独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

べちゃにぐちゃ

べちゃべちゃ、やら、ぐちゃぐちゃという擬態語がございます。
何とも粘り気の強い語幹がある言葉でありまして、半年掃除をしていない換気扇やレンジ、ガスコンロの形容にぴったりかと存じます。
しかし、この擬態語は、ずぼらな油汚れのみを指すのではないのでございます。
べちゃにぐちゃという言葉は、わたくしたちのお勉強にも関わっている言葉なのでございます。
どういうことかといいますと、べちゃにぐちゃといった言葉は、わたくしたちの「わからない」状態を形容するのにも適しているのでございます。
わからないときの頭の状態を思い浮かべてほしく存じます。
わからないというのは、何も思い付かない、浮かんでこない、真っ白、空白の状態ではないのでございます。
さまざまな言葉が入り混じり、べちゃべちゃのうえにどろどろとして、筋道立てて考えられない状態も、「わからない」状態といっても良いのでございます。
「わからない」には、こうしたべちゃ・ぐちゃ型のわからないがあることを、お気づきくださればと存じます。
このべちゃ・ぐちゃ型のわからないが発生する最大の原因は、本当はわからないのに、わかったような振りをしたときに起きるものでございます。
独学というのは、基本的に飛ばし飛ばしで先にどんどん進む勉強法でございます。
いちいち、無数に出て来るわからないに構っていては、時間がどんどんスポイルされてしまうからでございます。
わからないことに遭遇しても、わからないを確めるにとどめて先に進み、後からじっくり手を付けていくものでございます。
ここでよく勘違いをなさっている人がいるのですが、独学はわからないは飛ばすにせよ、後でじっくりぎっちりどっぷりと取り組むのでございます。
本格的にやるときには、飛ばし飛ばししないのでございます。
そう、それは古典文献学者のように、1文字1センテンスまで、しっかり意味を捉えながら読んだり解いたりして理解や記憶に勤めるのでございます。
ここで重要なのは、わからないことに対して、決してわかった風に、わかったような気にならないことでございます。
わからないものはわからないものとして、扱わねばなりません。
わかる・わかると呑んでいたり、考えたくないからわかったような気になっていると、必ず後で致命的な失点を犯すものでございます。
また、わかったような気でいますと、ますますわからなくなってくるのでございます。
それは、きちんと整理もせず、区分も区分けもしないために、頭の中でわかっていることとわからないことの双方がごちゃ混ぜになってしまうのでございます。
これまでにわかっていたことまでも影響を受け、まずますチンプンカンプンになるのでございます。
これはアレだっけ、アレはこれだっけ?かなと右往左往、記憶はますます混迷の度合いを深め、そして、模試や本試験といった大切なときに、きちんと答えられずに涙を呑むのでございます。
ま、これは最悪の結果でありますが、わかったような風で理解や記憶の混濁をそのままにしていますと、どんどんわからなくなっていくことにご留意くださればと存じます。
お勉強をしていて、うーんと唸るようになったときは、頭の中がどうなっているかをお調べくださればと存じます。
整理がついた知識であるか、ちゃんと理解のできた言葉で考えているか、明確に捉えられているかを見てほしく思います。
こうして、いったん立ち止まって頭のチェックを行いますと、あそこが妖しいかも?!という不安箇所を見つけるものでございます。
ひとつの不明の箇所を潰すだけでも、目の前のわからないことに対して、活路が開くのではないかと存じます。
また、己が考え過ぎていないかも、要確認でございます。
試験には理解よりも憶えてしまうより他のない事柄は多数上るものでございます。
考え過ぎて頭の中がさまざまの知識や語句、概念でごちゃ混ぜになって、ますますわからなくなるというのも、当然ございます。
わかっていると言う状態は、一言で申しますと、すっきりしている、さっぱりしているといった風でございます。
わからないときには、頭のべちゃぐちゃ具合をお確かめくださればと存じます。

