独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

中掃除のススメ

先だって、新しいことをやるの出れば、古いもの・ゴミを捨てよと連呼いたしました。
そのせいか、わたくし自身が自家中毒したようでございます。
がらっと押入れのふすまを開けて、物色すること5分。
言った手前ながら、出るわ出るわのオンパレードでございます。
まず目に付いたのは、ぼろノートパソコン。サブ機として置いていたのですが、使った試しなし!
早速ゴミスペースに移動させました。
次に目に入ったのが、使わない鞄類でございます。趣味の悪い鞄の数々に辟易して、早速大形可燃ごみの日にチェック「鞄を捨てる」をした次第でございます。
そのほか、使っていない電気器具もぽろぽろと出て来る次第でございます。
今度の掃除で捨ててやろう!と発奮したのは、パソコンの周辺機器の空箱でございます。
外付けHDDの箱やらなんやら、あるわあるわの連続でございます。
修理のときに送るから、といった理由で取って置きましたが、よくよく考えたら、ほとんどの器具は、無料の修理期間・保証期間は過ぎ去ってございます。
もし、壊れたとして修理に出せば、数万のお金(少なくとも1〜2万)はかかることでしょう。
修理の電話をかけ、梱包して、宅急便を呼んでお金を払い、おそらく2週間は修理の期間を見ておかねばなりません。
そうすっと、実際に壊れたときなどは、修理に出すよりかは捨てて新しいものを買うことに「はっと」気付いたのでございます。
箱が無いと引越し時に困るという方も居られるかと存じますが、よくよく考えれば、箱が無いと困るのはデスクトップパソコンの本体くらいでありましょう。
ノートパソコンなら自分で持っていくこともできますし、ディスプレイなら毛布に包んで割れ物といっておけば良いものでございます。
周辺機器も普通のダンボールに入れて、大量に出る古着を詰めておけば、大丈夫ではないかと考えます。
また、引越し自体、何時あるかわからず、そんな予定のないことで空間を犠牲にするほど馬鹿馬鹿しいこともありません。
そう考えたわたくしは早速、保証期間のあるパソコン本体の箱以外を、ぶちのめしてゴミスペースに運んだ次第でございます。
ネットオクークションで売ればいい、という方も居られますが、正直、わたくし、あんな手間と金銭管理が必要な上に、本体価格の1割程度しか回収できないなら、やる必要などないと考えております。ぶっちゃけ、めんどくさい。
そうも考えましたので、ばしばしびしびしと空きダンボールを潰していった次第でございます。
その爽快感といったらありません!!
いまやパソコンは、一家に数台の時代でございます。周辺機器も多数に上っているかと存じます。
一度、家族で話し合って、入らない箱、無駄に空間を取っている箱の処分をお考えくださればと存じます。
先ほどいいましたように、引越しとか壊れたときといった保存理由を思いつくでありましょうが、真に理性的に考えれば、全く無用の助である事態にあることを気付くかと存じます。
「古きは捨てて、新しきを入れる」を絶賛実行中のわたくしでございます。嗚呼、気持ちいい!

