独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

弱力

お勉強におきましては、鉄のような固い意思が必要でございます。
困難や障害に負けず、トラブルやアクシデントなど吹き飛ばして進むパワフルさがお勉強では求められているからでございます。
ちょっとしたことでくじけたり、落ち込んでいても、何かよくなることがあるわけでもありません。
お勉強におきましては失敗やド忘れ、ミス・間違いなどは日常茶飯事でございます。
まるでブレーキの壊れたダンプカーのように、勢いでやっていった方が、うじうじぐじぐじするよりも事態は好転するのでございます。
このように、強い意思の力が、状況を良い方向に向かわしめる起爆剤になることを、憶えていて欲しく存じます。
しかしながら、強い意思さえあればよい、というわけではないのでございます。
強い意思の力のみでは、お勉強はうまく進まないのでございます。ときには、弱い力でまったり進んでいかないといけないのでございます。
弱い力は、何も勢いがない、パワーがない、弱気になっている、気合がほころびている、油断しているといったマイナスの面ばかりではないものでございます。
お勉強におきましては、弱い力も劣らず重要でございます。
強しかない扇風機が使いにくいのと同様に、強い意思の力のみで進むのも、賢明ではないのでございます。
というのも、いくらパワフルな前進力があっても、行き先と方向が間違っていたら、余計に事態が悪化するからでございます。
たとえば、でるかどうかわからない難問奇問に一生懸命になる受験生が多々居られますが、基礎・基本レベルが完璧ならよいでしょうが、大概の人はおざなりになっているものでございます。
方向性と方針の誤ったその努力は全くの無駄に終わるといわざるを得ないのでございます。
たとえば、もう十分に問題演習は執り行っているのに、延々と問題集や過去問に取り組む、馬鹿の一念のようなお勉強を続ける人がございます。
ある程度、問題演習が終われば、テキストを満遍なく通読して全体的な整理をするのがセオリーでございます。
それなのに、気合十分強烈な意思力で問題演習ばかりしていては、それほど点数には貢献しない勉強をするばかりでございます。
お勉強には、そのときそのときの適切な方向性がございます。
また、エアポケットといいますか、これから何をすべきか、一種の空白状態に陥ることもございます。
こうしたときには、強烈な意思力よりも、弱い力で進むべき正しい方向を模索した方が賢明なのでございます。
いわば、わたくしたちのお勉強は、ときに気球のように漂うときがあるのでございます。
ぷかぷかと浮かんでいる気球に強い力を加えれば吹き飛ばされてしまいます。さらに誤った方角に行きかねないのでございます。下手をしたらバランスを失って落下でございます。
弱い力の利点は、小回りが利く点でございます。
こうしたらいいんでないかいと試してよさげだったら進めば良いわけでして、すべてがすべて、ごり押しすればいいわけでもないのでございます。
正しい方向を模索し、アレコレ試して、これだ!と決めてから、強い意思力で進むという、至極当たり前のことをするだけでございます。

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メモ期限

時間について賢くなるのが知恵のひとつと古人は言ってございます。
本当に、その通りであるかと存じます。
時間を有効利用するのに、身近で便利なのがメモでございます。
とにかく、用事なり雑用なりはささっとメモ用紙なりポストイットに書いておくことが賢明であるかと存じます。
というのも、わたくしたちの脳は、本当に、あっという間に物事を忘れるからでございます。
(あ、あれしないとなあ)と思った数分後には、もうそのやることの存在が脳から消えうせているのでございます。
メモが時間に有効なのは、忘却を阻止するからでございます。
いったん忘れたものを思い出すことは、ほとんど自力ではできないとお考えくださればと存じます。
偶然でしか、思い出せないことでありましょう。
メモが時間の有効利用に資するのは、わたくしたちの日常というのはほとんどが些事からなっているからでございます。
仕事の大半は、1本メールなり電話を入れておくjとでございます。どんなにいい仕事をしてもその報告を忘れたり怠ったりしたら大幅減点でございます。
メモ用1枚の手間で、買い物は今よりもっと短い時間で済むものでございます。うろうろと店の中で、何か買うべきものはなかったかとさまようことほど、無用な時間はありません。
雑事雑用も、メモに書いておけば着手しやすくなります。雑事雑用がめんどくさいのは、溜まりに溜まって化け物のようなボリュームになるからでございます。
このように、メモ書きすることで、わたくしたちは多くの徒労と再着手の魔の手から脱することができるのでございます。
お勉強におきましても、メモは威力を発揮するものでございます。
確認すべきこと、見直すべきこと、忘れやすいもの、憶えるべきこと、やろうと思っていることは、単に頭の中にしまっておくだけではいけません。
必ず、忘れてどっかへ行くからでございます。
ふと思い立ったときに、さらさらと書いておくべきでございます。さすれば、勉強機会をロスを阻止できるかと存じます。
とはいえ、書いただけで済むものではないのがお勉強でございます。
書いたことはやらねばなりません。
では、どうすれば書いたことを実行するようになるかというと、お勉強のメモには期限を設けると実行度が高まります。
メモには面倒なようでも、書いた日を書いておきます。そして、メモの期限は3日と決めておきます。
こうしておけば、延々とメモが机の前に張られて放置されることもありませんし、早く処理しなくちゃと自分で活を入れることができるかと存じます。
ちょっとしたことで、能率というものは変わってくることを頭の片隅に置いてくださればと存じます。

