独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

偶然です

古人は、「法律」という著書の中で、「人事のほとんどすべては偶然である」と看破してございます。
わたくしも、そのように考える次第でございます。
なぜ、それはそこにあるのか、と考えてみたとき、たとえば、隣で寝ている人の顔をまじまじと見たときに、突き詰めていけば、偶然の作用が大きいのではないかと思います。
偶然というものを頭の片隅に置いておくことが、よく生きるコツであるかと存じます。
お勉強におきましても、偶然は無視できない強い影響を持ってございます。
お勉強中のわたくしたちは、(しなくてはならない)とか、(やらなくてはいけない)などと考えているかと存じます。
しかし、そう考えるのは、やったりしたりすれば、できるようになると考えているからこそ、そういった思いが湧きあがるのでございます。
知らず知らずにうちに、「やる=できる」という式を成り立たせているわけでございます。
お勉強がうまくいかず頭を抱える人が居られるかと存じますが、少し、考え違いかと存じます。
わたくしたちのお勉強も、偶然のもとにあると考えると気が楽になるかと考えます。
いくらお勉強をまじめに取り組んでも、できないことは多々ございます。憶えられないことも、理解が及ばないことも、同様に多々あるものでございます。
しかし、考えてみれば、わたくしたちが、できるようになったことや憶えたこと、理解したことというのは、意外にその原因をきっちり説明できないのでございます。
わたくし個人のことをいえば、知らないうちにできるようになっていた、といった感じなのでございます。
皆様におきましても、どうしてできたのか?と突き詰めて自問してみれば、偶然できるようになった、わかった、憶えたという答えが返ってくるのではないかと考えます。
お勉強というのも、偶然というものに支配されていることを意識してくださればと存じます。ぶっちゃけていえば、理解したり、憶えたりするのも、偶然なのでございます。
しかしながら、お勉強が偶然でしかないなら、試験勉強などせず、すべて運否天賦に任せた方がいいではないか、と考えるかもしれません。
しかし、それは、当たり前のことですが、賢明ではありません。
確かに、憶えたり理解したりするのは偶然ではありましょうが、憶えたり理解したりする期間は、自分で短くすることができるのでございます。
お勉強では回数が大事、繰り返すことが重要といいますのは、単に試行回数を増やして、「憶える」当たりくじを引かんがためでございます。
しかも、くじ引き1回に要する時間は、お勉強をしていけばいくほど短くなっていきます。
1ページ分の確認をするのにお勉強序盤では1時間かかっていたものが、やればやるほど30分、20分、10分、果てには5分でチェックできるようになるわけです。
つまり、1回あたりの時間が短縮される分だけ、同じ時間でもたくさんのくじを引けるわけで、大いに当たりくじを引きやすくなるわけでございます。
憶えたり理解したりするのは偶然とはいえども、やっていさえいれば、必ず「あたり」を引くときが参ります。
よくできる人というのは、皆が皆、特別に頭がいいとか優秀な脳みそを持っているわけではなく、単に、くじをたくさん引いていると考えたほうが、現実に近いかと存じます。
わたくしたちは、何でも出来ると思いがちですので、うまくいかないと無用に焦ったりするものでございます。
しかし、お勉強の多くは偶然であることを知っていれば、淡々と腰を落ち着けて取り組んでいけるのではないかと存じます。

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短くなった

ここに工場があると致します。
そして、生産ラインの主任をあなたが勤めていると致しましょう。
さて、その生産ラインは、1週間に100のものを作ります。できた100個のうち80個が良品、残りの20個が不良品と致します。
不具合率20%は、よくない状態でございます。ですから、改善に取り組みました。
そこで、生産の有様が以下のようになりました。
「3日で100個作れるようになったが、いまだ80個の良品と20個の不良品ができてしまう」と。
さて、では、不具合率の20%に変わりがないからといって、この改善活動はダメだったのでしょうか。
そうはいえませんね。
1週間100個の生産が、3日で100個になったのですから、生産能力は倍以上に拡大したわけでございます。
逆にいえば、100個作るのに1週間かかっていたのに、3日で済むようになったというわけでございます。
不具合率の改善はなくても、生産力と生産時間は大いにアップしたわけです。改善活動は、まあ成功したということができましょう。
お勉強においても、同様のことが成り立つのではないかと考えます。
わたくしたちは、常に忘却の魔の手を恐れてございます。確かにその通りでございます。
1時間かけて、または、2日〜3日かけて憶えたことが、1週間後にすっかり忘れていたら、徒労感はえぐいものがございます。
しかしながら、忘れるのはお勉強にとって普通にあることでございます。晴れがあれば雨があるくらいに、ごく日常的なことでございます。
何度も当ススメにて口を酸っぱくして言っておりますが、わたくしたちは、本試験というその日までに憶えればよいのでございます。
逆にいえば、本試験まではいくら忘れても構わないのでございます。
極端にいえば、本試験の前日までに、記憶を完成させて思い出せるようになっておけばよいのでございます。
忘れることを恐れるのは仕方がありませんが、だからといって恐怖に萎縮していても始まりません。
憶えた・忘れたを、二者択一のものと考えないようにしてほしく存じます。結果が2つしかないと、どうしても恐怖や怯みを憶えるからでございます。
憶えた・忘れた以外にも、お勉強の進捗を測るものはあるのでございます。
たとえ、忘れたとしても、再記憶までの時間がどのくらいかかるのかについて、ご留意してくだされば存じます。
おそらく、お勉強当初は何日とかかっていたものでも、今では数時間もあれば、(そうそう、そうだった)(これだ〜)といった感じで、確認や再記憶を完了できるかとお思います。
その「差」の時間は、実力が伸びたからこそ、できるようになった芸当なのでございます。
同じことを憶えるのに、以前よりも手間がかからず時間も短く憶え直せるようになったことも、実力のひとつなのでございます。
あと一歩か二歩、詰めれば記憶は完了いたします。忘れてしまったからダメだ、というわけではありません。
何が短くなったのかについて、意識を向けてくださればと存じます。

