独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

短くなった

ここに工場があると致します。
そして、生産ラインの主任をあなたが勤めていると致しましょう。
さて、その生産ラインは、1週間に100のものを作ります。できた100個のうち80個が良品、残りの20個が不良品と致します。
不具合率20%は、よくない状態でございます。ですから、改善に取り組みました。
そこで、生産の有様が以下のようになりました。
「3日で100個作れるようになったが、いまだ80個の良品と20個の不良品ができてしまう」と。
さて、では、不具合率の20%に変わりがないからといって、この改善活動はダメだったのでしょうか。
そうはいえませんね。
1週間100個の生産が、3日で100個になったのですから、生産能力は倍以上に拡大したわけでございます。
逆にいえば、100個作るのに1週間かかっていたのに、3日で済むようになったというわけでございます。
不具合率の改善はなくても、生産力と生産時間は大いにアップしたわけです。改善活動は、まあ成功したということができましょう。
お勉強においても、同様のことが成り立つのではないかと考えます。
わたくしたちは、常に忘却の魔の手を恐れてございます。確かにその通りでございます。
1時間かけて、または、2日〜3日かけて憶えたことが、1週間後にすっかり忘れていたら、徒労感はえぐいものがございます。
しかしながら、忘れるのはお勉強にとって普通にあることでございます。晴れがあれば雨があるくらいに、ごく日常的なことでございます。
何度も当ススメにて口を酸っぱくして言っておりますが、わたくしたちは、本試験というその日までに憶えればよいのでございます。
逆にいえば、本試験まではいくら忘れても構わないのでございます。
極端にいえば、本試験の前日までに、記憶を完成させて思い出せるようになっておけばよいのでございます。
忘れることを恐れるのは仕方がありませんが、だからといって恐怖に萎縮していても始まりません。
憶えた・忘れたを、二者択一のものと考えないようにしてほしく存じます。結果が2つしかないと、どうしても恐怖や怯みを憶えるからでございます。
憶えた・忘れた以外にも、お勉強の進捗を測るものはあるのでございます。
たとえ、忘れたとしても、再記憶までの時間がどのくらいかかるのかについて、ご留意してくだされば存じます。
おそらく、お勉強当初は何日とかかっていたものでも、今では数時間もあれば、(そうそう、そうだった)(これだ〜)といった感じで、確認や再記憶を完了できるかとお思います。
その「差」の時間は、実力が伸びたからこそ、できるようになった芸当なのでございます。
同じことを憶えるのに、以前よりも手間がかからず時間も短く憶え直せるようになったことも、実力のひとつなのでございます。
あと一歩か二歩、詰めれば記憶は完了いたします。忘れてしまったからダメだ、というわけではありません。
何が短くなったのかについて、意識を向けてくださればと存じます。

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面白くなりそうな方

重大な結果を引き起こすことについては、しっかり考えれば良いのでございます。
この判断を間違うと一家離散だ、というのでしたら、慎重に資料を集め、丹念に情報を集め、細心に決断を下せば良いのでございます。
このことは、当たり前のようでありながら、実はそうではないのでございます。
ときに、重大な結果を引き起こすことほど、何故だか判断を曖昧にしたり、先延ばしをして決断を下すのを忌避するきらいを示す御仁が居られます。
重大な結果を引き起こすがために、その重圧に負けてしまうのでありましょう。どーでもいいやという感じになって運否天賦に任せてしまうのでございます。
天は自ら助くものを助くと申します。天に任せるのは人知を尽くしてからでございます。単に任せるのみではないことを認識すべきかと存じます。
誰でも未完成で中途半端の仕事を任せられるのはいやでございます。況や、天をやでございます。
重大な決定に際しては、入手できる限りの情報を集め、虫も通さぬようにしっかり考え、リスクを算出し、最悪の事態を想定してから、臨むようにご助言する次第でございます。
さて、大層な話になりましたが、今回のススメでお話したいのは、一転して重大なことではない決定・判断についてでございます。
重大な決定というのは、そんなにめったにありません。5年に1回、10年に1回、生涯に数回でありましょう。
わたくしたちの判断のほとんどは、重大ではないことに関してでございます。
ビールをもう1本余計に買おうか、つまみはなんにしようか、ビーフジャーキーにするかホシイカにするか、128円の超熟の食パンにするか、100円ショップのそこそこの食パンにするか、アンパンか豆パンか、金つばか最中か、198円の枝豆か348円の黒豆丹波産枝豆にするか、ガムにするか飴にするか、コーヒーにするか紅茶にするか、こういったレベルの決断ばかりではないでしょうか。
通常のときは、こうしたあれこれ悩む選択が楽しみではございます。
しかしながら、お勉強を抱えているときには、こうしたどうでもいい判断に頭を使ったり、時間を取ったり、気や心を浪費しないことが大切かと存じます。
判断は究極、どっちでもいいですし、結果もそう変わらないものでございます。
こうした判断に時間をかけないようにすると、意外に時間とやる気を確保することができるのでございます。
雑事雑用はお勉強の敵でございますので、いかにこれらを裁くかがコツとなってくるのでございます。
では、こうした重大ではない決定・判断は、どうしたらいいかといいますと、明確は基準を設けておくのが良いかと存じます。
その基準とは、「面白くなるかならないか」でございます。
たとえば、おやつの選択で迷ったなら、このお菓子を買えば面白くなるだろうか、と自問するのでございます。
特に面白くならないなと思ったなら買わないように結論付けます。
一方、こうやって食べたら(たとえば、頂いたお茶で食べてみる、クリームを塗ってみる、チーズと一緒に食べてみる)面白そうと思えたなら、買えばいいのでございます。
どうしよう、と迷ったときは、どっちが面白いかで判断すれば良いかと思います。
用不要、必要不必要、得か損か、ばかりで考えていると、どうも、心が固まるというか頭が固くなる感が致します。
用不要、必要不必要、得か損かも判断基準としてはよいものがありますが、プラスして「面白そうかどうか」を加えますと、より悩まない判断が付けられるかと存じます。
たとえ、判断が間違えても話のネタができたと笑い話・茶飲み話になりますし、面白そうで選ぶとそう間違いもないものでございます。
面白きなき世を面白く、という辞世の句もございます。
面白さを求めるというのは、日常生活のコツと考えている次第でございます。