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自分の真似2

うまくいくコツとは、良いことは続け、悪いことは止めるか控えるだけでございます。
ごく普通のことでございます。
たとえば、売れるものはたくさん置く、売れないものは店から引っ込めるか、ワゴンで放り込むというだけでございます。
ときどき、欲しいものは売り切れてないくせに、いらないもの・いまいちな物でいっぱいのお店に遭遇することがございます。
むううと思って足が遠のき、そうこうしているうちに、そのお店自体がなくなっていたというのは多々あるかと存じます。
おそらくは、わたくしと同じように、行ったはいいが必要なものだけがなく、無用なものばかりがあるのに嫌気が差して、行かなくなった人が多数に上るのでありましょう。
売れているというのはいいものでございます。
ですから、多めに置き、売り切れないように在庫を揃えておくのでございます。
売れない売れないという声を聞くのですが、こっちは欲しいものがあるのでございます。
お客が来ない来ないという声をよく聞くものでございます。
売り切れや欠品に遭遇すると、それが、3回以上続くとお客様の足は確実に遠のくものでございます。
売れるいいものに尽力すればいいのに、売れない何かに一生懸命なお店が多いかと考える次第でございます。
お店の話だけに限らず、実においしい飲食店であっても、行列ができていて3回食べ損ねたら、ほとんど行かなくなるものでございます。。
急に休む飲食店はどんなにうまくても必ず潰れるというのは、訪れたお客様が居て、ああ今日は休みなのかという落胆を味わわせるがためでございます。
おそらく何人も、3回目にヒットしたのでありましょう。
皆様も、ご自分のこれまでの経験を振り返ってみて欲しく存じます。
「3回」ダメだったお店には、よっぽどの理由がなければ行かなくなるのではないかと存じます。
さてさて、お勉強の話でございます。
お勉強においても、良いことは続け、悪いことは止めるか控えるべきなのでございます。
お勉強の基本的なコツは、「うまくいっていないなら、今やっていることを止める」となってございます。
石の上にも3年と申しますが、結局、ダメなものはダメでございます。ダメはダメだ!という真理を得るだけに終わるものでございます。
改善のためには、まず悪いことやダメな方向に向かっていることを止め、そして、良いことを続けることが涵養なのでございます。
しかし、なかなかに良いことを続けることは難しいものでございます。
そこで、自分を真似するというわけでございます。
手の込んだ言い回しですが、続けるということは、昨日おとといの過去の自分を真似すること、再現することでもございます。
この前やって風にやってみると、なかなかに良い結果があるものでございます。
「この時間前には雑用を済ませてしまい、ノンカフェインのお茶とお菓子を手にしていそいそと机に向かう。」
言ってみればこんな風でありましょうか。
お勉強の難しいところは、良いことをなかなかに続けられないという点でございます。
続けるということは、自分を真似することだと思えば、継続や習慣づけを行う上でのヒントやきっかけになるのではないか、と考える次第でございます。

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良くも悪くもマイペース

マイペース・マイペースと、よく言われるものでありますが、諸刃の剣であることをご理解いただければと存じます。
マイペースは良くも悪くもあるのでございます。
マイペースでは困るのが、ノンビリ屋さんでございます。
やることが着実で確実なのは、その利点かつ美点でございます。
しかしながら、はっきりいってしまえば、やることが遅くてとろいのでございます。
カレーができてからご飯を炊くようなことでは、効率の良いお勉強など程遠いものでございます。
ですから、のんびり屋さんが、マイペース・マイペースと唱えてばかりいると、本試験の1ヶ月前になっても過去問が全て終わっていないという、どうにもならない状況に追いやられてしまうのでございます。
流石に、準備不足といわざるを得ません。まず、本試験の結果が良いことはないかと存じます。
自分のことをおっとりしているとお考えになっている人は、マイペースには毒されず、はや歩きかしらん程度のスピードを以って、目の前のことにお取り組みくださればと存じます。
対して、マイペースが良い結果をもたらすのは、せっかちな人、いらちな人でございます。
アレもコレもやらないと!と焦ってしまう人や、自分の力量を超えているのに背伸び・背伸びをする人でございます。
基本的にスピードアップは大切な要素でございます。
しかしながら、何でもかんでも急いでやってしまうと、すぐにオーバーヒートをしてしまい、急いだことが元の木阿弥になる場面が多々あるのでございます。
また、急いでやれば、多少(1割か2割くらい)は作業量も増えることでありましょうが、急いだ分、雑なところもあり、なかなかに質と量との両立は為しがたいのでございます。
焦ってしまう人、何でも抱えてしまう人にこそ、マイペースが大事になってまいります。
周囲のことに過度に影響されず、自分の力量に見合った量と内容のことをすることで、ロスと徒労の少ないお勉強が可能となるのでございます。
このように、マイペースは金科玉条に良いものでもなく、そして、悪いものでもないのでございます。
自分のペースを考えるにあたっては、「気持ちよさ」を基本に考えるかとよろしいかと考えます。
急ぎ過ぎというのも、あまり気持ちのよいものではありません。なんといいましょうか、充実感ややった感が少なく、今日はいったい何をやったのかと思うと茫漠とするものでございます。
逆に、あまりに遅かったりだらだらしているのも、気持ちはよくないのでございます。
山登りのように、山では急いで歩いても吐き気を催すのみですし、ゆっくり歩き過ぎれば余計体力を消耗してぐったりするが如しでございます。
急ぎがちな方はペースを落として、内実のある歩みを続ければ、気持ちのよいペースになるかと存じます。
一方ののんびり屋さんは少しスピードをアップして、少しでも多くのことをこなすようにしていけば、気持ちよく目の前のことに取り組めるかと存じます。
なによりも、自分のペースの発掘にいそしんでくださればと存じます。

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