読書きそろばんと申します。
とはいえ、何も、ここで寺子屋の手習いについて、述べるわけではありません。
昔から、学習なり勉強は、いくつかの要素から成り立っていることを述べたく思うのでございます。
読書きそろばんとは、読んで書いてそろばんを弾くという3つの異なった作業にて、授業を構成していたわけでございます。
逆に言えば、読むだけ、書くだけ、そろばんだけといったように、単科で行ってはいなかったというわけでございます。
なにゆえに、こうした3構成であったかといいますと、単純に言えば、飽きないからでありましょう。
ずーと毎日毎日、テキストや教本を読むだけの授業を、誰が受けたく思うのでしょうか。詰まらないことこの上ないかと存じます。
同様に、毎日毎日、書き取りと作文のみの授業を、誰が出席するというのでしょうか。そろばんも同様の事情、毎日毎日、計算ばかりをするなんてことは、お足を頂いてやることでございます。
つまり、ひとつのみのお勉強というのは、ひどく退屈になって、まったく効果が上がらなくなってしまうのでございます。
読書きそろばんといいますのは、性質の違う科目を組み合わせることで、学習者の飽きを予防していたと言えるのでございます。
また、それ以上に、それぞれを組み合わせたほうが、個々の勉強の効果が上がるのも、読書きそろばんと相成った理由であるかと思います。
「読む」だけをしていても、読解力は上がらないのでございます。「書く」だけも同様。いくら書きに書いても、本を読まねば書けないのでございます。作家・執筆家・文章家といわれる人は、書く以上に読んでいるものでございます。そろばんも同様。いくら計算上手になっても、それを報告する書き方を知っていなければどうにもなりません。そもそも、勘定の字と意味が読めていないなんて、計算の根底から間違っています。
このように、読んで書いてそろばんを弾くからこそ、それぞれの科目がうまく回転するようになっていたのでございます。
江戸のはるか昔から、バランスの取れた教育が行われていたことに、ご留意くださればと存じます。
現在のお勉強におきましても、同様の事情にあるかと存じます。
テキストだけを延々と読んでいても、それほど効果はないのでございます。
ある程度読んだら、この章では、この単元では何があったかを書き出してみたり、わかったところ・わからないところを書くと、いっそう理解が深まるものでございます。
そして、書いて気付いたところを読み直してみると、すっと記憶に入って行くことでしょう。
そろばんというのは、通常の資格のお勉強にはありませんから、問題演習とでもしておきましょう。
テキストを読んだり書いたりするのみならず、ある程度読んで書いたら、問題演習で実践してみることでございます。
また、問題演習のみに陥ることなく、演習したことを書いたり、演習の結果、発見した弱点や不安なところを読み直してみるのも、良いお勉強になることでありましょう。
いまのお勉強におきましても、寺子屋の読書きそろばんの理は生きているように考える次第でございます。
だいたい、病気になるのは食生活の乱れ、バランスを欠いた食事をしているからでございます。
お勉強がうまくいかないときは、自分の勉強にバランスを逸していないかをご確認くださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年6月12日 3:06 PM |
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古人は、「法律」という著書の中で、「人事のほとんどすべては偶然である」と看破してございます。
わたくしも、そのように考える次第でございます。
なぜ、それはそこにあるのか、と考えてみたとき、たとえば、隣で寝ている人の顔をまじまじと見たときに、突き詰めていけば、偶然の作用が大きいのではないかと思います。
偶然というものを頭の片隅に置いておくことが、よく生きるコツであるかと存じます。
お勉強におきましても、偶然は無視できない強い影響を持ってございます。
お勉強中のわたくしたちは、(しなくてはならない)とか、(やらなくてはいけない)などと考えているかと存じます。
しかし、そう考えるのは、やったりしたりすれば、できるようになると考えているからこそ、そういった思いが湧きあがるのでございます。
知らず知らずにうちに、「やる=できる」という式を成り立たせているわけでございます。
お勉強がうまくいかず頭を抱える人が居られるかと存じますが、少し、考え違いかと存じます。
わたくしたちのお勉強も、偶然のもとにあると考えると気が楽になるかと考えます。
いくらお勉強をまじめに取り組んでも、できないことは多々ございます。憶えられないことも、理解が及ばないことも、同様に多々あるものでございます。
しかし、考えてみれば、わたくしたちが、できるようになったことや憶えたこと、理解したことというのは、意外にその原因をきっちり説明できないのでございます。
わたくし個人のことをいえば、知らないうちにできるようになっていた、といった感じなのでございます。
皆様におきましても、どうしてできたのか?と突き詰めて自問してみれば、偶然できるようになった、わかった、憶えたという答えが返ってくるのではないかと考えます。
