独学におきましては、間違ったりわからなかったりすることを恐れてはいけないのでございます。
過ちや間違いを忌み嫌っておられる方は、今この時点で、お考えを改めるべきかと存じます。
できることなら、やらないのでございます。
わたくしたちは、日本語の読み書きができますから、日本語を勉強する人はいません。勉強するのは、言語学者・国語の先生、マナーの講師くらいでしょう。
お勉強をするのは、できないからやるのでございます。
できないのですから、わからない・間違うというのは、ごく当たり前のことでございます。
できないのが、普通であって通常のことなのでございます。
それなのに、失敗や過ち、失点や忘却を恐れるのは、矛盾してございます。矛盾しているのにそのままで行くから、ますますどん詰まりに向かうのでございます。
できないことを恥ずかしく思う人も居られるかと思います。恥だから恐れる人も居られるでしょう。
しかしながら、恥というのは、実力者になってからの話でございます。
十分な勉強期間、演習数があってこそ、恥というのが生まれるのでございます。そら、過去問3回やって同じ問題を間違え続けるのは、小学生でも恥ずかしく思うことでしょう。
恥は、実力が付いて、お勉強の絶対数があってこそ、成り立つものでございます。
そんなにお勉強をしていないのに、間違いや失敗を恥ずかしく思うのは、正直に申しますと、「何様のつもりだ」という感を深めるのでございます。
逆に言えば、できないことを恥じるくらいなら開き直って、できないからやるんだと思って目の前のことに励んだ方が、よほど建設的でございます。
基本的に、知るということは難しいのでございます。
なぜなら、知っていると言うには、それを説明できないといけないからでございます。
たとえば、道でございます。市役所・駅への道を知っていると言うのなら、それを説明できなければならないわけでございます。
説明できないのに、知っているとはいえないのでございます。
お勉強におきましても、知っていると言うには、それを上手に簡潔に説明できないといけないのでございます。
意外にこの説明が難しいのでございます。
とはいえ、わたくしたちは合格を目指して試験勉強を行ってございます。試験というのは、説明のレベルまで求められておりません。
本試験では、問題−正解という形式の手助けがありますから、「知る」状態まで至らなくても良いのでございます。
とりあえず解答できる状態にまでなれば良いのですから、多少知らなくても恥じることはないのでございます。
お勉強におきましては、恥などうっちゃってしまい、恥から生じる恐れや怯みなどを払拭してくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年5月26日 10:47 AM |
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肌寒い日々が続きます。こうした気候のときに、ちょっとの体温管理のミスで夏風邪や鼻風邪を引くものでございます。
ただでさえ、咳やくしゃみに冷たい目が注がれるときでございます。
風邪を引いて下手をしたら、これまで抵抗できていたインフルエンザウイルスの跋扈を許してしまうかもしれません。
しっかりと体調管理の程を、お願いしたく存じます。
変だなと思ったらマスク・手洗い・うがいでございます。
さて、独学で困ることの筆頭といえば、「わからない」でございます。
知識が足りないのか、理解が及ばないのか、経験が足りないのか、ピースの足りないパズルをやるかのような「わからなさに遭遇することがあるかと存じます。
こうしたわからない障害に遭遇したときには、ふたつの方向がございます。
ひとつは、そのまま、障害の厚い壁に果敢に挑戦し続けることでございます。
しかし、このような鉄の意思は、ある程度学習範囲の商家が終わってから持ったほうがよろしいかと存じます。
というのも、わたくしたちの時間は有限であるからでございます。
わたくしたちのお勉強は、たいがい途上にあるものでございます。ですから、いちいち問題の発生ごとに足を取られてしまうと、その分だけ、遅れてくるのでございます。
第一に、わたくしたちは、現下のわからないものが、試験上どういう位置を占めているかわかりません。
必ずマスターしておくべきことなのか、おさえるだけでよいのか、ほとんど無視してもいいのか、優先順位がわからないまま悪戦苦闘するのは愚かであるかと存じます。
やらないといけない!という確たるものが出来上がってから、がっぷりよっつに構えた方が、時間の有効利用になるかと考える次第でございます。
そこで、もうひとつの方策、迂回する・飛ばすというやり方が浮上してくるのでございます。
迂回・飛ばすには、ページ単位で行うのものでございますが、単元ごと、節ごと、章ごと迂回したり飛ばしても結構でございます。
進み方は自由でありますので、支障のない範囲でどんどんお勉強の順番を変えても良いのでございます。
たとえば、トンネルでございます。トンネルは、両方から掘って行くものでございますが、お勉強もトンネルの掘り方のようなやり方も良いかと思います。
お勉強の途中で何か障害が発生して、進みがぱたんと止まってしまったら、そこでいったんはストップして、今度は真逆の最終章からお勉強を進めて行くと良いかと思います。
