独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

逆の面から

新型インフルエンザの報道が減ってまいりましたが、依然、ウイルスの感染は拡大兆候にございます。
インフルエンザが爆発的に流行するのは、最初に感染者が見つかって4週間後と、免疫学では言われているそうでございます。
GWあたりから感染者がちらほら見つかりだしましたので、未だ爆発する前でございます。
皆様方には、報道の多寡に関わらず、手洗い・うがい・マスク等の感染の拡大を阻止する措置をおとり下さればと存じます。
ちなみに、マスクは、「他人にウイルスや菌をうつすのを防止する」道具でございます。
決して、インフルエンザに罹らないためにつけるものではないのでございます。
お店の店員がマスクをしているのは、店員のインフルエンザ罹患を防ぐものではなく、お客様への感染の拡大を防ぐものでございます。
インフルエンザウイルスに感染しても、抵抗やら対抗やら免疫で、100%発症はしないのでございます。
ですから、これをお読みの方の中には、もうすでに新型インフルエンザに感染しているけれども、ウイルスの暴発を押さえ込んでいる人がたくさんおられるかと存じます。
繰り返しますが、マスクは「自分がかからないために付ける」のではなくて、「他人へうつさないための道具」でございます。
マスクは他人への、いうなれば、糖尿病患者や妊婦、先天的な疾患をお持ちの方への配慮でございます。この点、勘違いなさらないようにお願い申し上げる次第でございます。
数千円のマスクをしようが、医療従事者用のマスクをしようが、ウイルスを予防できるものではありません。自分の体内にいるウイルスを拡げないがための着用でございます。
インフルエンザに罹らない、というよりも、発症を抑えるには、従来どうりのうがいと手洗い、栄養と睡眠しかありませんので、続行してくださればと存じます。
さて、前置きが長くなりましたが、逆に考えると、解決策が浮かぶものでございます。
たとえば、やる気問題でございます。
やる気がなくなった、などと人は申しますが、逆にいえば、やる気があるからこそ、やる気がなくなるということができるのでございます。
「今は」ないだけで、明日・明後日になれば、やる気は満つるかもしれないのでございます。また、過去に、やる気はあったということもいえましょう。
周りの人は、皆様方がお勉強をしているものに、おそらくはやる気はないことでしょう。さすれば、比較上、あなたは多少のやる気はあるということができるのでございます。
やる気が絶無、まったくになくなったとは言えないのでございます。
なあんだあるじゃん、と思えば、自分の立て直しも見つかるかと存じます。
たとえば、八方塞がりでございます。
あれもこれもしなければ!!とどこから手を付ければいいかてんやわんやの状態に陥るときもあるかと存じます。
しかしながら、いうなれば八方塞がりといえども、「8つ」しかありません。たった8個、十指に足るものでございます。
しかも、8つの8つがすべて、同じ強度で同じ難しさで同じ分量であることはありえません。
比較的簡単に終わるものから、一筋縄ではいかないものがあるでしょう。
ならば、難易度順なり優先度の高いものに整理してから、順番に手を付けていけばよいということになります。
「逆」を意識することで、すっと思考の絡んだ糸がほぐれるときがございます。
逆思考でお考えくださればと存じます。
とはいえ、配偶者に向かって「逆の意味でよかった」などといいますとひどい目に遭いますので、ご注意くださればと存じます。

