良いことは続けるべきでございます。
このことは、誰しも納得いただけるかと存じます。
では、悪いことはどうかといいますと、もちろん、悪化しているようならば、その悪くなる原因を止めねばならないということになります。
このことについても、ご理解いただけるかと存じます。
しかしながら、ときに人は事態が悪化しているにもかかわらず、悪いことを続けてしまう人が居るのでございます。
泣き面に蜂、弱り目に祟り目と申しますが、得てして、当の本人が事態を悪化させていることがあるのでございます。
わたくしたちは、もっと論理的に物事を捉えなければならないかと存じます。
良いことは良いことが続くものでございます。
悪いことには悪いことが続くものでございます。
気分が良いことを続ければ、気分は良くなってまいりますし、気持ちが新たになることも続ければ、次第に切り替えが上手になって行くものでございます。
朝早く起きてお勉強を済ませたときの爽快感と達成感、開放感は、回数をこなせばより強く感じますし、どんどん心に余裕が生じてまいります。
しかし、一方で、酔っ払いの吐いたげろを見続ければ気は滅入りますし、ムカつく奴のことを考えればやはり一段のむかつきが生じるものでございます。
また、今日だらだらすれば明日はもっと怠惰な日を過ごすことになるのでございます。
今やっていることが、将来の「やる」に繋がってございます。
突然、良いことが悪いことに、悪いことが良いことになるのはごく稀で、人知で当てにできるものではありません。げろを見続ければ美しく見えるようになるのか?というわけです。
結局、自分がいいと思うこと、良くなっていると思うことを続けるのが良いのでございます。
あれやこれやと思い悩むのは、脳のトレーニングにはなるでしょう。比較分析帰結憶測予想推測などなどで。
しかし、結局、良さや悪さを享受するのは自分なわけですから、他人がどうこう言いやっていようとも、自分のわが道を進むのがよろしかろうと存じます。
やってみてよかったら続け、ダメだったらやらない。何の変化もないときはしばらく継続で様子を見る。悪化しているようなら、変化がないようなら止める。方法論というのは、単にこれだけのことであるかと存じます。
毎回机の上を掃除すると調子が上がる人はやればいいでしょう。何にも起きない人は、乱雑にならない程度に片づけしておけばいいのです。
こうしたら絶対にうまくいく方法、必ず良くなる方法というのは、考えてみればありえないのでございます。
もしあるのなら、そうした方法はもはや、わたくしたちが身の回りの酸素の存在を疑わないくらいに、常識的・当然なものになっているからでございます。
良くなること・悪くなることというのは、靴のサイズが皆違うように、至極個人的なものではないかな、と思うのでございます。
自分にとって良くなること、悪くなることに明敏になって、あれこれ試してみたり、変化を付けていってくださればと存じます。
お勉強に限らず、やはり、できるという人は、上手に緩急をつけているものでございますし、「君子一変す」と申すほど変えるものでございます。。
変化を上手に扱うことが肝要であるかと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年7月17日 9:41 AM |
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独学といいますのは、自分から意欲的に・自主的にお勉強に取り組まなければうまくいかないのものでございます。
何しろ、監督してくれる人がいませんし、指導してくれる人も居りません。もちろん、後見してくれるバックアップ要員もございません。
何事においても、自分の意思を働かせ、心を鼓舞し、前進していかねばならないのでございます。
とはいえ、言葉だけなら簡単そうに見えるこの自主性というものは、ときに重荷になるのでございます。
自主性・自主的であったものが、何時の日か義務や拘束に変わるようになるからでございます。
自分から始めたことなのに、気付いたら何時の間にやら己を縛る縄になっていたというわけでございます。
基本的に、人間といいますのは、義務や強制を嫌う生き物でございます。「べき」と思うだけで、しんどくなる生き物でございます。
酒好きでも、飲めといわれればおいしくありませんし、肉好きでも、食えといわれればそんなに食べられないものでございます。
意思を働かせたり意欲を燃やすことに面倒くさくなったらどうするか、独学においては重要な問題なのでございます。
自分であれこれしていくのを、(しんどいなあ)と思うようになった場合は、意欲するのは一旦停止するのが良いかと存じます。
イヤイヤなのに、やれやれ騒いでも仕方がないものでございます。
そして、意欲を出そうとする代わりに、数で己を鼓舞して行くのが良いでしょう。
〜する、〜しようと考える代わりに、○回だけする、○ページだけ読む、○問だけ解く、○分・○時間だけやるというように、「数」で目の前のお勉強を裁いて行くわけでございます。
数で考える利点は、終わりが明確であるという点でございます。
○○さえやればいい、○○分さえ凌げばいい、といったように、ゴール・解放地点が見えているだけでも、お勉強がしんどくなってきたときは助かるのでございます。
