日中は夏の兆しでございますが、朝方や夜更けに到れば、少し肌寒いころあいでございます。
体調の管理にはお気をつけくださればと存じます。
しかしながら、こういう季節の移り目のときほど、良く眠れるものでございます。
逆に言えば、身体は良く寝ることを欲しているわけですから、快適な睡眠ライフを享受してくださればと存じます。
良い睡眠を取ると、人は寝ることによって、疲労を取り、身体の悪くなったところを治癒していることがありありとご実感できるかと存じます。
下手な健康法より1時間のよき睡眠でございます。
猫も犬も文鳥も、ライオンもトラも象も、調子の悪いときはじっとしております。況や人間をや。
寝ることが寿命の元・健康の元とお考えくださればと存じます。
さて、とはいえ、なかなかに良い睡眠が取れないとこぼしておられる方もいるかと思います。
実は、わたくし自身も、良き睡眠の取れない者であったのでございます。
朝起きても身体がだるい、寝たはずなのに身体が重い、ぼーとするなどなど、睡眠についていい記憶など数えるほどしかなかったのでございます。
しかし、それはもう、過去形になっている次第でございます。
寝付きの悪さは、7時以降はカフェインの入った飲み物を一切取らないようにするだけで、大きく改善したことは、かつて申し上げました。
現在は、よっぽどのことがない限り、布団に入ればすぐにグウグウでございます。超特急で夢の中であります。
さて、では、一方の睡眠の質はどうして改善されたかといいますと、やはり、夜具のこまめな交換であります。
シーツやタオルケット、布団カバー、寝巻き、枕カバーの類を換えると、どうしても良く眠れてしまうのでございます。
「どうしても」良く眠れてしまう、というのが実感するところでございます。朝起きると、(ああ寝たなあ)と相成る次第なのでございます。
そこで、定額給付金もあるので、シーツやらをもう2枚3枚余分に買ってきて、こまめに換えるようにしたところ、更に本格的にグウグウとなった次第でございます。
本当に良く眠るようになった次第でございます。
男性であるが故に以前はこうした夜具のことは無頓着で、ほとんど意にも介していなかったのでありますが、意識するようになると明らかに良く寝るようになってございます。
逆に言えば、かつては汚れてしわしわの夜具で寝ていたからこそ、良く眠れなかったのではないかと考える次第でございます。
もちろんのこと、洗濯のほうが大変にはなりますが、良く眠る快と比すれば、まったく損のない取引となることでしょう。
水道代がかかりそうとお思いの方が居られるかと存じますが、そんなもの、サプリメントか薬1瓶程度の上昇でありましょう。
1人暮らしの方なら、ほとんどの方が現在の料金形態のままでしょう。わたし自身、まったく水道代に変化なし!でございます。
そして、新しい夜具を買うにしても、個々は1980円から3980円が関の山でございます。
これくらいの出費で良く眠れるのであれば、まったく惜しくはないというのが実感でございます。
布団屋のキャッチではありますが、人生の三分の一は寝て過ごすものでございます。
意識できないから、自分では見えないから、寝ているから意味ないなどと考えず、ぜひ、一度、夜具の改善を御図りくださればと存じます。
とくに、お仕事が忙しくてぎりぎりの睡眠の方ほど、夜具には手を入れて欲しく存じます。ひとこと、「変わる」ことはだけは申しておきたく存じます。
夜具を新しく一式揃えることなど、生命の維持と比較すれば、本当に安いものでございます。
人体には、自己治癒力や蘇生力があることを、グウグウとご実感くださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年6月15日 8:40 AM |
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読書きそろばんと申します。
とはいえ、何も、ここで寺子屋の手習いについて、述べるわけではありません。
昔から、学習なり勉強は、いくつかの要素から成り立っていることを述べたく思うのでございます。
読書きそろばんとは、読んで書いてそろばんを弾くという3つの異なった作業にて、授業を構成していたわけでございます。
逆に言えば、読むだけ、書くだけ、そろばんだけといったように、単科で行ってはいなかったというわけでございます。
なにゆえに、こうした3構成であったかといいますと、単純に言えば、飽きないからでありましょう。
ずーと毎日毎日、テキストや教本を読むだけの授業を、誰が受けたく思うのでしょうか。詰まらないことこの上ないかと存じます。
同様に、毎日毎日、書き取りと作文のみの授業を、誰が出席するというのでしょうか。そろばんも同様の事情、毎日毎日、計算ばかりをするなんてことは、お足を頂いてやることでございます。
つまり、ひとつのみのお勉強というのは、ひどく退屈になって、まったく効果が上がらなくなってしまうのでございます。
読書きそろばんといいますのは、性質の違う科目を組み合わせることで、学習者の飽きを予防していたと言えるのでございます。
また、それ以上に、それぞれを組み合わせたほうが、個々の勉強の効果が上がるのも、読書きそろばんと相成った理由であるかと思います。
「読む」だけをしていても、読解力は上がらないのでございます。「書く」だけも同様。いくら書きに書いても、本を読まねば書けないのでございます。作家・執筆家・文章家といわれる人は、書く以上に読んでいるものでございます。そろばんも同様。いくら計算上手になっても、それを報告する書き方を知っていなければどうにもなりません。そもそも、勘定の字と意味が読めていないなんて、計算の根底から間違っています。