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今、その程度で

トラブルやアクシデントは世の習いでございます。
普通に暮らしておりましても、有象無象の事件に巻き込まれるものでございます。
起きるのは仕方がないかと存じますが、大事なのはその受け止め方でございます。
カルトめいた言い方で、少々注意が必要ですが、起きたことというのは、「その程度で済んだ」と考えるべきなのでございます。
たとえば、借金を踏み倒されても、今回のことを教訓に軽々しくお金を貸さないようにすれば良いだけでございます。
人生うまくできていて、これまではお金のトラブルに巻き込まれていなくても、あとあとになってついコロリと馬鹿馬鹿しい儲け話に引っかかって大金を巻き上げられるのでございます。
数万、数十万のお金の貸し借りなど問題にならないほどの額を失うこともあるのでございます。
ですから、いま多少のお金を失ったとしても、いい薬授業料これから遭わないための保険厄除けになったと思うことでございます。
10%を超える投資は全てを失う、額がどうであれ金は貸さない、貸した金は返ってこない、奉公人を見たら泥棒と思えなど、江戸時代から綿々と続くお金の真理をすんなりと学ぶことができましょう。
異性関係においても、今この程度で、と考えることが賢明であるかと存じます。
手酷くふられても、性悪から逃げられたのだと思えば腹の虫も収まります。
実際、いい男いい女ほど、悪い虫がひっつきやすく、トラブルに巻き込まれるものでありまして、まあ良かったものだと考えることでございます。もっというなれば、縁を運んでくる己の運命を謙虚に信じることでございます。
二股をかけられていたなども、同様でございます。いま露見してよかったのでございます。
下手をしたら、何十年と連れ添った相手が死の床に就き、死が近づいたのか良心が機能し、実は、君の友人の○○さんと、この20年不倫していたんだ、と告白されるよりかはましでございます。
しち迷惑と申しますか、不倫を告白された人は、言わずに死ぬまで胸にしまっておけよという気持ちで一杯でしょうし、告白相手を殴るに殴れず、身を裂かれんばかりの怒りに震えてしまうことでしょう。
それに比べれば、高々数年から十年程度の縁の相手からのふたまたなど、まだまだやり直しの効くものでありましょう。
災い転じて福と為す、と申しますが、蓋しその通りであるかと存じます。嫌な奴ほど、役に立つのでございます。隣で寝ている人の顔を見れば、ご理解いただけるかと存じます。
さて、お勉強におきましても、同様のことがいえるかと存じます。
手酷い間違いや忘却があっても、この程度で済んだ、このレベルでよかったと考えることでございます。
もちろん、しっかりした復習があることが前提ですが、間違いや失敗を過度に思わないことでございます。
本試験に出なかっただけでも、まし、なのでございます。
逆にいま、そうした間違える可能性・失敗する箇所を発見したのでありますから、ある意味、儲けものなのでございます。
お勉強は、本試験のその日まで、やり直しの効くものでございます。
基本問題や基礎問題、頻出問題を間違えるのは試験ではご法度でありますが、今はまだ、間違えても良いのでございます。
この程度で済んだと胸をなでおろし、しっかり復習してものにすれば良いだけの話なのでございます。

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