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捨ててから

あと1ヶ月で、年度がかわろうとしてございます。
1週間前までは正月だったような気も致します。
本当に歳月の進み方はやいものでございます。
さて、年度の変わり目で、何か心機一転をお考えになっている方が居られるかと存じます。
アレをしよう、コレをやってしまおうとあれこれ計画をお立てになっているかと考えます。
しかし、今回の心機一転には、あるひとつの『作業』をお入れくださればと存じます。
それは、やりかけのこと・未完成のものを処分する、ということでございます。
たとえば、書きかけのノートや読みかけの本、作っていない模型、やりもしないお料理ブック、新しい趣味グッズ、果てには読んでもいない本、一度も着ていない服、使っていない貰い物・引き出物の類の処分するといった次第でございます。
おそらく、押入れや本棚、机の前を眺めれば、ぼろぼろぽろぽろとやりかけ・未完成品を発見できるかと存じます。
新しく何かをやるのも結構ですが、それと同時に、これまでの何かを捨てることも、劣らず大切であると考える次第でございます。
わたくしも溜め込む口なのですが、最近はどんどんと物を捨ててございます。
発端は、本ススメでも何回かいいましたように、カレンダーに丸をつけたことから始まってございます。
各種ゴミの日に赤丸をつけて入れると、なぜだか片づけがしたくなって、部屋が小奇麗になっていたことを申し上げました。
物を捨てると本当にスッキリするのでございます。
これは、整理整頓では体感できないスッキリ感なのでございます。
整理整頓と捨てるとは、体感の度合いがまったく違うことをご理解いただければと存じます。
書きかけのノートを見つつ、また使うかもしれないといって机のほかのところに入れ直すのではいけないのでございます。
読んでない本、読みかけの本も同様でございます。古本屋に売りに行くからといって本棚の近くに重ねてはいけません。
中途半端に終わったものは、また中途半端に終わるのが常でございます。
今度の休みの日にでも、勇気を持って、ゴミ袋に投げ込んでみてください。
異様なほど、スッキリするかと存じます。
どうも趣味が悪くて使いそうの無い引き出物の類も、同じく処分いたしましょう。
フリーマーケットに持っていこうかしら?などと考えて、処分を躊躇してはいけません。
容器の箱はリサイクルゴミの日に回し、中身は不燃ごみの日にもって行ってほしく存じます。
おそらく、すうう〜と快感に似た爽快感は立ち上るかと存じます。
なお、ゴミの日はまだ先だからといって、躊躇してはいけません。
部屋のある部分をゴミスペースとして、捨てるものはそこに持っていってください。
一箇所に固めておけば、捨てるときに手間も食わず、再び躊躇せず捨てることができます。
汚いタオル・色あせた下着も、どんどんと雑巾化・ウエス化・ごみ化でございます。
躊躇するものほど、捨てたときの爽快感が増すことを、注記しておきたく存じます。
これまでの古い何かを捨てない限り、新しいものは入らないなと、ゴミ袋の山を見て我が身を振り返るかと存じます。
逆に言えば、古いもので一杯だから、新しい何かが生まれないのでございます。
どんどんと捨ててから、心機一転をお計りくださればと存じます。

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鈍感さ

お勉強といいますと、頭の良さや回転、理解力やら読解力、記憶力などに意識が向くかと存じます。
理性的なもの以外では、努力であるとか根気であるとか、気合云々精神力が強調されてございます。
しかし、お勉強に必要な重要なものが、それ以外にもあるのでございます。
それは、お勉強には、多少の鈍感さも必要となることでございます。
鈍感であることは、それほど褒められたものではありませんが、殊、お勉強におきましては、なかなかに良い特質であるかと考える次第でございます。
お勉強においては、できない、忘れたといったことは日常茶飯事でございます。
本試験前1ヶ月前なら、できなかったり忘れていたりすれば、どうしよう、困った!と焦ったり不安に思うのは結構でございます。
そう思って然るべき状態だからでございます。
しかしながら、お勉強期間のほとんどでは、それらの「わからない」や「忘れた」「できない」は、それほど深く考える必要は無いのでございます。
深刻ぶって、どうして忘れるのか、どうしてできないのかなどと思い悩むことはないのでございます。
基本的にお勉強の結果とは、回数と時間の因子が最も大きいものでありまして、勉強時間が少なければそれだけできないでしょうし、演習回数や読解回数がすくなければ、それだけ、わからなかったり忘れたりするものでございます。
ですから、お勉強を継続していけば、ある程度、できない系の問題は解消して行くものでございます。
うんうん悩んだところで、回数がこなせられるわけでもなく、悩むこと自体が問題を解決から遠ざけており、損しているわけでございます。
ですから、「鈍感さ」の出番と相成るわけでございます。
どーんと忘れていたり、さっぱりわからなくなっていても、まー、しゃーないべ、こういうこともあるべ、とおおらかに構えている必要が、お勉強にはあるのでございます。
あまりに聡くて明敏なのも困ります。できない・忘れたの一々に構っていれば、心気朦朧して早晩倒れてしまうことでありましょう。
よくよく考えてみれば、人生多事、ひどい目に遭うことは少ないものでございます。
十指に足りないものでございます。
古人は、案ずるより生むが易しと申しました。
深刻に考えない鈍感さもお勉強に、ひいては人生において必要な資質であるかと考える次第でございます。
また、上手に生きるコツが、見ざる言わざる聞かざるといわれますように、生き方が上手になるほど、多くのことを鈍感に済ませられるようになるものでございます。
良質の鈍感さを、いっそう身に付けたいものでございます。

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