お勉強というのも、偶然というものに支配されていることを意識してくださればと存じます。ぶっちゃけていえば、理解したり、憶えたりするのも、偶然なのでございます。
しかしながら、お勉強が偶然でしかないなら、試験勉強などせず、すべて運否天賦に任せた方がいいではないか、と考えるかもしれません。
しかし、それは、当たり前のことですが、賢明ではありません。
確かに、憶えたり理解したりするのは偶然ではありましょうが、憶えたり理解したりする期間は、自分で短くすることができるのでございます。
お勉強では回数が大事、繰り返すことが重要といいますのは、単に試行回数を増やして、「憶える」当たりくじを引かんがためでございます。
しかも、くじ引き1回に要する時間は、お勉強をしていけばいくほど短くなっていきます。
1ページ分の確認をするのにお勉強序盤では1時間かかっていたものが、やればやるほど30分、20分、10分、果てには5分でチェックできるようになるわけです。
つまり、1回あたりの時間が短縮される分だけ、同じ時間でもたくさんのくじを引けるわけで、大いに当たりくじを引きやすくなるわけでございます。
憶えたり理解したりするのは偶然とはいえども、やっていさえいれば、必ず「あたり」を引くときが参ります。
よくできる人というのは、皆が皆、特別に頭がいいとか優秀な脳みそを持っているわけではなく、単に、くじをたくさん引いていると考えたほうが、現実に近いかと存じます。
わたくしたちは、何でも出来ると思いがちですので、うまくいかないと無用に焦ったりするものでございます。
しかし、お勉強の多くは偶然であることを知っていれば、淡々と腰を落ち着けて取り組んでいけるのではないかと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年6月11日 11:17 AM |
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ここに工場があると致します。
そして、生産ラインの主任をあなたが勤めていると致しましょう。
さて、その生産ラインは、1週間に100のものを作ります。できた100個のうち80個が良品、残りの20個が不良品と致します。
不具合率20%は、よくない状態でございます。ですから、改善に取り組みました。
そこで、生産の有様が以下のようになりました。
「3日で100個作れるようになったが、いまだ80個の良品と20個の不良品ができてしまう」と。
さて、では、不具合率の20%に変わりがないからといって、この改善活動はダメだったのでしょうか。
そうはいえませんね。
1週間100個の生産が、3日で100個になったのですから、生産能力は倍以上に拡大したわけでございます。
逆にいえば、100個作るのに1週間かかっていたのに、3日で済むようになったというわけでございます。
不具合率の改善はなくても、生産力と生産時間は大いにアップしたわけです。改善活動は、まあ成功したということができましょう。
お勉強においても、同様のことが成り立つのではないかと考えます。
わたくしたちは、常に忘却の魔の手を恐れてございます。確かにその通りでございます。
1時間かけて、または、2日〜3日かけて憶えたことが、1週間後にすっかり忘れていたら、徒労感はえぐいものがございます。
しかしながら、忘れるのはお勉強にとって普通にあることでございます。晴れがあれば雨があるくらいに、ごく日常的なことでございます。
何度も当ススメにて口を酸っぱくして言っておりますが、わたくしたちは、本試験というその日までに憶えればよいのでございます。
逆にいえば、本試験まではいくら忘れても構わないのでございます。
極端にいえば、本試験の前日までに、記憶を完成させて思い出せるようになっておけばよいのでございます。
忘れることを恐れるのは仕方がありませんが、だからといって恐怖に萎縮していても始まりません。
憶えた・忘れたを、二者択一のものと考えないようにしてほしく存じます。結果が2つしかないと、どうしても恐怖や怯みを憶えるからでございます。
憶えた・忘れた以外にも、お勉強の進捗を測るものはあるのでございます。
たとえ、忘れたとしても、再記憶までの時間がどのくらいかかるのかについて、ご留意してくだされば存じます。
おそらく、お勉強当初は何日とかかっていたものでも、今では数時間もあれば、(そうそう、そうだった)(これだ〜)といった感じで、確認や再記憶を完了できるかとお思います。
その「差」の時間は、実力が伸びたからこそ、できるようになった芸当なのでございます。
同じことを憶えるのに、以前よりも手間がかからず時間も短く憶え直せるようになったことも、実力のひとつなのでございます。
あと一歩か二歩、詰めれば記憶は完了いたします。忘れてしまったからダメだ、というわけではありません。
何が短くなったのかについて、意識を向けてくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年6月10日 11:46 AM |
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