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だから、こつこつ

「こつこつ」やるというのが、損のない方法論のひとつでございます。
しかしながら、数ある方法の「ひとつ」であることにご注意くださればと存じます。
何でもかんでもこつこつやるというのは、愚かでございます。
わたくしたちには、1日24時間しかありませんので、さっさとやれることはちゃっちゃっとやっていかねばなりません。
速くやれるのに、こつこつするのは、単にだらけているだけでございます。この点、勘違いをなさらぬようにしてくださればと存じます。
こつこつは完全無欠で、誤謬なき神聖不可侵のやり方では決してないことを明記しておきたく存じます。
「こつこつ」した方がいいから、こつこつするわけでございます。
つまり、いっぺんにできないもの、いっぺんにすれば効率が悪くなるもの、いっぺんにすると効果がないものに特定して、「こつこつ」法を執るわけでございます。
再度申し上げますが、独学の基本方針は、「てきぱき素早くさっさと大雑把に」でございます。
こつこつやるというのは、単に、だらだらすればよい、のろのろすればよいというわけではありません。
効率化の視点や改善の見通しに欠けるものではないことに、ご留意くださればと存じます。
さて、では、具体的にどうするのが「こつこつ」であるかということでございます。
「こつこつ」するとは何かといいますか、それは、できる・できないの区別をつけながら進めることでございます。
ここまではできる、これからはできないと、個々を確かめながら進めて行くのでございます。
こつこつやるときは、大雑把さは無用でございます。でき「そう」・でき「そうにない」などという風に、曖昧な把握であってはいけないのでございます。
ここまではできた、以降は明日にする。
ここまでは憶えられた、以降は日に3つずつ憶えていく。
というように、できる・できないを明白にしながらやっていくのでございます。いっそのこと、自分のできる・できないをメモを取るくらいにきちんと捉えて行くのでございます。
進めるというのは、言葉を換えていけば、少しずつできる領域を広げていく感じでございます。
試験には、膨大で些細なことでいっぱいの表やリストを憶えなければいけないときがございます。
でないと、1点取れないか、失点の可能性が高まってしまうからでございます。
点の取れる人というのは、こうした点に関わる表やリストを、100%といってもいいほど、確実におさえて出題に備えます。
逆に、めんどくさいなといってやらずじまい・放棄する人ほど、点数は低くなります。
気持ちはわかります。こんなもの憶えられるか!と憤るのもわかるものでございます。
だからこそ、いっぺんにやろうとせず、「こつこつ」するわけでございます。いっぺんにやるのは大変でも、少しずつならできることは多数ございます。
歩みの1歩1歩は遅くても良いのでございます。だって、いっぺんにできないのですから、仕方がありません。
逆に言うなら、あなたが遅い歩みならその他の受験生も同じく遅いのです。
特別にできる人など全受験生の3%もおりません。皆遅いなら、その遅さは遅いのではなく、「普通」になるわけであります。
速い・遅いというのは、お勉強におきましては、気分的なもの・心理的なものでありまして、思い違いが多々含まれるものでございます。
足の速さは見たらわかりますので、速い遅いの自己評価はすぐに確立いたします。
しかし、一方の、理解や暗記・記憶、把握など頭の中で行われることは目には見えませんので、評価し難いのでございます。
ですから、全体から見れば特に遅くもないのに、本人が(遅い!!)と思い込んで、要らぬ焦燥を味わったりするものでございます。
サボらずにまじめにやり、復習を欠かさず、一生懸命やってそのスピードや進捗なら、それが普通なのでございます。
まるで野原を開墾している人になった気分で、こつこつと自分のできるところを拡げていってくださればと存じます。

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