| カテゴリー: 過去のススメ |
独学におきましては、間違ったりわからなかったりすることを恐れてはいけないのでございます。
過ちや間違いを忌み嫌っておられる方は、今この時点で、お考えを改めるべきかと存じます。
できることなら、やらないのでございます。
わたくしたちは、日本語の読み書きができますから、日本語を勉強する人はいません。勉強するのは、言語学者・国語の先生、マナーの講師くらいでしょう。
お勉強をするのは、できないからやるのでございます。
できないのですから、わからない・間違うというのは、ごく当たり前のことでございます。
できないのが、普通であって通常のことなのでございます。
それなのに、失敗や過ち、失点や忘却を恐れるのは、矛盾してございます。矛盾しているのにそのままで行くから、ますますどん詰まりに向かうのでございます。
できないことを恥ずかしく思う人も居られるかと思います。恥だから恐れる人も居られるでしょう。
しかしながら、恥というのは、実力者になってからの話でございます。
十分な勉強期間、演習数があってこそ、恥というのが生まれるのでございます。そら、過去問3回やって同じ問題を間違え続けるのは、小学生でも恥ずかしく思うことでしょう。
恥は、実力が付いて、お勉強の絶対数があってこそ、成り立つものでございます。
そんなにお勉強をしていないのに、間違いや失敗を恥ずかしく思うのは、正直に申しますと、「何様のつもりだ」という感を深めるのでございます。
逆に言えば、できないことを恥じるくらいなら開き直って、できないからやるんだと思って目の前のことに励んだ方が、よほど建設的でございます。
基本的に、知るということは難しいのでございます。
なぜなら、知っていると言うには、それを説明できないといけないからでございます。
たとえば、道でございます。市役所・駅への道を知っていると言うのなら、それを説明できなければならないわけでございます。
説明できないのに、知っているとはいえないのでございます。
お勉強におきましても、知っていると言うには、それを上手に簡潔に説明できないといけないのでございます。
意外にこの説明が難しいのでございます。
とはいえ、わたくしたちは合格を目指して試験勉強を行ってございます。試験というのは、説明のレベルまで求められておりません。
本試験では、問題−正解という形式の手助けがありますから、「知る」状態まで至らなくても良いのでございます。
とりあえず解答できる状態にまでなれば良いのですから、多少知らなくても恥じることはないのでございます。
お勉強におきましては、恥などうっちゃってしまい、恥から生じる恐れや怯みなどを払拭してくださればと存じます。
無用なものは
2009年5月26日 10:47 AM
★みんなとシェアする