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恥を捨てるときがきた

独学におきましては、間違ったりわからなかったりすることを恐れてはいけないのでございます。
過ちや間違いを忌み嫌っておられる方は、今この時点で、お考えを改めるべきかと存じます。
できることなら、やらないのでございます。
わたくしたちは、日本語の読み書きができますから、日本語を勉強する人はいません。勉強するのは、言語学者・国語の先生、マナーの講師くらいでしょう。
お勉強をするのは、できないからやるのでございます。
できないのですから、わからない・間違うというのは、ごく当たり前のことでございます。
できないのが、普通であって通常のことなのでございます。
それなのに、失敗や過ち、失点や忘却を恐れるのは、矛盾してございます。矛盾しているのにそのままで行くから、ますますどん詰まりに向かうのでございます。
できないことを恥ずかしく思う人も居られるかと思います。恥だから恐れる人も居られるでしょう。
しかしながら、恥というのは、実力者になってからの話でございます。
十分な勉強期間、演習数があってこそ、恥というのが生まれるのでございます。そら、過去問3回やって同じ問題を間違え続けるのは、小学生でも恥ずかしく思うことでしょう。
恥は、実力が付いて、お勉強の絶対数があってこそ、成り立つものでございます。
そんなにお勉強をしていないのに、間違いや失敗を恥ずかしく思うのは、正直に申しますと、「何様のつもりだ」という感を深めるのでございます。
逆に言えば、できないことを恥じるくらいなら開き直って、できないからやるんだと思って目の前のことに励んだ方が、よほど建設的でございます。
基本的に、知るということは難しいのでございます。
なぜなら、知っていると言うには、それを説明できないといけないからでございます。
たとえば、道でございます。市役所・駅への道を知っていると言うのなら、それを説明できなければならないわけでございます。
説明できないのに、知っているとはいえないのでございます。
お勉強におきましても、知っていると言うには、それを上手に簡潔に説明できないといけないのでございます。
意外にこの説明が難しいのでございます。
とはいえ、わたくしたちは合格を目指して試験勉強を行ってございます。試験というのは、説明のレベルまで求められておりません。
本試験では、問題−正解という形式の手助けがありますから、「知る」状態まで至らなくても良いのでございます。
とりあえず解答できる状態にまでなれば良いのですから、多少知らなくても恥じることはないのでございます。
お勉強におきましては、恥などうっちゃってしまい、恥から生じる恐れや怯みなどを払拭してくださればと存じます。

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迂回・飛ばし

肌寒い日々が続きます。こうした気候のときに、ちょっとの体温管理のミスで夏風邪や鼻風邪を引くものでございます。
ただでさえ、咳やくしゃみに冷たい目が注がれるときでございます。
風邪を引いて下手をしたら、これまで抵抗できていたインフルエンザウイルスの跋扈を許してしまうかもしれません。
しっかりと体調管理の程を、お願いしたく存じます。
変だなと思ったらマスク・手洗い・うがいでございます。
さて、独学で困ることの筆頭といえば、「わからない」でございます。
知識が足りないのか、理解が及ばないのか、経験が足りないのか、ピースの足りないパズルをやるかのような「わからなさに遭遇することがあるかと存じます。
こうしたわからない障害に遭遇したときには、ふたつの方向がございます。
ひとつは、そのまま、障害の厚い壁に果敢に挑戦し続けることでございます。
しかし、このような鉄の意思は、ある程度学習範囲の商家が終わってから持ったほうがよろしいかと存じます。
というのも、わたくしたちの時間は有限であるからでございます。
わたくしたちのお勉強は、たいがい途上にあるものでございます。ですから、いちいち問題の発生ごとに足を取られてしまうと、その分だけ、遅れてくるのでございます。
第一に、わたくしたちは、現下のわからないものが、試験上どういう位置を占めているかわかりません。
必ずマスターしておくべきことなのか、おさえるだけでよいのか、ほとんど無視してもいいのか、優先順位がわからないまま悪戦苦闘するのは愚かであるかと存じます。
やらないといけない!という確たるものが出来上がってから、がっぷりよっつに構えた方が、時間の有効利用になるかと考える次第でございます。
そこで、もうひとつの方策、迂回する・飛ばすというやり方が浮上してくるのでございます。
迂回・飛ばすには、ページ単位で行うのものでございますが、単元ごと、節ごと、章ごと迂回したり飛ばしても結構でございます。
進み方は自由でありますので、支障のない範囲でどんどんお勉強の順番を変えても良いのでございます。
たとえば、トンネルでございます。トンネルは、両方から掘って行くものでございますが、お勉強もトンネルの掘り方のようなやり方も良いかと思います。
お勉強の途中で何か障害が発生して、進みがぱたんと止まってしまったら、そこでいったんはストップして、今度は真逆の最終章からお勉強を進めて行くと良いかと思います。
まだ実質的には終わってはいないのですが、最終章を手がけただけで、何だか不思議に(終わったなあ!)という感興が湧いてくるものでございます。
いつも以上に気分良く、お勉強を進めることができるのではないかと存じます。
さて、迂回したり飛ばしたりするのが、お勉強に有効なのは、時間の有効利用のみではありません。
「間」が取れるのも、大きな利点であるかと存じます。
わたくしたちがお勉強で身につけて行く知識は、実はある程度時間が経過して、いうなれば熟成されないと有用なものにはならないのでございます。
熟成されてこなれて頭にしっくりきてようやく、考えるための材料になるのでございます。
わからないに再度立ち向かうときに、熟成された知識で飛びかかれば、前回以上に善戦することが可能になるかと存じます。

(さらに…)