お勉強にも倦怠期がございます。何だかやってられないなあ〜と思うようになったときが、そうでございます。
お勉強といいますのは、どうしても同じことの繰り返しでございます。
見慣れたテキスト、手垢のついた問題集と毎日、顔を合わせなければなりません。
将来を誓い合った、お互いに何か感じるものがあった、赤い糸で結ばれていた、おそらく自分の死を看取ってもらい、線香の1〜2本をあげてもらうことになるだろう伴侶でさえ、3日で飽き切ってしまうのでございます。
況やテキスト・問題集をや、でございます。
どうしても飽きるようになる、これがお勉強の偽らざる真実なのでございます。
とはいえ、飽きたからといってお勉強を止めるわけには行かないものでございます。
では、どうしたらいいかといいますと、倦怠期になったときは、優先順位をきっちり付けると幾分か飽きが解消されるかと存じます。
お勉強のメニュウのすべてがすべて、同じ重要度を持つものではありません。
「どうしてもやる」、「やる」、「できたらやる」の3段階に分けられるかと存じます。
まずは、どうしても見直しておきたいこと、確認しておきたいところ、やっておきたい問題などの、優先すべきと思われる事項から、消化して行くことでございます。
そう、大事なことを先に済ませてしまうのでございます。
先にするときのコツは、軽めの作業に調整しておくことでございます。
人間の集中力はご存知の通り、いいときで30分、通常で15分程度しか続かないものでございます。
重要だからといって1時間も2時間分のお勉強をしようとしたら、気が萎えるのが道理でございます。
手のひらサイズの最も重要な作業を先に済ませてしまえば、大いに気が楽になるものでございます。
ひとつ済んだなという気とともに肩の荷が下りるものでございます。
あとは、やった勢いを借りて、のんべんだらりと、多少意欲とやる気を下げたままで、通常のお勉強に入ってできる分だけやって行くわけでございます。
先の重要作業がウォーミングアップとなって頭が温まったのか、意外にやる気が無くてもできてしまうものでございます。
どれもこれをも、「やらなくては」「やるべきである」と考えていたら、疲れ切ってしまうものでございます。
大切だなと思うことをまずはきっちりやってから、その他諸々のことにお手をおかけくださればと存じます。
逆に言うと、意味のないことや重要度の低いことで、ただでさえ少ないやる気を漏らさないようにするわけでございます。
重要なこと・意味のあることをやると、身体の方もわかるのか、新たなやる気も湧いてくるものでございます。
低調な丁重な倦怠モードを上手にお凌ぎくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年6月26日 9:00 AM |
| ▲ Back to Top. | ▲ Back to Homepage. |
「やらない」ということは、大事な処世訓でございます。
何にでも首を突っ込んで周辺を混乱に陥らせて、めんどくさくなったのかかき混ぜるだけかき混ぜてどこかへ言ってしまう御仁が居られます。
そう、いないほうがまし、いないほうが事が進む、居るだけでマイナス、トラブルメーカーといった人でございます。
協力・協調といいますのは、必ず力を貸さねばならない、調子を合わせなければならないわけではないのでございます。
敢えて何もしないというのも、ひとつの協力の形なのでありまして、「しないこと」というのも、事を運ぶ上での方策のひとつでございます。
全てが全てにおいて、やりさえすればよいというわけでもないので、勘違いをなさらないようにしてくださればと存じます。
では、お勉強ではどうかというわけでございます。
お勉強におきましては、「やらない」価値を踏まえたとしても、やはり、お勉強はやったほうが宜しかろうと存じます。
少ししか時間しかなくても、とりあえず見てみる、読んでみる、記憶を改めてみる、問題を解きなおしてみる、解いてみる方が、お勉強ではプラスに働くからでございます。
少しずつでもやって行くと、だんだん、自分が何をしているのか、何をすべきかがわかるからでございます。
逆に言えば、やっていかなければ、何をすべきか、何がどれだけあるかが見えてこないのでございます。
あーしてこーしてとやって行くうちに、ようやくやるべことが目に見えてわかってくるのでございます。
たとえば、試験勉強の序盤では、何が何処に書かれていたかすらわからなかったことかと存じます。
しかし、1ヶ月もすれば、何が何処にあるか位は、わかってくるようになるものでございます。