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面白くなりそうな方

重大な結果を引き起こすことについては、しっかり考えれば良いのでございます。
この判断を間違うと一家離散だ、というのでしたら、慎重に資料を集め、丹念に情報を集め、細心に決断を下せば良いのでございます。
このことは、当たり前のようでありながら、実はそうではないのでございます。
ときに、重大な結果を引き起こすことほど、何故だか判断を曖昧にしたり、先延ばしをして決断を下すのを忌避するきらいを示す御仁が居られます。
重大な結果を引き起こすがために、その重圧に負けてしまうのでありましょう。どーでもいいやという感じになって運否天賦に任せてしまうのでございます。
天は自ら助くものを助くと申します。天に任せるのは人知を尽くしてからでございます。単に任せるのみではないことを認識すべきかと存じます。
誰でも未完成で中途半端の仕事を任せられるのはいやでございます。況や、天をやでございます。
重大な決定に際しては、入手できる限りの情報を集め、虫も通さぬようにしっかり考え、リスクを算出し、最悪の事態を想定してから、臨むようにご助言する次第でございます。
さて、大層な話になりましたが、今回のススメでお話したいのは、一転して重大なことではない決定・判断についてでございます。
重大な決定というのは、そんなにめったにありません。5年に1回、10年に1回、生涯に数回でありましょう。
わたくしたちの判断のほとんどは、重大ではないことに関してでございます。
ビールをもう1本余計に買おうか、つまみはなんにしようか、ビーフジャーキーにするかホシイカにするか、128円の超熟の食パンにするか、100円ショップのそこそこの食パンにするか、アンパンか豆パンか、金つばか最中か、198円の枝豆か348円の黒豆丹波産枝豆にするか、ガムにするか飴にするか、コーヒーにするか紅茶にするか、こういったレベルの決断ばかりではないでしょうか。
通常のときは、こうしたあれこれ悩む選択が楽しみではございます。
しかしながら、お勉強を抱えているときには、こうしたどうでもいい判断に頭を使ったり、時間を取ったり、気や心を浪費しないことが大切かと存じます。
判断は究極、どっちでもいいですし、結果もそう変わらないものでございます。
こうした判断に時間をかけないようにすると、意外に時間とやる気を確保することができるのでございます。
雑事雑用はお勉強の敵でございますので、いかにこれらを裁くかがコツとなってくるのでございます。
では、こうした重大ではない決定・判断は、どうしたらいいかといいますと、明確は基準を設けておくのが良いかと存じます。
その基準とは、「面白くなるかならないか」でございます。
たとえば、おやつの選択で迷ったなら、このお菓子を買えば面白くなるだろうか、と自問するのでございます。
特に面白くならないなと思ったなら買わないように結論付けます。
一方、こうやって食べたら(たとえば、頂いたお茶で食べてみる、クリームを塗ってみる、チーズと一緒に食べてみる)面白そうと思えたなら、買えばいいのでございます。
どうしよう、と迷ったときは、どっちが面白いかで判断すれば良いかと思います。
用不要、必要不必要、得か損か、ばかりで考えていると、どうも、心が固まるというか頭が固くなる感が致します。
用不要、必要不必要、得か損かも判断基準としてはよいものがありますが、プラスして「面白そうかどうか」を加えますと、より悩まない判断が付けられるかと存じます。
たとえ、判断が間違えても話のネタができたと笑い話・茶飲み話になりますし、面白そうで選ぶとそう間違いもないものでございます。
面白きなき世を面白く、という辞世の句もございます。
面白さを求めるというのは、日常生活のコツと考えている次第でございます。

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