話は大げさですが、人間には5感という物を有してございます。
見ること、聞くこと、味わうこと、触ること、におうことの5つの機能を有しているわけでございます。
ほとんどの行動は、この5つの機能を通して行われているものでございます。
5感が特に研ぎ澄まされるのは、見知らぬもの・不明なもの・わからないものに遭遇したときでございます。
それこそ、あらゆる5感のセンサーをフルに利用して、得体の知れない対象から情報を引き出そうと致します。
たとえば、人でございます。
見知らぬ人と話すことになったときには、その人の言葉遣いから、仕草や目の表情・目の動き、顔の筋肉、爪の状態、息の仕方、背筋が伸びているか、におい、人物の全体的印象、声の張り、態度、歩き方、靴かばん服装髪型などまで、5感からフルに情報を引き出しているものでございます。
こうした5感から引き出された印象を元に、言葉を紡ぎ出し論理を組み立てて、その人物の意味を付与し最終的な評価に繋がっていくわけでございます。
たとえば、演技でございます。
演技の下手な役者は、身体で表現ができないがために、ながながと台詞で「説明」致します。
そのため、観ているこちらが、敢えて見ようとして・聞こうとしなければならなくなるのでございます。正直、疲れるのでございます。
演技が上手といわれる人は、台詞が聞こえなくても、台詞を2〜3聞き損ねても、ちゃあんと何を表現しているのか、何をしているのかわかるものでございます。
一度映画の字幕を読まないようにして、映像に当たってみてほしく思います。上手な役者ほど、字幕が無くても何をしているのか伝わってくるかと存じます。
このように、よく知るということには、有している5感からいかに情報を引き出すかに原点があることをご理解いただければと存じます。
さて、お勉強におきましても、元より自分に備わっている5感を使わないことは損であるかと考えます。
お勉強の大半で使っている感覚は、「目」くらいでありましょう。
目でテキストを読み、目で問題集を解き、目で解答解説を確認するというのが、スタンダードなお勉強の様相であるかと存じます。
しかし、先ほどいいましたように、わたくしたちは5感を通して多くの情報を収集しているものでございます。
目だけでは、自分の持っている機能の2割しか使っていないわけでございます。
ですから、目で読むだけでなくて、声に出して耳で聞いてみたり、手で書き出してみたり、実際のものに触れてみたりと、5感を通じる機会をできるだけ取り入れた方が、理解が早いかと存じます。
目で読むだけでは意味が通じなかったことでも、その他の5感を駆使してみると、なあんだ、こんなことだったのかと拍子抜けするほど、理解に通じることがございます。
目だけではなく、口と耳を、そして、手を使ってみてくださればと存じます。
目だけのお勉強で、うんうんと机の前でじっとするだけのお勉強に比べれば、ずっと円滑に進んでいくかと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年4月16日 10:58 AM |
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お勉強の時間というのは、楽しくて仕方がない・破顔一笑のいうわけにはいかないかと存じます。
心のどこかでイヤイヤ、やりたくないなという気分を引きずったままスタートするというのが、大概の人の実情であるかと存じます。
お勉強というのは確かに面白いものではありますが、後々になって面白みがわかるものでして、実際のお勉強の時には何ともつまらない思いをするものでございます。
よっぽどの変人でない限り、お勉強そのものを楽しめる人は少ないかと存じます。
しかしながら、の話でございます。
勉強なんてしてられないという問題やトラブルがないからこその、お勉強時間でございます。
世の中には多数、勉強をしたい・勉強の必要性を感じつつも、仕事やその他の雑事、果てには健康問題・家庭問題に係りっきりになってしまっている人も居られるのでございます。
わたくしたちが最も困るのは、お勉強そのものではないというわけでございます。
お勉強とは、未来への投資ということもできましょう。
何かを学び知識を蓄積し、将来の自分の可能性を広げる作業でございます。
明日のために、わたくしたちは労力と時間とお金をお勉強に投入しているわけでございます。
しかし、先ほどいいましたように、借金雇用詐欺愛憎その他現状の問題に埋没していたり、それか、生命に関わる病気か怪我を抱えて何とも勉強できないという人も居られるのでございます。
お勉強では、長ったらしい文章や難解な専門用語その他の受験用のつまらない知識群をおさえなければならないことかと忖度いたします。
