独学といいますのは、不安や不信との戦いでございます。
これでいいのかしらと、現状の進め方を訝しく思ったり、こんなことで受かるのかと、不安に思うものでございます。
まず、指摘しておきたいのは、こうした不信や不安というのは、受験生全員に共通しているものですから、そう思うこと自体は変でもなんでもないということでございます。
別段、精神力や気合が劣っているわけではないのでございます。皆が皆、どうなるんかしらと心中、くすぶっているものでございます。
逆に、アハハと口を開けて笑っていられる方がアレなのでございまして、よっぽどの大物か、若しくは、病んでおられるのではないかと、逆にこちらが不安になってしまうほどでございます。
さてさて、不信や不安といいますのは、雑草に近い脂質があるのでございます。
必ず発生するものでございます。取っても取っても、後から後から生えてくるものでございます。
お米作りや野菜の栽培が、雑草との戦いといわれますように、お勉強におきましては、不安・不信と戦っていかねばならないのでございます。
戦っていく上で重要なのは、単に「思う」だけではいけないということでございます。
(不安だなあ)と思ったときに、それを打ち消すように(がんばろう!)と思うのみでは、何の成果も生まれないのでございます。
不安や不信は、根から絶つようにせねばなりません。
単に「思う」だけでは、雑草の葉の部分を取るが如しで、あっという間に不安や不信は芽を出し始めることでしょう。
不安や不信が頭によぎったときは、まず、主たる原因を特定することをお勧めするものでございます。
あのページのあの部分が不安になったときは、めんどくさがらずに開いてみることでございます。
できないところがあるなら、何度でも目を通して接点を増やし、突破できる点がないかを探すべきでございます。
昨日やったことが不安なら、もう一度、やり直してみれば良いだけでございます。
進め方に不安があるなら、自分がどのような実力の状態になりたいのか、そのゴール像を描いてみて、それに近づくには何と何をすればよいかを模索してみることでございます。
単に、がんばろう!とか、やろう!とか、負けない!などなど、なーんてことを思うよりかは、実際の行動に繋がるように考えて行くことが大切であるかと存じます。
先ほどもいいましたように、お勉強とは雑草のように生じる不安と不信との戦いでございます。
これは、本試験という最後の日まで続く戦いでございます。ひとつ拭えば、また次の不安が生じます。
しかし、不信や不安に打ち勝って行く過程こそ、実力が付いて行く過程でもございます。
不信や不安をしっかり汲み取って、実際のお勉強に移し、実力アップの方策として用いてくださればと存じます。
不信や不安はほったらかしにしておくと、雑草と同じで更に取り除きにくくなりますことも、併せて追記しておきたく存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年7月21日 9:06 AM |
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良いことは続けるべきでございます。
このことは、誰しも納得いただけるかと存じます。
では、悪いことはどうかといいますと、もちろん、悪化しているようならば、その悪くなる原因を止めねばならないということになります。
このことについても、ご理解いただけるかと存じます。
しかしながら、ときに人は事態が悪化しているにもかかわらず、悪いことを続けてしまう人が居るのでございます。
泣き面に蜂、弱り目に祟り目と申しますが、得てして、当の本人が事態を悪化させていることがあるのでございます。
わたくしたちは、もっと論理的に物事を捉えなければならないかと存じます。
良いことは良いことが続くものでございます。
悪いことには悪いことが続くものでございます。
気分が良いことを続ければ、気分は良くなってまいりますし、気持ちが新たになることも続ければ、次第に切り替えが上手になって行くものでございます。
朝早く起きてお勉強を済ませたときの爽快感と達成感、開放感は、回数をこなせばより強く感じますし、どんどん心に余裕が生じてまいります。
しかし、一方で、酔っ払いの吐いたげろを見続ければ気は滅入りますし、ムカつく奴のことを考えればやはり一段のむかつきが生じるものでございます。
また、今日だらだらすれば明日はもっと怠惰な日を過ごすことになるのでございます。
今やっていることが、将来の「やる」に繋がってございます。
突然、良いことが悪いことに、悪いことが良いことになるのはごく稀で、人知で当てにできるものではありません。げろを見続ければ美しく見えるようになるのか?というわけです。
結局、自分がいいと思うこと、良くなっていると思うことを続けるのが良いのでございます。