たとえば、腕立てを1000回せよといわれたなら、できないことはないのでございます。10回10回10回と小分けに小分けしてやっていけば、何時の日か千という数字を達成することができましょう。
しかし、これが、単に「腕立てをしよう」のみの看板しか揚げていないと、なかなかにしんどいのでございます。
おそらくは、大半の人が1000回どころではなく、500回も行かないままにやらなくなってしまうのではないかと考えます。
1000という数字が明白にあるだけで、取り敢えずの回数は確保できるわけでございます。
ある程度の回数、そこそこの勉強時間と演習数を確保できてしまう点が、数で見て行く利点なのでございます。
だれてきたり、倦んできたり、飽きてきたりしたときは、数で縛って割り切りながらお勉強を進めて欲しく存じます。
ちなみに、飛行機は高度が高いと安定し、逆に低くなると危険度が増すと申します。
お勉強におきましても、低調不調状態が最も挫折に近い位置にございます。
「数」で縛ることで、低空飛行状態を凌いでくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年7月16日 9:22 AM |
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グダグダの芝居というのは、得てして脚本がダメでございます。
どれほど衣装に凝ろうが、どれほど豪華な俳優陣をそろえようが、脚本がダメならダメでございます。
脚本のまずさは脚本によってしか埋められないのでございます。そのほかでいくら埋めようとも、ダメはダメのままなのでございます。
ダメから脱却したいのなら、まずは脚本の書き直しから始めなければなりません。そこtんとこを直さずにいくらあれこれ手を尽くしても、まずい結果が待つばかりでございます。
お勉強におきましても、同様でございます。
脚本たる筋道がしっかりしていないのに、その他のことを一生懸命になっても仕方がないのでございます。
がんばることや一生懸命は、それ自身は悪くとも良いことでもありません。
時と場合によって、事態は変わるのでございます。単に一生懸命やればいいと思って居ると思わぬ事態に陥るものでございます。
わかりやすい例で言えば、借金でございます。
300万円を年利10%で借りたとします。単純計算すれば、1年当たり30万円の利息を支払わねばならないことになります。
さて、大卒初任給20万が借り手の月給だとして、あれこれ引かれて手取りが17〜18万強と致しましょう。
支払利息は月あたり2万円とちょっとでございます。しかし、元本部分を支払わねばなりませんから、つきあたり3万円を返済に充て、月5万の出金があると致しましょう。
となりますと、手取りから5万引いた12〜13万円で生活をすることになります。厳しい生活ですが、ま、できなくはないでしょう・・・。
しかし、これだけでは全くの手落ちでございます。返済まで何年かかるのかを計算すれば、300万円という新車価格の借金がいかに恐ろしいものかお分かりいただけるかと存じます。
元本の返済は3万円ですから、単純計算ですが、100ヶ月、つまり8年とちょっとかかります。ボーナスの返済もあるでしょうし、元本が減るので利息負担も軽くなりますから、8年という年月はもっと短縮されるでしょうが、それでも、5年6年は返済にかかることでしょう。
なんだ5年、6年かと軽く考えてはいけません。その5年は普通の5年ではなく、厳しい窮乏生活の5年だからでございます。ま、まず、そのストレスには耐えられず、新たな借金をこさえることでしょう。
昇給はあるにせよ、慎重性の原則から12〜13万円の生活が続くと踏まえれば、どれだけ5年という生活が苦しいかお分かりいただけるかと存じます。
こうなってしまったら、借金返済や仕事に一生懸命になるよりも、どこぞ親類縁者知人友人にわけを話し低利で融通してもらい、利息の負担を減らして返済するのにがんばらねばならないわけでございます。
わたくしはお勉強に限らず何事も、筋道が見えるまではがんばらない方がいいと考える次第でございます。
軽め軽めに当たって行き、事態が把握できてから一生懸命になっても全く遅くはありません。逆に速いくらいです。
がむしゃらにやる、一生懸命にやる、がんばる手法が有用なときにやれば良いことでございます。
たとえば、過去問を繰り返したりなじみになった問題集を解き直したりするのは、いくらでも一生懸命に慣れますし、がんばれば成果も付いてまいります。
しかし、間違えた箇所の復習やわからないところや難しいところ、弱点は一生懸命にがむしゃらに進めるよりも、1歩1歩慎重に自歩を固めるように進めた方が良い結果が付いてくることでしょう。
お勉強は、気合や精神力で、なんでもかんでもやればいいというわけではありません。
筋道が見えるまではセーブする、筋道が見えるようになるまで待つということも、お勉強のひとつの方策であることをご理解いただければと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年7月15日 8:51 AM |
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