とはいえ、それは、お勉強できない諸問題に比べれば、何てことはない透かし屁みたいなものでありまして、机の前か散歩か風呂かトイレか移動中かであれこれ頭を使っていけば解決するものであります。
わたくしたちは、お勉強ができるという貴い自由を持っていることを再確認すべきかと存じます。
不安に思っていることも起きず、また、予想もしていない想定外のトラブルやアクシデントも起きていないが故のお勉強時間でございます。
青天の霹靂は長い人生で何度も起きるものでございます。
浮気が発覚したり部下や上司の使い込みを見つけたり、それはもう、自分とは関係のないことでいざこざや紛争・トラブルに巻き込まれるものでございます。
それらが起きていないだけありがたいと思うようになれば、お勉強の負担も和らぐのではないかと存じます。
ありがたいとは漢字で有難いとも書きます。トラブルや問題が無い方が難しいわけでありまして、有難いというわけでございます。
当たり前のことに少し意識を働かすことで現状の認識を改めてくださればと存じます。
知恵の9割は、時間について賢くなることと申します。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年4月15日 10:21 AM |
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お勉強におきましては、「しなくてはならない」やら「すべきである」といった風に考えがちでございます。
もちろん、その通りでございます。
やるべきことをやらずしては合格することはできません。ライバルは皆やっているのですから、特段に自分だけがしなくても良いというわけには行かないのでございます。
しかしながら、こうしたべきべき論のみに凝り固まると、ときにお勉強がイヤンになったり、やる気も喪失していくものでございます。
そこで今回のススメでは、義務とは逆方向の考え方を見ていきたいと思います。
即ち、「やる」「すべき」といった観点からではなく、「やらない」「しない」観点から目の前のことを見て行くのでございます。
簡単にいいますと、「どうすればそれらのことをしなくて済むか」と考えるのでございます。
これ以上やらないようにするにはどうしたらいいのか、どういう状態になっておけばやらなくて済むのかを考えていくのでございます。
極論をいいますと、合格さえしてしまえば、いま目の前のすべきことは全てから解放されるものでございます。
しかし、そんなことを考えても何の足しにもならないのは、こま鼠でもわかる道理でございます。
そこで、少し思考の駒を1歩戻して、お考えくださればと存じます。
たとえば、憶えるべき表・リストがあるとして、では、どうすればこれらの暗記作業をやらずに済むかと考えるわけでございます。
しっかり憶えるとだけ考えても、中々に頭には入っていかないものでございます。
しかし、記憶というのは脳に着床するまでが大変ですが、いったん憶えると再記憶は用意になる性質がございます。
ならば、一定の期間を取り、記憶の母体ができるまではそれだけを毎日繰り返してみるのでございます。
ある程度記憶が固まれば、それ以降は短時間の目視確認か移動中等の細切れ時間で消化していけば、やらなくて済むと考えられるかと存じます。
問題演習におきましても、どうしたら演習しなくて済むかと考えていきましょう。
問題演習の目的とは要するに、本試験問題が解けるようになることでございますから、試験に出そうな重要問題さえ完全にマスターしておけば良いのでございます。
間違えた問題とわからなかった問題のみを徹底して繰り返してから、残りのできた問題をざっと見直せば、当分は手にしなくても済むかと存じます。
なお、過去問のみは、済ませられるものではありませんので、本試験まで何度も繰り返すようご助言いたします。
このように、やらないで済むように考えていきますと、自分の最終像といいますか最終形に思いを馳せることになるのでございます。
こうなっておけばいいという状態が具体的に固まれば、日々のお勉強というのは引き算となって参ります。
AをしてBをしてCをする分最終形に近づくのですから、どんどんゴールは近づいてくる感じがするのでございます。やる気は目だって変わってくるものでございます。
べきべき論のみでしか考えないと、やるべき義務ばかりが積み重なって息苦しくなってまいります。
逆の「しないようにするには」と考えることで、幾分か目の前のお勉強の負担が軽くなることを頭の片隅にでも置いてくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年4月13日 10:19 PM |
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