独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

だから、こつこつ

「こつこつ」やるというのが、損のない方法論のひとつでございます。
しかしながら、数ある方法の「ひとつ」であることにご注意くださればと存じます。
何でもかんでもこつこつやるというのは、愚かでございます。
わたくしたちには、1日24時間しかありませんので、さっさとやれることはちゃっちゃっとやっていかねばなりません。
速くやれるのに、こつこつするのは、単にだらけているだけでございます。この点、勘違いをなさらぬようにしてくださればと存じます。
こつこつは完全無欠で、誤謬なき神聖不可侵のやり方では決してないことを明記しておきたく存じます。
「こつこつ」した方がいいから、こつこつするわけでございます。
つまり、いっぺんにできないもの、いっぺんにすれば効率が悪くなるもの、いっぺんにすると効果がないものに特定して、「こつこつ」法を執るわけでございます。
再度申し上げますが、独学の基本方針は、「てきぱき素早くさっさと大雑把に」でございます。
こつこつやるというのは、単に、だらだらすればよい、のろのろすればよいというわけではありません。
効率化の視点や改善の見通しに欠けるものではないことに、ご留意くださればと存じます。
さて、では、具体的にどうするのが「こつこつ」であるかということでございます。
「こつこつ」するとは何かといいますか、それは、できる・できないの区別をつけながら進めることでございます。
ここまではできる、これからはできないと、個々を確かめながら進めて行くのでございます。
こつこつやるときは、大雑把さは無用でございます。でき「そう」・でき「そうにない」などという風に、曖昧な把握であってはいけないのでございます。
ここまではできた、以降は明日にする。
ここまでは憶えられた、以降は日に3つずつ憶えていく。
というように、できる・できないを明白にしながらやっていくのでございます。いっそのこと、自分のできる・できないをメモを取るくらいにきちんと捉えて行くのでございます。
進めるというのは、言葉を換えていけば、少しずつできる領域を広げていく感じでございます。
試験には、膨大で些細なことでいっぱいの表やリストを憶えなければいけないときがございます。
でないと、1点取れないか、失点の可能性が高まってしまうからでございます。
点の取れる人というのは、こうした点に関わる表やリストを、100%といってもいいほど、確実におさえて出題に備えます。
逆に、めんどくさいなといってやらずじまい・放棄する人ほど、点数は低くなります。
気持ちはわかります。こんなもの憶えられるか!と憤るのもわかるものでございます。
だからこそ、いっぺんにやろうとせず、「こつこつ」するわけでございます。いっぺんにやるのは大変でも、少しずつならできることは多数ございます。
歩みの1歩1歩は遅くても良いのでございます。だって、いっぺんにできないのですから、仕方がありません。
逆に言うなら、あなたが遅い歩みならその他の受験生も同じく遅いのです。
特別にできる人など全受験生の3%もおりません。皆遅いなら、その遅さは遅いのではなく、「普通」になるわけであります。
速い・遅いというのは、お勉強におきましては、気分的なもの・心理的なものでありまして、思い違いが多々含まれるものでございます。
足の速さは見たらわかりますので、速い遅いの自己評価はすぐに確立いたします。
しかし、一方の、理解や暗記・記憶、把握など頭の中で行われることは目には見えませんので、評価し難いのでございます。
ですから、全体から見れば特に遅くもないのに、本人が(遅い!!)と思い込んで、要らぬ焦燥を味わったりするものでございます。
サボらずにまじめにやり、復習を欠かさず、一生懸命やってそのスピードや進捗なら、それが普通なのでございます。
まるで野原を開墾している人になった気分で、こつこつと自分のできるところを拡げていってくださればと存じます。

(さらに…)

