お勉強におきます強さとは何であろうか、と疑問に思うときがございます。
理解力の高さであろうか、記憶力の優劣だろうか、などと考える次第でございます。
しかし、どれも帯に短し襷に流し、お茶請けには多過ぎてておやつには少な過ぎ、友人にはいいけれど付き合うには頼りないといった物足りなさを感じるものでございます。
たとえば、どれほど理解力があっても、わからないところにいちいち捕まって放棄する勇気が無ければ、理解力のよさなど吹き飛んでしまいますし、いくら記憶力が良くても、何を憶えて何を憶えなくて良いかわからなければ、宝の持ち腐れでございます。
それでは、精神力や気合といったものが、お勉強における強さでしょうか。
お勉強におきましては、継続が命でございます。
同じ7時間の勉強を1日のみで終わらせるよりかは、1時間を7日かけた計7時間の方が、得てして実力が付いてくるものでございます。
では、毎日毎回、何があっても、半分眠りながらもお勉強を続ける精神力や気合が、お勉強の強さなのかというとそうでもないかと考えるのでございます。
というのも、そんな緊張感溢れた厳しい環境に、人は慣れないからでございます。たとえ、慣れたとしても、毎朝枕の周りには抜け毛がシーツの模様かと思わんばかりに転がっていることでありましょう。
そんな緊張感のあるお勉強の毎日など、直前期の1ヶ月、30日間程度しかもたない気が致します。
試験が数ヶ月先、半年先、1年先などという場合だと、このようなタフな精神力・気合などは適切ではないと考えるのでございます。
では、お勉強を貫くような、強さというものは無いのかいうと、そうではないと思う次第でございます。
わたくしは、全試験勉強期間を通して、強さを発揮するものに、寛容性があげられるかと存じます。
寛容性とは、受け入れられる度合いと考えればしっくり来るかと存じます。
たとえば、お勉強をしないことも、お勉強の常でございます。古い友人が近くまで来ている、いい酒が手に入った、トラブルやアクシデントが発生したときなど、どうしてもお勉強ができないときがあるかと存じます。
また、わたくしたちは機械ではありませんから、どうしても勉強したくないときがあるものでございます。
そのほか、お勉強におきましては、できない・忘れた・間違えたなどの失敗の類も多くございます。
大切なのは、こうした事態をどれだけ受け入れられるかということでございます。
今日のお勉強をさぼったとしても、それはそれで構わないのでございます。
多少できなくても、前に憶えたことを忘れていても、それはそれで構わないのでございます。
何故に構わないかというと、いったんはできなかったことを認めない限り、次の方策に頭が向かわないからでございます。
ここで、「どうして勉強しなかったのか」などに頭を費やしてはならないのでございます。いくらでも原因を思いつくことができますし、あれこれ結果を分析できるからでございます。そんなことは、ときどきで、年に10回程度いい。
大切なのは、やらなかった事実以上に、しなかった分をいつやるか、どうカバーするかの方なのでございます。
いったんは認めるからこそ、次の一手が打てるのでございます。
その「認める」ことこそ、寛容性が最も発揮するところではないかと思うのでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年6月22日 10:23 AM |
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人間、二度手間を苦手とするものでございます。
同じ100mでも、忘れ物を取りに帰る100mは無限の如くに感じられ、足が重たくなるものでございます。
重複を如何に避けるか、それが知恵のひとつであると考える次第でございます。
お勉強におきましても、同様の事情であるかと存じます。
お勉強そのものはしんどくないものでございます。しんどいのは、重複なのでございます。
できないのならば、そんなにしんどくはないのでございます。
しかし、できたはずのものができなくなっていたり、憶えたはずのものを忘れていたりしていると、暴風雨のように徒労感が吹き荒れるのでございます。
また、成績についても、同じようなことがいえるかと存じます。
順位が上がったり下がったり、実力が伸びたり落ちたりしている状態が、実は1番かったるいのでございます。
恋の道なら、一喜一憂もむべなるかな、スパイスの如く感じられて心地よいときもありましょうが、基本、一喜一憂というのは、しんどいものでございます。
「1喜」がなくて、淡々と日常的なほうが、気が落ち着く分、楽であると申せましょう。
とはいえ、できなくなったり忘れたのであれば、もう一度やり直さなければならないのがお勉強の常でございます。
さて、では、この手に余る徒労感を如何せんというわけでございます。
簡単にいいますと、実力などない!と考えることでございます。