あれやこれやと思い悩むのは、脳のトレーニングにはなるでしょう。比較分析帰結憶測予想推測などなどで。
しかし、結局、良さや悪さを享受するのは自分なわけですから、他人がどうこう言いやっていようとも、自分のわが道を進むのがよろしかろうと存じます。
やってみてよかったら続け、ダメだったらやらない。何の変化もないときはしばらく継続で様子を見る。悪化しているようなら、変化がないようなら止める。方法論というのは、単にこれだけのことであるかと存じます。
毎回机の上を掃除すると調子が上がる人はやればいいでしょう。何にも起きない人は、乱雑にならない程度に片づけしておけばいいのです。
こうしたら絶対にうまくいく方法、必ず良くなる方法というのは、考えてみればありえないのでございます。
もしあるのなら、そうした方法はもはや、わたくしたちが身の回りの酸素の存在を疑わないくらいに、常識的・当然なものになっているからでございます。
良くなること・悪くなることというのは、靴のサイズが皆違うように、至極個人的なものではないかな、と思うのでございます。
自分にとって良くなること、悪くなることに明敏になって、あれこれ試してみたり、変化を付けていってくださればと存じます。
お勉強に限らず、やはり、できるという人は、上手に緩急をつけているものでございますし、「君子一変す」と申すほど変えるものでございます。。
変化を上手に扱うことが肝要であるかと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年7月17日 9:41 AM |
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独学といいますのは、自分から意欲的に・自主的にお勉強に取り組まなければうまくいかないのものでございます。
何しろ、監督してくれる人がいませんし、指導してくれる人も居りません。もちろん、後見してくれるバックアップ要員もございません。
何事においても、自分の意思を働かせ、心を鼓舞し、前進していかねばならないのでございます。
とはいえ、言葉だけなら簡単そうに見えるこの自主性というものは、ときに重荷になるのでございます。
自主性・自主的であったものが、何時の日か義務や拘束に変わるようになるからでございます。
自分から始めたことなのに、気付いたら何時の間にやら己を縛る縄になっていたというわけでございます。
基本的に、人間といいますのは、義務や強制を嫌う生き物でございます。「べき」と思うだけで、しんどくなる生き物でございます。
酒好きでも、飲めといわれればおいしくありませんし、肉好きでも、食えといわれればそんなに食べられないものでございます。
意思を働かせたり意欲を燃やすことに面倒くさくなったらどうするか、独学においては重要な問題なのでございます。
自分であれこれしていくのを、(しんどいなあ)と思うようになった場合は、意欲するのは一旦停止するのが良いかと存じます。
イヤイヤなのに、やれやれ騒いでも仕方がないものでございます。
そして、意欲を出そうとする代わりに、数で己を鼓舞して行くのが良いでしょう。
〜する、〜しようと考える代わりに、○回だけする、○ページだけ読む、○問だけ解く、○分・○時間だけやるというように、「数」で目の前のお勉強を裁いて行くわけでございます。
数で考える利点は、終わりが明確であるという点でございます。
○○さえやればいい、○○分さえ凌げばいい、といったように、ゴール・解放地点が見えているだけでも、お勉強がしんどくなってきたときは助かるのでございます。
たとえば、腕立てを1000回せよといわれたなら、できないことはないのでございます。10回10回10回と小分けに小分けしてやっていけば、何時の日か千という数字を達成することができましょう。
しかし、これが、単に「腕立てをしよう」のみの看板しか揚げていないと、なかなかにしんどいのでございます。
おそらくは、大半の人が1000回どころではなく、500回も行かないままにやらなくなってしまうのではないかと考えます。
1000という数字が明白にあるだけで、取り敢えずの回数は確保できるわけでございます。
ある程度の回数、そこそこの勉強時間と演習数を確保できてしまう点が、数で見て行く利点なのでございます。
だれてきたり、倦んできたり、飽きてきたりしたときは、数で縛って割り切りながらお勉強を進めて欲しく存じます。
ちなみに、飛行機は高度が高いと安定し、逆に低くなると危険度が増すと申します。
お勉強におきましても、低調不調状態が最も挫折に近い位置にございます。
「数」で縛ることで、低空飛行状態を凌いでくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年7月16日 9:22 AM |
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