いい方向・悪い方向

今やっていることが、正しいのか、よいのかは一概にいえるものではありません。
よくないなあと思いつつ続けていることは、多数あるかと存じます。
深酒・つまみ食い・甘食・菓子パン・御菓子・運動不足などなど・・・。
しかし、当の本人が、「よくない」と知っているだけでも、改善の余地がございます。
機が熟せば、きっとそのよくないことは解消して行くことでしょう。
去年の夏服が着れなくなったり、健康診断でこれまでにない注意がついたりすれば、何かと直していこうとするものでございます。
しかし、問題の根が深いのは、当の本人がいいことか悪いことか気付いていないときでございます。
ごく普通にやっていること、日常的になっていることが、実は、将来の大きな問題になりかねないのでございます。
本人はまったく気が付いていないのですが、たとえば、濃い味付けが好きな人がございます。
舌にびりびりこないと食べた気がしないという人でございます。
何でもべったりどっぷりかけて食べる人でございます。
当の本人はまったく気が付いていないのですが、他人からすればちょっとそれはないよ、味覚大丈夫?という話になるのでございます。
で、味覚に失調の起きる病気に罹っていて緊急入院するというわけなのでございます。
このことは、某友人の実話なのでございますが、当の本人はまったく味覚の変化に気が付いていなかったとのことでございます。
これが配偶者か子供でも居れば、「味濃いわ!」と怒鳴られるか、「食えん!」と罵られたかしたのでしょうが、なにぶん1人暮らしであったので、発見が遅れたという次第でございます。
このように、自分ひとりでは、なかなかに本当に深刻で重要な問題に気が付かないのでございます。
逆に言えば、いま認識しているよい・わるいというのは、それほど重大なものではない、ということができるでしょう。知っている分、何かと手配ができるからでございます。
さて、自分の気付かぬいいこと、とりわけ悪いことについて、わたくしたちはどうしたらいいかというわけでございます。
自分ではわからないのですから、どうも対処に困るものでございます。知らないものをどう知ればいいかという、矛盾した話だからでございます。
しかしながら、わたくしたちは人間である以上に動物でございます。
生物としての予兆といいますか予感を持ちうるものでございます。
わたくしたちは何の何が良くて、何が悪いということはできませんが、(これはいいかも?!)(こいつはまずそうだなあ)という予感は持つものでございます。
こうしたカンも判断における重要な要素でございます。
ダメな店というのはどういう内装をしていようが、POPをしようが、チラシを打とうが、メニューを前面に出していようが、ダメな感じがするものでございます。
いいな!と思うことやものは、論理的な結論から引き出されるものでなく、やったら即わかるものでございます。
こうしたカンが、わたくしたちの方向を際立たせているかと存じます。
いま、自分が向かっている方向が、いい感じなのか悪い感じなのか、1月に1回、ワンシーズンごとに1回、振り返ってみるのが良いかと思われます。
良くはないなあという感があるのなら、何か気付かぬ良くないことが水面下で進行中でございます。
いいんでないかい、少なくとも悪くはないという方は、穏当に事が進んでいると申せましょう。
細かく各個にいいか悪いかはいえませんが、大まかに大雑把な方向性の当否は、意外にわかるものでございます。
自分がいい方向に進んでいるか、悪いほうに向かっているか、まず方向性から考えて、個別のことに考えを進めれば何かと問題点が浮き彫りにあぶり出されてくるかと存じます。
種々様々の小細工を弄するよりも、まずは、自分の求める方向に舵を切るべきかと存じます。

(さらに…)

うわさからは作られない

お勉強におきまして、最も確実にいえることは、あなたが何回やったかという回数でございます。
これだけは、虚が入り混じることのない真実のことでございます。
1回しかやっていないのに、2回やった3回やったと考える人は居ないかと思います。まあ、見栄を張って他人にそう言うことはあるでしょうけれども、自分自身に対して嘘の回数を言うことはないでしょう。
もし、自分に明らかな嘘をつくようでしたら、ある意味、マインドコントールされているので、専門家の助言を受けるようにしてください。
某少年探偵のK氏が毎度のこと言っていますが、真実はふたつとありません。解釈はたくさんあろうとも、真実はひとつです。
真実は確実なものでございます。
お勉強におきましても、思考のスタートは、真実という確実な点に立てるべきでございます。
当サイトでは、繰り返す回数について何度も言及していますが、それは、繰り返す数は確実だからでございます。
1回よりも2回、2回よりも3回繰り返したほうが、記憶の定着も理解度も段違いに伸びて行くものでございます。
わたくしは、繰り返しに勝る実力アップの方法、繰り返し以上に確実に実力を伸ばす方法を知りません。
ですから、確実にいえる「回数」を起点に置くわけでございます。
回数以上に伸ばす確実な方法があるのであれば、それをお採りくださればと存じます。
確実にいえることから始めるのが、独学の第1歩であるかと存じます。
うわさやデマ、信憑性に欠ける情報、どのような検証があったか不明な情報を元に、お勉強を組み立てるよりかは、まったくマシでございます。
アレが出る、コレが出る、ソレが妖しそうといった、類推予想の類は、基本的にまったく役に立ちません。本試験問題は、うわさから作られるものではありません。
こんなことに振り回されるよりかは、過去に100%出たことが確実な過去問を基準にお勉強を組み立てたほうが、賢明でございます。
類は友を呼ぶものでございます。
愚かなことをやった人は、愚かな帰結が待っているものでございます。賢明なことをやった人には、相応の結果が待っているものでございます。
うわさや風評から何が生まれたのか、一度お考えくださればと存じます。
あれこれと情報に振り回される以上に、自分がやったことを大切にしてくださればと存じます。
逆に言えば、確かなものを積み重ねよう、ということでございます。
多くの答えは、自分の中にあるものでございます。あれこれ考えて気に病むくらいなら、テキストか問題集、過去問を開こうというわけでございます。

(さらに…)