまって、もうこの世には存在しないものと頭にインプットされたのでしょう。お店のあったことすら、意にも介さなくなったのでございます。
しかし、先ほどいいましたように、営業再開でございます。
では、前のように足繁く通うのかといいますと、全くそんなことはないのでございます。
営業再開しても、足が全く向かないのでございます。
これが、単に張り紙の一枚でもしておれば、違っていたことでありましょう。
あれほど通っていたのに、ぴたりと止まった我が習慣を振り返り見て、人間の習性の一部を垣間見た次第でございます。
わたくしは、事前の予告を大切にするものでございます。
アレをしよう、これをしなくちゃと思い立ったことは、すぐにカレンダーか手帳に書き込む次第でございます。
こうした小作業は、めんどくさいことはめんどくさいものでございます。
しかし、「やりやすい」という巨大なメリットがございます。
先ほどのお店も事前の告知や予告があれば、わたくしは以前と変わらず通ったことでありましょう。
しかし、何の情報もなかったが故に、「お店=潰れた」ということが確定してしまい、それに応じて、以後の習慣が変わってしまったのでございます。
カレンダーや手帳に書くのも、書いた日以後の行動を変えるためでございます。
「この日にこれをする!」と確定化しておくだけでも、心の準備がきっちりと整います。
たとえば、メーラーの中の不要メールや、携帯のアドレス整理、メールの処分などは、溜まれば溜まるほどなかなかに手が付けられないものでございます。
しかし、月末の掃除の一部に「メーラーの掃除」とでもカレンダーに書いておくと、やる意欲が整うといいますか、覚悟が決まってくるのでございます。
ちなみに、月初めに、カレンダーにその月のゴミの日を書き込むだけでも、身の回りのガラクタやゴミ、不用品はなくなっていくものでございます。
計画とは、一種の事前予告であると考える次第でございます。
これをしようと思っても、なかなかに行動に移せない方は、事前予告のメカニズムを上手に利用して、こなしていってほしく存じます。

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お茶一考

お勉強をしていますと、無性にのどが渇くものでございます。
当サイトの前々よりの持論でございますが、お勉強をすると頭を使う、頭を使うとエネルギーの消費が激しくなる、そうすると頭に老廃物が溜まり、また、酸素もエネルギー源も少なくなる、であるから、身体はそれらを補おうとする、補うにはエネルギーや酸素を送るための水分がより必要となる、といった風に考えている次第でございます。
うーんと煮詰まったり、2時間・3時間机に向かった後で飲むお茶は格別な味でございます。
おいしく頂けるのも、身体が求めているからだと考えているのでございます。
さて、水分補給なのでありますが、お勉強のお供にはやはりお茶が最適であるかと考えます。
水だと味気ないし、ジュース類は糖尿が心配です。
コーラ等炭酸飲料は、やはりピザと一緒に食べたいもの。
スポーツドリンクはあれはあれで糖質が高く、1本飲めば成年男子1日分の砂糖を摂るとのことなので、これまた却下でございます。スポーツをしてカロリー消費をしない人は飲んではいけない、危険な飲み物でございます。激太りします。
そう考えていきますと、やはり、お勉強にはお茶!となるわけでございます。
しかし、お茶と申しましても、一口で済むものではございません。
紅茶に緑茶、ウーロン茶、プーアルジャスミン玄米焙じと多々種々にございます。
また、コーヒーにも、豆から飲むコーヒー、インスタントコーヒーとございます。
嗜好というのは個々それぞれでありますので、どれを飲んでも良いかと存じます。わたくしも好き勝手にに、お茶受けとあわせて飲んでいる次第でございます。
しかし、わたくし自身注意していることがございます。
それは、濃いのを飲まないこと、同じお茶ばかりを飲まないこと、カフェイン系統の飲み物は一杯だけとしていることでございます。
お茶というのは、あー見えても結構きつい飲み物でして、濃いのを飲むと内臓に負担がかかるのではないかと考える次第でございます。
先日も頂き物の戸棚にたまった紅茶を、(早く飲み切らないと!)と一生懸命毎日飲んでおりますと、胃がちくちくと痛み出したのでございます。
嫌な痛みでありました。わたくし、ストレスでお菓子太りすることはあっても、胃痛といった内臓系のストレスはこれまで絶無であったのでございます。
これまでに味わったことのない胃の鋭い痛みに、恐れ慄いたわたくしでございます。
しかし、この痛みも、紅茶を飲むのを止めたらさっぱり直ったので、いくらおいしくても毎日続けて飲むのはよくないなあと教訓を引き出したものでございます。
濃いのを飲まないというのも、同様の理屈でございます。お茶によっては軽い中毒症状がでるものもございます。
また、カフェイン系統は一杯としているのは、頭の過度の覚醒を抑えるためでございます。
夜のコーヒーや紅茶は予想以上に眠気を醒まし、床に就いても眠れなくなることがございます。疲れていても眠れないということほど、しんどいことはありません。
お勉強のお供に欠かせないお茶でございますが、飲む物の量や飲み方によっては身体に変調をきたすこともございます。
わたくしの場合は、胃の鋭痛、胸の不快感、不眠でございました。
このため、メインのお茶は、ノンカフェインで何杯飲んでも良いといわれている焙じ茶で、ちょこちょことコーヒーや紅茶を喫している次第でございます。
飲み物一杯といえども、意外に影響力があるので、ご注意のほうを喚起する次第でございます。

