独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

もっと知る

お勉強を始めようという発端は、種々多々あるかと存じます。
それはそれで、良いものでございます。
しかしながら、せっかくのお勉強でございます。
資格の合格証書だけではなく、もうひとつふたつは持って帰った方がよろしいかと存じます。
それは、己を知るということでございます。
あまりに人口に膾炙され、手垢がべたべたつきまくり、全く新鮮味のない言葉となっておりますが、結局は、お勉強の終結点というのは「己を知る」ことになるかと存じます。
お勉強をしていますと、新しい知識や知らなかったことのみが頭に蓄積されて行くのではありません。
もうひとつの情報である、自分についてもよくわかってくるのでございます。
(おいらはこういうことを知りたかったのだ!)とか、(こういうことをしたかった)という自分についての新発見があることでありましょう。
また真逆で、(こういうことは2度としたくない)、(再び目にしたくない)、(あーコレはぜんぜん性に合わないわ)といった己の不適正についても、わかってくるかと存じます。
お勉強というのは、隠れていたものを明らかにするものでございます。
隠れていた情熱を明らかに、または、隠されていた意思を露にする過程でもございます。
こういうことを仕事にしたいなあ!といったこれまでにはない情熱を見出したり、やりたいと思っていていざ実際に勉強してみたら全く水が合わず、これまでの虚構や思い違いがはっきりしてさばさばすることもありましょう。
お勉強においてわかる己こそが、次につながって行く発見であるかと存じます。
やりたいと思っていたことを更にやりたいと思ったのであれば、もっと難しいことに挑戦していくことになりましょう。
こいつはダメだなと思ったものは、おいらはこのレベルで十分だから他を目指そうと、今後の人生でやらなくてよいという確かな判断を得ることができるのでございます。
お勉強で身に付けた知識群は、時間が経過すればどうしても薄れて行くものでございます。
しかし、お勉強で見出した新しき自分像はいつまでたっても色褪せることはないのでございます。
次の新たな一歩を踏み出す際の、貴重なしるべとなることでありましょう。
お勉強には徒労が付きまとうものでありますが、お勉強は知識ではない何かを得るプロセスでもあることを意識してくださればと存じます。
お勉強以外の何かがほんのり見えてきただけでも、儲けものであるかと存じます。
少なくとも、今後の人生で大きく間違えることは減少したことでありましょう。
なお、念を押しておきますが、お勉強で得た細かな知識は次第に忘れてしまうものですが、再記憶や書き換え、更新さえすればすぐにかつてのものになります。
いったん苦労して憶えたものは、再び元に戻す(アップデートする)のは負担が少ないことを明記しておきたいと存じます。

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忘れて普通

お勉強の不安と心配事は、引きも切らないものでございます。
特に、自信を失いかけているときは顕著でございます。
今さっき勉強したことがきちんとできているかどうかすら、不安に思うこともあるかと存じます。
ま、先に結論を言っておきますと、不安に思ったことは的中するとお考えくださればと存じます。
できたかしらんと思うことは実際にはできていませんし、憶えているかどうか不安なときは憶えていないものでございます。
とはいえ、ガックリすることはないかと存じます。それが普通だからでございます。
やったことというのは、まあ、3割から4割は即失われるのが事実でございます。
それが大半の人の常でありますから、いたずらに落ち込まないことが肝要であるかと考えます。
逆にいうなら、やったことの6割・7割が記憶に残っただけでも、よしとしたほうがよろしいかと思います。
お勉強の不安というのはその通り的中いたしますので、(まあ忘れるわな)、(できなくなっていて穏当だな)程度に見ておけばよろしいでしょう。
本当に、記憶の良し悪しや理解の度合いなどは赤の他人事くらいに見ておけば、いざできない・忘れたという現実に直面しても、しゃっらとできるかと存じます。
というのも、記憶というのは、だんだんと出来上がって行くものでありまして、最初70%だったものが75、80、85と完成度が増していき、本試験の直前期あたりで99%の記憶の保持を狙っていけばいいのでございます。
まだまだ先のことなのに、忘れたからといって落ち込んだり、勉強の効果が低いといって嘆くことはないのでございます。
さて、以下述べることは諸刃の勉強方法でありますので、十分ご考慮の上、行ってくださればと存じます。
記憶を維持する・記憶を良くするには、あたかもぬか漬けを作るかのように、毎度毎回手を入れることでございます。
この手間を惜しまないなら、大概のことは覚えていけるかと存じます。
しかし、毎度毎回何回見ても憶えの悪いものがあるものでございます。
こうした徒労が繰り返される事態に陥ったときは、逆のことをしてみるのでございます。
つまり、敢えて見ないようにするのでございます。意図的に忘れようとするのでございます。
実際には、時間を置いたり、距離を取ったり、間を設けていけば、よろしいかと考えます。
時間や間、距離を取っておきますと、再び目にしたときには、理解が十分と思っていたことでさえも、フトこういうことなんじゃないかなといった発見やヒントを見出すのでございます。
記憶上は時間を置くのはよろしくはない行為なのですが、更なる理解のためには、熟成期間というべき時間をがある程度、必要となるのでございます。
もちろんのこと、忘れることも多々出て来るでしょうが、理解が進んだり深まった分だけ、以前よりも記憶の糊がよいことでありましょう。
時間を置くという逆記憶法のあることを、頭の片隅にでも置いていてくださればと存じます。
ただ、この方法は、何度も見直しているにもかかわらず記憶の着床が悪いもの限定とした方が、サボり回避になるので賢明であるかと思います。
やはり、確実に記憶を維持するには、何度も見直すのが王道でございますよ。