まだ実質的には終わってはいないのですが、最終章を手がけただけで、何だか不思議に(終わったなあ!)という感興が湧いてくるものでございます。
いつも以上に気分良く、お勉強を進めることができるのではないかと存じます。
さて、迂回したり飛ばしたりするのが、お勉強に有効なのは、時間の有効利用のみではありません。
「間」が取れるのも、大きな利点であるかと存じます。
わたくしたちがお勉強で身につけて行く知識は、実はある程度時間が経過して、いうなれば熟成されないと有用なものにはならないのでございます。
熟成されてこなれて頭にしっくりきてようやく、考えるための材料になるのでございます。
わからないに再度立ち向かうときに、熟成された知識で飛びかかれば、前回以上に善戦することが可能になるかと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年5月25日 11:15 AM |
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右を向いても左を見ても、ウイルス・ウイルスでございます。ブルース・ウィリスもびっくりでございます。
ウイルスといえば、昨今の新型ウイルスエンザでございますが、ひっそりと猛威を振るっているウイルスがございます。
それはパソコンのウイルスで、通称、GENOウイルスと申します。
このウイルスにパソコンが感染すると各種パスワード・暗証番号が抜かれてしまいます。感染の度合いも強いため、現在、ネットワークでは猛威を振るってございます。
「GENOウィルス初心者用まとめ・ミラーサイト(http://www20.atwiki.jp/gegegeno2/pages/1.html)」等を参照し、必ずお使いのパソコンの感染の有無を調べてほしく存じます。
このウイルスは、普通の人の普通の用途(サイトを見るだけ)で感染してしまうので、「必ず」確認をばお願いする次第でございます。
さて、新型インフルエンザでございますが、日本感染症学会の緊急提言がございました。
ざっと読んだだけですが、新型のインフルエンザも、数年たてば季節性の、変な表現ですが、普通のインフルエンザになるとのことでございます。
そして、季節性インフルエンザになったら、大概の人は1回は患うとのことでございます。
新型怖い怖いといっていても、最終的には皆罹るとのことですので、過度に不安になったり心配しないようにとのことでございます。
また、今回の新型インフルエンザは、通常のインフルエンザ同様に、ウイルスに感染したら即発祥するわけでもなく、また、罹ったらすぐに重症になるわけではないことでございます。
インフルエンザが恐ろしいのは、糖尿病患者や妊婦、老人、病人けが人といった、抵抗力が落ちている人にとってでございます。合併症を引きこして重篤になるからでございます。
インフルエンザそのものには、それほどの毒性がないことを頭の片隅に置いていてくださればと存じます。
インフルエンザ対策としては、通常のインフルエンザ同様に、手洗い・マスク・うがいとのことでございます。できることはやって、感染の予防と拡大の阻止を図りたく存じます。
ちなみに、現在、新型インフルエンザに罹る多くの人は、青年層・若年層でございますが、これは、各種ウイルスのメモリが少ないから罹りやすいとのことでございます。
つまり、中年層であれば、過去、幾多のウイルスにまみれて来たために大量のウイルスメモリ(記録)が蓄えられており、新型といえども対抗できるとのことでございます。隣で寝ている人の顔を見るだけで様々のウイルス記録が出来そうでございます。
さてさて、お勉強のことでございます。
お勉強におきましても、メモリというものを否定するわけには行かないかと思います。
メモリというのは、記憶という直接的なものではなくて、身体に憶え込ませるものと考えてくださればと存じます。
わたくしは、1時間やった人よりも2時間、2時間やった人よりも3時間の人が断然に有利であると考えるものでございます。
というのも、勉強したことが身体のメモリとして蓄えられていると見るからでございます。
本試験という緊張する状況に追い込まれますと、頭の記憶は意外に脆いもので、簡単に錯綜したり混沌しだすのでございます。
反面、身体の記憶はしっかりしたもので、(なあんかこういう問題を解いた気がするなあ)と感じて下した解答は、高い正解率を誇るものでございます。
皆様方には、頭の記憶とは別の、身体のメモリというものがあると仮定して欲しく存じます。
憶えるとは頭だけの専売特許ではなく、身体でも憶えて行っているのでございます。
いうなれば、多少頭から記憶が抜け落ちていても、やったことは身体の方にしっかり蓄えられているのでございます。
忘れたからといって、即、徒労になるわけではないのでございます。
忘れてしまった・憶えられないからと過度に気を落とすことなく、たんたんと目の前のことをこなしていってくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年5月22日 10:37 AM |
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