このように、読んで書いてそろばんを弾くからこそ、それぞれの科目がうまく回転するようになっていたのでございます。
江戸のはるか昔から、バランスの取れた教育が行われていたことに、ご留意くださればと存じます。
現在のお勉強におきましても、同様の事情にあるかと存じます。
テキストだけを延々と読んでいても、それほど効果はないのでございます。
ある程度読んだら、この章では、この単元では何があったかを書き出してみたり、わかったところ・わからないところを書くと、いっそう理解が深まるものでございます。
そして、書いて気付いたところを読み直してみると、すっと記憶に入って行くことでしょう。
そろばんというのは、通常の資格のお勉強にはありませんから、問題演習とでもしておきましょう。
テキストを読んだり書いたりするのみならず、ある程度読んで書いたら、問題演習で実践してみることでございます。
また、問題演習のみに陥ることなく、演習したことを書いたり、演習の結果、発見した弱点や不安なところを読み直してみるのも、良いお勉強になることでありましょう。
いまのお勉強におきましても、寺子屋の読書きそろばんの理は生きているように考える次第でございます。
だいたい、病気になるのは食生活の乱れ、バランスを欠いた食事をしているからでございます。
お勉強がうまくいかないときは、自分の勉強にバランスを逸していないかをご確認くださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年6月12日 3:06 PM |
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古人は、「法律」という著書の中で、「人事のほとんどすべては偶然である」と看破してございます。
わたくしも、そのように考える次第でございます。
なぜ、それはそこにあるのか、と考えてみたとき、たとえば、隣で寝ている人の顔をまじまじと見たときに、突き詰めていけば、偶然の作用が大きいのではないかと思います。
偶然というものを頭の片隅に置いておくことが、よく生きるコツであるかと存じます。
お勉強におきましても、偶然は無視できない強い影響を持ってございます。
お勉強中のわたくしたちは、(しなくてはならない)とか、(やらなくてはいけない)などと考えているかと存じます。
しかし、そう考えるのは、やったりしたりすれば、できるようになると考えているからこそ、そういった思いが湧きあがるのでございます。
知らず知らずにうちに、「やる=できる」という式を成り立たせているわけでございます。
お勉強がうまくいかず頭を抱える人が居られるかと存じますが、少し、考え違いかと存じます。
わたくしたちのお勉強も、偶然のもとにあると考えると気が楽になるかと考えます。
いくらお勉強をまじめに取り組んでも、できないことは多々ございます。憶えられないことも、理解が及ばないことも、同様に多々あるものでございます。
しかし、考えてみれば、わたくしたちが、できるようになったことや憶えたこと、理解したことというのは、意外にその原因をきっちり説明できないのでございます。
わたくし個人のことをいえば、知らないうちにできるようになっていた、といった感じなのでございます。
皆様におきましても、どうしてできたのか?と突き詰めて自問してみれば、偶然できるようになった、わかった、憶えたという答えが返ってくるのではないかと考えます。
お勉強というのも、偶然というものに支配されていることを意識してくださればと存じます。ぶっちゃけていえば、理解したり、憶えたりするのも、偶然なのでございます。
しかしながら、お勉強が偶然でしかないなら、試験勉強などせず、すべて運否天賦に任せた方がいいではないか、と考えるかもしれません。
しかし、それは、当たり前のことですが、賢明ではありません。
確かに、憶えたり理解したりするのは偶然ではありましょうが、憶えたり理解したりする期間は、自分で短くすることができるのでございます。
お勉強では回数が大事、繰り返すことが重要といいますのは、単に試行回数を増やして、「憶える」当たりくじを引かんがためでございます。
しかも、くじ引き1回に要する時間は、お勉強をしていけばいくほど短くなっていきます。
1ページ分の確認をするのにお勉強序盤では1時間かかっていたものが、やればやるほど30分、20分、10分、果てには5分でチェックできるようになるわけです。
つまり、1回あたりの時間が短縮される分だけ、同じ時間でもたくさんのくじを引けるわけで、大いに当たりくじを引きやすくなるわけでございます。
憶えたり理解したりするのは偶然とはいえども、やっていさえいれば、必ず「あたり」を引くときが参ります。
よくできる人というのは、皆が皆、特別に頭がいいとか優秀な脳みそを持っているわけではなく、単に、くじをたくさん引いていると考えたほうが、現実に近いかと存じます。
わたくしたちは、何でも出来ると思いがちですので、うまくいかないと無用に焦ったりするものでございます。
しかし、お勉強の多くは偶然であることを知っていれば、淡々と腰を落ち着けて取り組んでいけるのではないかと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年6月11日 11:17 AM |
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