独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

目で見るために

「やらない」ということは、大事な処世訓でございます。
何にでも首を突っ込んで周辺を混乱に陥らせて、めんどくさくなったのかかき混ぜるだけかき混ぜてどこかへ言ってしまう御仁が居られます。
そう、いないほうがまし、いないほうが事が進む、居るだけでマイナス、トラブルメーカーといった人でございます。
協力・協調といいますのは、必ず力を貸さねばならない、調子を合わせなければならないわけではないのでございます。
敢えて何もしないというのも、ひとつの協力の形なのでありまして、「しないこと」というのも、事を運ぶ上での方策のひとつでございます。
全てが全てにおいて、やりさえすればよいというわけでもないので、勘違いをなさらないようにしてくださればと存じます。
では、お勉強ではどうかというわけでございます。
お勉強におきましては、「やらない」価値を踏まえたとしても、やはり、お勉強はやったほうが宜しかろうと存じます。
少ししか時間しかなくても、とりあえず見てみる、読んでみる、記憶を改めてみる、問題を解きなおしてみる、解いてみる方が、お勉強ではプラスに働くからでございます。
少しずつでもやって行くと、だんだん、自分が何をしているのか、何をすべきかがわかるからでございます。
逆に言えば、やっていかなければ、何をすべきか、何がどれだけあるかが見えてこないのでございます。
あーしてこーしてとやって行くうちに、ようやくやるべことが目に見えてわかってくるのでございます。
たとえば、試験勉強の序盤では、何が何処に書かれていたかすらわからなかったことかと存じます。
しかし、1ヶ月もすれば、何が何処にあるか位は、わかってくるようになるものでございます。
あと1ヶ月もすれば、何処が難しくて、何処が重要で、どのあたりが頻出かがわかってくることでしょう。
そして、もう1ヶ月もすれば、どのあたりならできて、どこらへんが妖しくて、何の何処をどのような深さで復習すべきかを把握するようになるかと思います。
自分が何処へ向かっているのか、どのくらいの距離があるのか、方向性に沿ったことをしているのか、そのあたりの見通しが立てば、お勉強の負担は大きく減るものでございます。
いうなれば、そのあたりの視野が効くようになったことが、実力が付いた証でもあるのでございます。
逆に言えば、自分が何をすべきか未だによくわからない状態というのは、まだまだ、確かな力が付いているとはいえないのでございます。
少しでもやっていけば、まるで、山を崩して行くかのように、やるべきことと方向性が見えてくるものでございます。
絶不調で全くお勉強をやる気が起きないのであればやらないほうがようございますが、それ以外の場合では、わずかでも先に進むことが良策ではないかと考える次第でございます。
展望が開けば、あたかもゴールが見えてきたランナーのように、励みが付くものと存じます。

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勾配の強い弱い

同じ山道といっても、勾配の高低があるものでございます。
あるところまでは勾配がきつく、心臓破りの坂といわれていることでありまよう。
そして、あるところまでは坂がきつかったのに、それを過ぎるとなだらかな傾斜となって、一息つけるといったこともありましょう。
山道といえども、全てが急斜面ではないということを思い起こしてくださればと存じます。
恋の道といえども、全ての期間が情熱的ではないのと同様の理なのでございます。
惚れたり離れたり、引っ付いたり惚れ直したり、水や汚泥をぶっかけあったり、騙したりすかしたりするものでございます。全く1本調子でないのが恋の道、凹凸・濃淡・強弱・遠近のあるものでございます。
お勉強におきましても、勾配の強弱があることを意識してくださればと存じます。
基本的に、これまで全く知らなかった・聞いたこともなかった制度やシステム、規定やルールを理解するというのは骨が折れるものでございます。
山道で言うなら、まさに急斜面で勾配が直角近くになっているものでございます。
当たり前ですが、こんな斜面を走って駆け上る人はいないかと存じます。山岳ヘルパーでも走っては登らないことでしょう。
走って登るは増長満で鼻の高い人のみでございます。人はそれを天狗と申します。
お勉強におきまして、本当に良くわからない単元や章に差しかかったときは、急勾配の坂に遭遇したと考えて、ギアをチェンジして、ゆっくり登って行くのが理なのでございます。
もちろん、歩みは遅くなって、1日の勉強で1〜2個程度しか進まなくなりますが、それはそれでOKなのでございます。
逆に言えば、急勾配なのにスピードを出そうとして無闇無意味に消耗する方が、愚かなのでございます。
反対に、なだらかな勾配になれば、あーこいつは見た目ではアレだけど、これとこれをしっかり覚えればいいので簡単だね、というようなところに差しかかったのであれば、10個・20個どころの話ではなく、30、40個と勢いでやっていけば良いのでございます。
憶えなおすのみのところ、憶え間違いがないか、記憶に抜けているものがないかを確認するだけの作業は、難易度も負担も低く、数をこなせられます。
逆に言えば、たくさんできるのに、10個程度でだらだらする方が、愚かであるといえましょう。
お勉強は、山道のように目に見えて急さ・なだらかさが見えませんので、ついつい難易度の高い坂道状態のところなのに走ろうとして消耗することが多いかと存じます。
ノルマ主義のお勉強がうまくいかないのは、事の勾配の強弱を無視するからでございます。
なだらかで負担の少ないところはノルマでがしがしとこなしていけば良いでしょう。負担がきつくて進み難いところでは、登山者のように1歩1歩進むが良いでしょう。
強弱を意識するだけで、無用な気の損耗を防ぐことができ、幾分かお勉強の負担も和らぐかと存じます。