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3考え

最後まで筋道を立て、最終的な見通しが立つまで考え続けるのは、良いことは良いのでございます。
実のある考え方かと存じます。堅実で確実ですし、考えていることはきっと良い方向に向くかと存じます。
とはいえ、場合によりけりでございます。
こうした熟考は、時間を食うという欠点がございます。
時間をかけて考える必要の無いものに時間をかけてしまうという、無駄と無用を重ねることがあるのでございます。亭主の弁当。
どんなに良いことでも、不必要に時間をかければうまくいったことにはなりません。
また、熟考には、ある程度の思考力と考えのベースとなるその他の情報が必要となってまいります。
つまり、多少、頭の回転がよくないと熟考してもダメ結論しか出ないわけであり、また、考えるための情報を集めなければならなくなるわけでございます。
沈思黙考型の考えは、力や情報が不足していては堂々巡りで終わることを明記しておきたく存じます。
さて、では、熟考以外にどのような考え方があるかといいますと、ずばり、「考えない」ことを挙げられるかと存じます。
考えないのも、一種の考え・立派な考え方でございます。
考えても仕方のないことは多数ございます。
考え無用のことで、時間や手間、カロリー、酸素を浪費することはやめましょうというわけでございます。
今後10年後なんてどうなるかわかりませんし、まあ、大概のことは杞憂で終わるものでございます。
考えをある程度煮詰め、現時点での入手可能な情報を分析し、ふたつかみっつ仮の結論を出したら、もう考えるべきことはなくなるものでございます。
後は事の進展に応じて対処するくらいでありましょう。
考えに考えれば良い考えが生まれるわけではありません。
後ろ髪引かれるときもあるでしょうが、考えないことが良き考えになることがあることを憶えておいてくださればと存じます。
最後の考え方は、やりながら考えるといったものでございます。
この種の考え方が、日常生活では一番多いのではないかと存じます。
やっていくうちに何をどうしたらいいかわかるものですし、どうしたらいいかもはっきりしていくものでございます。
逆にいえば、大概のことは熟考したり考えないようにするよりかは、考えている対象を手がけながらやっていくことで解決するというわけでございます。
もっと逆にいえば、多くのことはやらなければ、問題は解決していかないわけでございます。
煮物の作り方などは熟考したり考えないようにするよりかは、少しの量の野菜を切ってあれこれしていく方が上達するものでありましょう。
また、手がけることをしなければ、解決のヒントすらも生まれてこないともいえましょう。
こうした3つの考え方を頭の中に併置しておいて、いま目の前の問題・考える対象は、どのタイプの考えならうまくいくかと選択してみてくださればと存じます。
相性が良い考え方だと、通常の倍は解消が早いことをご理解くださればと存じます。

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