独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

面白くなりそうな方

重大な結果を引き起こすことについては、しっかり考えれば良いのでございます。
この判断を間違うと一家離散だ、というのでしたら、慎重に資料を集め、丹念に情報を集め、細心に決断を下せば良いのでございます。
このことは、当たり前のようでありながら、実はそうではないのでございます。
ときに、重大な結果を引き起こすことほど、何故だか判断を曖昧にしたり、先延ばしをして決断を下すのを忌避するきらいを示す御仁が居られます。
重大な結果を引き起こすがために、その重圧に負けてしまうのでありましょう。どーでもいいやという感じになって運否天賦に任せてしまうのでございます。
天は自ら助くものを助くと申します。天に任せるのは人知を尽くしてからでございます。単に任せるのみではないことを認識すべきかと存じます。
誰でも未完成で中途半端の仕事を任せられるのはいやでございます。況や、天をやでございます。
重大な決定に際しては、入手できる限りの情報を集め、虫も通さぬようにしっかり考え、リスクを算出し、最悪の事態を想定してから、臨むようにご助言する次第でございます。
さて、大層な話になりましたが、今回のススメでお話したいのは、一転して重大なことではない決定・判断についてでございます。
重大な決定というのは、そんなにめったにありません。5年に1回、10年に1回、生涯に数回でありましょう。
わたくしたちの判断のほとんどは、重大ではないことに関してでございます。
ビールをもう1本余計に買おうか、つまみはなんにしようか、ビーフジャーキーにするかホシイカにするか、128円の超熟の食パンにするか、100円ショップのそこそこの食パンにするか、アンパンか豆パンか、金つばか最中か、198円の枝豆か348円の黒豆丹波産枝豆にするか、ガムにするか飴にするか、コーヒーにするか紅茶にするか、こういったレベルの決断ばかりではないでしょうか。
通常のときは、こうしたあれこれ悩む選択が楽しみではございます。
しかしながら、お勉強を抱えているときには、こうしたどうでもいい判断に頭を使ったり、時間を取ったり、気や心を浪費しないことが大切かと存じます。
判断は究極、どっちでもいいですし、結果もそう変わらないものでございます。
こうした判断に時間をかけないようにすると、意外に時間とやる気を確保することができるのでございます。
雑事雑用はお勉強の敵でございますので、いかにこれらを裁くかがコツとなってくるのでございます。
では、こうした重大ではない決定・判断は、どうしたらいいかといいますと、明確は基準を設けておくのが良いかと存じます。
その基準とは、「面白くなるかならないか」でございます。
たとえば、おやつの選択で迷ったなら、このお菓子を買えば面白くなるだろうか、と自問するのでございます。
特に面白くならないなと思ったなら買わないように結論付けます。
一方、こうやって食べたら(たとえば、頂いたお茶で食べてみる、クリームを塗ってみる、チーズと一緒に食べてみる)面白そうと思えたなら、買えばいいのでございます。
どうしよう、と迷ったときは、どっちが面白いかで判断すれば良いかと思います。
用不要、必要不必要、得か損か、ばかりで考えていると、どうも、心が固まるというか頭が固くなる感が致します。
用不要、必要不必要、得か損かも判断基準としてはよいものがありますが、プラスして「面白そうかどうか」を加えますと、より悩まない判断が付けられるかと存じます。
たとえ、判断が間違えても話のネタができたと笑い話・茶飲み話になりますし、面白そうで選ぶとそう間違いもないものでございます。
面白きなき世を面白く、という辞世の句もございます。
面白さを求めるというのは、日常生活のコツと考えている次第でございます。