あと1ヶ月もすれば、何処が難しくて、何処が重要で、どのあたりが頻出かがわかってくることでしょう。
そして、もう1ヶ月もすれば、どのあたりならできて、どこらへんが妖しくて、何の何処をどのような深さで復習すべきかを把握するようになるかと思います。
自分が何処へ向かっているのか、どのくらいの距離があるのか、方向性に沿ったことをしているのか、そのあたりの見通しが立てば、お勉強の負担は大きく減るものでございます。
いうなれば、そのあたりの視野が効くようになったことが、実力が付いた証でもあるのでございます。
逆に言えば、自分が何をすべきか未だによくわからない状態というのは、まだまだ、確かな力が付いているとはいえないのでございます。
少しでもやっていけば、まるで、山を崩して行くかのように、やるべきことと方向性が見えてくるものでございます。
絶不調で全くお勉強をやる気が起きないのであればやらないほうがようございますが、それ以外の場合では、わずかでも先に進むことが良策ではないかと考える次第でございます。
展望が開けば、あたかもゴールが見えてきたランナーのように、励みが付くものと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年6月25日 10:27 AM |
| ▲ Back to Top. | ▲ Back to Homepage. |
同じ山道といっても、勾配の高低があるものでございます。
あるところまでは勾配がきつく、心臓破りの坂といわれていることでありまよう。
そして、あるところまでは坂がきつかったのに、それを過ぎるとなだらかな傾斜となって、一息つけるといったこともありましょう。
山道といえども、全てが急斜面ではないということを思い起こしてくださればと存じます。
恋の道といえども、全ての期間が情熱的ではないのと同様の理なのでございます。
惚れたり離れたり、引っ付いたり惚れ直したり、水や汚泥をぶっかけあったり、騙したりすかしたりするものでございます。全く1本調子でないのが恋の道、凹凸・濃淡・強弱・遠近のあるものでございます。
お勉強におきましても、勾配の強弱があることを意識してくださればと存じます。
基本的に、これまで全く知らなかった・聞いたこともなかった制度やシステム、規定やルールを理解するというのは骨が折れるものでございます。
山道で言うなら、まさに急斜面で勾配が直角近くになっているものでございます。
当たり前ですが、こんな斜面を走って駆け上る人はいないかと存じます。山岳ヘルパーでも走っては登らないことでしょう。
走って登るは増長満で鼻の高い人のみでございます。人はそれを天狗と申します。
お勉強におきまして、本当に良くわからない単元や章に差しかかったときは、急勾配の坂に遭遇したと考えて、ギアをチェンジして、ゆっくり登って行くのが理なのでございます。
もちろん、歩みは遅くなって、1日の勉強で1〜2個程度しか進まなくなりますが、それはそれでOKなのでございます。
逆に言えば、急勾配なのにスピードを出そうとして無闇無意味に消耗する方が、愚かなのでございます。
反対に、なだらかな勾配になれば、あーこいつは見た目ではアレだけど、これとこれをしっかり覚えればいいので簡単だね、というようなところに差しかかったのであれば、10個・20個どころの話ではなく、30、40個と勢いでやっていけば良いのでございます。
憶えなおすのみのところ、憶え間違いがないか、記憶に抜けているものがないかを確認するだけの作業は、難易度も負担も低く、数をこなせられます。
逆に言えば、たくさんできるのに、10個程度でだらだらする方が、愚かであるといえましょう。
お勉強は、山道のように目に見えて急さ・なだらかさが見えませんので、ついつい難易度の高い坂道状態のところなのに走ろうとして消耗することが多いかと存じます。
ノルマ主義のお勉強がうまくいかないのは、事の勾配の強弱を無視するからでございます。
なだらかで負担の少ないところはノルマでがしがしとこなしていけば良いでしょう。負担がきつくて進み難いところでは、登山者のように1歩1歩進むが良いでしょう。
強弱を意識するだけで、無用な気の損耗を防ぐことができ、幾分かお勉強の負担も和らぐかと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年6月24日 9:52 AM |
| ▲ Back to Top. | ▲ Back to Homepage. |