暴論かと思われますが、どのみちやらなければならないのなら、これまでやってきたことなど全て意味はなかったと、いったんおじゃんにするのが賢明であるかと存じます。
「やる」ことが成功裡に終わるかどうかは、これまでやってきたこととは関係ありません。
ならば、これまでやってきたことなど無いものとして、再び接していった方が、大いに気が楽なのでございます。
あんなにやったのに忘れてる、とか、あーあーなどとため息をつくよりかは、「何にも無い!」と思ってやり直しに取り掛かるほうが、エンジンのかかり方が違ってくるかと思います。
ときに、人は自分の知らず知らずのうちに、無用の荷物を背負い込んでいるものでございます。
苦難にめげず、あきらめないでどうせ最後までやるのですから、重たい荷物は降ろして進むのがよろしいかと存じます。
正直申しますと、中途半端な実力など、あって無きに等しいものでございます。
できかけのカレーなどうまくとも何ともありません。炊きかけのご飯などこわくて食べられません。
できない・忘れたというのは、中途半端な実力の証拠。
そんな、古わらじのようなものに執着せず、さっぱり捨ててしまって、新しい気持ちで取り組むのが賢明であるかと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年6月19日 9:34 AM |
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誰だってお勉強をするときがございます。
そう、試験から1ヶ月前の直前期でございます。
直前期ともなれば、どんなぐうたらな人でもお勉強をするようになるのでございます。
人間というのは、明白な危険や危機や差し迫らない限り、実感が湧かないものでございます。
お勉強におきましても同様でございます。
本試験という日は、受験生にとって一番大事で、1番危機的な日でございます。なぜなら、これまでの努力が効を奏すか全くの水泡に帰すかを決める日だからでございます。
しかしながら、お勉強期間中の大半は、本試験という日が間近にないことから、のほほんと過ごしてしまうのでございます。
そして、本試験より1ヶ月を切るあたりで、漸く、「やばさ」を感じるようになるのでございます。
そうこうして、誰もが、ぴりぴりした緊張感の元でお勉強に励むようになるわけでございます。
本当の緊張感のもとでは、人は自分の力量以上のお勉強ができてしまうものでございます。
これまでやってきたお勉強の総トータルくらいをやる人だっているくらいでございます。
直前期ともなれば、自分でも驚くくらいにばりばりとお勉強ができることを意識してくださればと存じます。
さて、直前期において大切なことは、この直前・追い込み勉強で、どれだけの量と質を確保するかでございます。
逆に言えば、直前・追い込み勉強のときに、どれだけお勉強がしやすくなっているか、なのでございます。
たとえば、とりあえず全部読んでしまい知らないところはゼロにしておいたり、苦手なところ・わからないところにはチェックやシールを貼っておいたり、何度も間違える問題や論点にはその旨を書いておいたりするのでございます。
記憶・暗記の状態につきましても、うっすら状態よりぼんやり状態に、ぼんやり状態よりかは2〜3言える状態にしておけば、直前期の憶えこみのときに有利に働くかと存じます。
こうした下準備を施しておくと、ぐんと直前期の総復習の能率が向上するのでございます。
最悪なのは、直前期なのにやったことのない単元、見たことのないところ、解いたことのない問題、憶えていない重要語句・用語があちこちに散見するときでございます。
遅きに逸したといえますでしょう。他の受験生と比べて2周・3周遅れと申しても構いません。よっぽどがんばらないと、落ちるでしょう。
直前期のがんばりは、ラストスパートなのでございますが、要は、どうラストスパートをかけるかでございます。
多少わからなくても、ある程度全体的に仕上げておく、不安なところは徹底して潰しておく、間違えた問題は何回か解いておく、どうしても忘れるところは毎日見て機械的の憶えておく、難しいところは表にして憶えやすくしておく、土日を使って最後までやりきってしまう、などなどしておけば、スパートの効果は倍々になるかと存じます。
てきぱきばりばりとお勉強をするには、それ相応の準備を整えておかねばならないのでございます。
ならば、いまのうちから、お勉強に励まざるをえないラストスパートに向けての準備を怠らないことでございます。
どうラストスパートをかけるかを意識したお勉強をお執りくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年6月18日 9:22 AM |
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