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だから、こつこつ

「こつこつ」やるというのが、損のない方法論のひとつでございます。
しかしながら、数ある方法の「ひとつ」であることにご注意くださればと存じます。
何でもかんでもこつこつやるというのは、愚かでございます。
わたくしたちには、1日24時間しかありませんので、さっさとやれることはちゃっちゃっとやっていかねばなりません。
速くやれるのに、こつこつするのは、単にだらけているだけでございます。この点、勘違いをなさらぬようにしてくださればと存じます。
こつこつは完全無欠で、誤謬なき神聖不可侵のやり方では決してないことを明記しておきたく存じます。
「こつこつ」した方がいいから、こつこつするわけでございます。
つまり、いっぺんにできないもの、いっぺんにすれば効率が悪くなるもの、いっぺんにすると効果がないものに特定して、「こつこつ」法を執るわけでございます。
再度申し上げますが、独学の基本方針は、「てきぱき素早くさっさと大雑把に」でございます。
こつこつやるというのは、単に、だらだらすればよい、のろのろすればよいというわけではありません。
効率化の視点や改善の見通しに欠けるものではないことに、ご留意くださればと存じます。
さて、では、具体的にどうするのが「こつこつ」であるかということでございます。
「こつこつ」するとは何かといいますか、それは、できる・できないの区別をつけながら進めることでございます。
ここまではできる、これからはできないと、個々を確かめながら進めて行くのでございます。
こつこつやるときは、大雑把さは無用でございます。でき「そう」・でき「そうにない」などという風に、曖昧な把握であってはいけないのでございます。
ここまではできた、以降は明日にする。
ここまでは憶えられた、以降は日に3つずつ憶えていく。
というように、できる・できないを明白にしながらやっていくのでございます。いっそのこと、自分のできる・できないをメモを取るくらいにきちんと捉えて行くのでございます。
進めるというのは、言葉を換えていけば、少しずつできる領域を広げていく感じでございます。
試験には、膨大で些細なことでいっぱいの表やリストを憶えなければいけないときがございます。
でないと、1点取れないか、失点の可能性が高まってしまうからでございます。
点の取れる人というのは、こうした点に関わる表やリストを、100%といってもいいほど、確実におさえて出題に備えます。
逆に、めんどくさいなといってやらずじまい・放棄する人ほど、点数は低くなります。
気持ちはわかります。こんなもの憶えられるか!と憤るのもわかるものでございます。
だからこそ、いっぺんにやろうとせず、「こつこつ」するわけでございます。いっぺんにやるのは大変でも、少しずつならできることは多数ございます。
歩みの1歩1歩は遅くても良いのでございます。だって、いっぺんにできないのですから、仕方がありません。
逆に言うなら、あなたが遅い歩みならその他の受験生も同じく遅いのです。
特別にできる人など全受験生の3%もおりません。皆遅いなら、その遅さは遅いのではなく、「普通」になるわけであります。
速い・遅いというのは、お勉強におきましては、気分的なもの・心理的なものでありまして、思い違いが多々含まれるものでございます。
足の速さは見たらわかりますので、速い遅いの自己評価はすぐに確立いたします。
しかし、一方の、理解や暗記・記憶、把握など頭の中で行われることは目には見えませんので、評価し難いのでございます。
ですから、全体から見れば特に遅くもないのに、本人が(遅い!!)と思い込んで、要らぬ焦燥を味わったりするものでございます。
サボらずにまじめにやり、復習を欠かさず、一生懸命やってそのスピードや進捗なら、それが普通なのでございます。
まるで野原を開墾している人になった気分で、こつこつと自分のできるところを拡げていってくださればと存じます。

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いい方向・悪い方向

今やっていることが、正しいのか、よいのかは一概にいえるものではありません。
よくないなあと思いつつ続けていることは、多数あるかと存じます。
深酒・つまみ食い・甘食・菓子パン・御菓子・運動不足などなど・・・。
しかし、当の本人が、「よくない」と知っているだけでも、改善の余地がございます。
機が熟せば、きっとそのよくないことは解消して行くことでしょう。
去年の夏服が着れなくなったり、健康診断でこれまでにない注意がついたりすれば、何かと直していこうとするものでございます。
しかし、問題の根が深いのは、当の本人がいいことか悪いことか気付いていないときでございます。
ごく普通にやっていること、日常的になっていることが、実は、将来の大きな問題になりかねないのでございます。
本人はまったく気が付いていないのですが、たとえば、濃い味付けが好きな人がございます。
舌にびりびりこないと食べた気がしないという人でございます。
何でもべったりどっぷりかけて食べる人でございます。
当の本人はまったく気が付いていないのですが、他人からすればちょっとそれはないよ、味覚大丈夫?という話になるのでございます。
で、味覚に失調の起きる病気に罹っていて緊急入院するというわけなのでございます。
このことは、某友人の実話なのでございますが、当の本人はまったく味覚の変化に気が付いていなかったとのことでございます。
これが配偶者か子供でも居れば、「味濃いわ!」と怒鳴られるか、「食えん!」と罵られたかしたのでしょうが、なにぶん1人暮らしであったので、発見が遅れたという次第でございます。
このように、自分ひとりでは、なかなかに本当に深刻で重要な問題に気が付かないのでございます。
逆に言えば、いま認識しているよい・わるいというのは、それほど重大なものではない、ということができるでしょう。知っている分、何かと手配ができるからでございます。
さて、自分の気付かぬいいこと、とりわけ悪いことについて、わたくしたちはどうしたらいいかというわけでございます。
自分ではわからないのですから、どうも対処に困るものでございます。知らないものをどう知ればいいかという、矛盾した話だからでございます。
しかしながら、わたくしたちは人間である以上に動物でございます。
生物としての予兆といいますか予感を持ちうるものでございます。
わたくしたちは何の何が良くて、何が悪いということはできませんが、(これはいいかも?!)(こいつはまずそうだなあ)という予感は持つものでございます。
こうしたカンも判断における重要な要素でございます。
ダメな店というのはどういう内装をしていようが、POPをしようが、チラシを打とうが、メニューを前面に出していようが、ダメな感じがするものでございます。
いいな!と思うことやものは、論理的な結論から引き出されるものでなく、やったら即わかるものでございます。
こうしたカンが、わたくしたちの方向を際立たせているかと存じます。
いま、自分が向かっている方向が、いい感じなのか悪い感じなのか、1月に1回、ワンシーズンごとに1回、振り返ってみるのが良いかと思われます。
良くはないなあという感があるのなら、何か気付かぬ良くないことが水面下で進行中でございます。
いいんでないかい、少なくとも悪くはないという方は、穏当に事が進んでいると申せましょう。
細かく各個にいいか悪いかはいえませんが、大まかに大雑把な方向性の当否は、意外にわかるものでございます。
自分がいい方向に進んでいるか、悪いほうに向かっているか、まず方向性から考えて、個別のことに考えを進めれば何かと問題点が浮き彫りにあぶり出されてくるかと存じます。
種々様々の小細工を弄するよりも、まずは、自分の求める方向に舵を切るべきかと存じます。

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