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三日あけず

先日のススメにて、『三回』、食べ損ねたり買いそびれると、そのお店や商品からは足が遠のく旨を申しました。
三回、いきつけのお店が満員だったりお休みだったりして行き損ねると、なぜだか足が遠のいてしまうご経験を、誰しもお持ちではないかと存じます。
久々にあそこ行こうかなとフト頭に思っても、三回行きそびれた記憶が顔をもたげて、何回か休みだったし新しい店でも開拓するかな〜、などと思ってしまうのでございます。
恐ろしいもので、数年以上通ったお店であっても、三回、食べ損ねた経験があると不思議と行かなくなるものなのでございます。
それがどんなにおいしいお店であっても、でございます。
何度も何回も買っている定番の商品でも、品切れが三回続いて買いそびれると、じゃ、新製品の方を試してみるかな、となってしまうのでございます。
新しい商品が当たりますと、雨後の筍のように似たようなものが続々売りに出されるものでございます。
これは、先ほど言ったような、買いそびれ→他のものを試してみるという顧客の購買の流れ・移り行きが事実として厳にあるからこそ、2番煎じ3番煎じ商法が成り立っていると考える次第でございます。
さて、ここで「三回」というのを、3日と読み直してほしく存じます。
「3」という数字には、人間の習癖と申しますか、習慣のメカニズムと申しますか、実に示唆深いものがあるかと存じます。
まずいえることは、人は3日空けたらやらなくなる、ということででございます。
これまでの挫折したことや中断してずるずる止めてしまったことなどを、思い起こしてほしく存じます。
何時の間にかやらなくなった、気が付いたらしなくなっていた、というのが多いのではないでしょうか。
それは、3日間以上の間を空けてしまったからであると考えるものでございます。
人間の継続のリミットは、3日間強であると考える次第でございます。
3日間やらないと、心身ともに、(あ、こういうことはやらなくてもいいのだ)と深く納得してしまうのでありましょう。
3日という壁を越えると、まったく手も付けなくなるようなことが多い気が致します。
読もうと思っていた本、やろうと思っていた体操やダイエット、掃除に整理整頓、その他人間関係のコツや指導法・人生訓なども、この3日の壁で考えてみると、やらなくなるパターンをご実感いただけるかと存じます。
1日のサボりは良いのでございます。2日間かけてのリフレッシュも良いのでございます。
しかし、円滑に続けていくのであれば、3日間、空けないことが肝要であるかと存じます。
だらだらしてやりそびれても、3日目には必ずやるように、手がけるようにすべきでございます。
それが、たとえ10分・20分、30分という短い時間であってもでございます。
1〜2日は休んでも、3日目からは必ずやるようにした方が、お勉強の長期的な中断や放棄を阻止でき、結果的にお勉強の機会ロスを防ぐことができるかと考える次第でございます。
わたくしは、最新の心理学の研究やマーケティングの理屈よりも、単純なことわざや昔から言われていることを信じるものでございます。
3日には、かの有名な「三日坊主」にも用いられている数字でございます。
自分のパターンや習癖を考える上では、この「3日」を頭の片隅に置いて見てくださればと存じます。
きっと、今以上に己の行動を律することができるかと存じます。

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