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変えてみよう

最上の手、最もいいやり方というのは、数少ないかと存じます。
また、これしかない、こういう方法しか存在しないというのも、稀ではないかと思うのでございます。
今、わたくしたちのしていることというのは、お勉強を含め、仕事から家事育児その他の雑用に到るまで、何かしら変えていける余地があるかと考えている次第でございます。
わたくしごとですが、わたくし、洗濯のやり方を変えたのでございます。
10年来、洗濯というのは朝やるものばかり、晴れの日にやるものばかりと考えていた次第でございます。
しかし、絶対にそうしなければならないわけでもないことに気付いたのでございます。
10年来、ずうーーと朝・晴の日に洗濯をしていたのですが、なかなかそんな日のみに洗濯ができるわけではありません。
結局、朝起きれなかったり雨に降られたりで洗濯物は溜まりに溜まり、土日祝の午前は洗濯機を回しにまわさねばならなくなっていた次第なのでございます。
しかし、ふと、下着類や汗をかいたもの、タオル、ハンカチ類は別に夜に洗ってもいいではないかと気付いたのでございます。
というのも、この梅雨の頃合、汗をかいたものや湿っているものを一晩放置しておくと、途端に異臭やカビにまみれる事態になることに、漸く気付いたのでございます。
大きなものは洗えないけれども、上記の小さいものなら洗えるだろうと思い、夜洗濯→夜干しにしたのですが、別段、支障は無い毎日でございます。
雨が降りそうなら一部は部屋干ししますが、大きな支障はなく、逆に、洗濯物がすっきりして快適なくらいでございます。(出先で洗濯の山を思い出し、ああ今頃発酵してそうだなあと思うことほど嫌なものはありません。)
また、ハイター等の消臭・漂白・除菌の洗濯洗剤と一緒に洗えば、生乾き的なアノ臭いも抑えられる上に、汗臭さ・汗ばみ等も防げ、(ああ、なんてもっと早くに、夜に洗濯をしなかったのだろう)と嘆息した次第でございます。
10年来、疑問も無くやってきた洗濯ですら、変えることのできることに気付いたわたくしなのでございます。
考え方を変えるとは、何も新規なやり方を追い求めたり、人とは敢えて違う風に考えたりするのではないのでございます。
自分が息をするかのように当然・当たり前と思っているものを変えることなのだなあと思い立った次第でございます。
お勉強におきましても、同様の事情であるかと存じます。
それはそうするしかない、それはそうするものだ、と当たり前のように考えているものに、何か大きく進展する萌芽があるように思えてならないのでございます。
本当にテキストなんてものは、このように読まなければならないの?
問題集・過去問はこのようにしか解けないのか、もっと別の使い方はないの?
憶え方はこれでいいのかなどなど、考えてみると、今までに気付かなかった改善策を思いつくかと存じます。
大きく変えなければならないときは人生の転機でありまして、だいたいのことは小さな変化で事が済むものでございます。
小さいマイナーチェンジで、本試験まで凌いでくださればと存じます。

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