独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

勉強したら寝る

記憶は夜作られると申します。
人間は寝ているときに、頭の中の記憶群のうち、残しておくものとそうでないものを峻別するといわれてございます。
お勉強をすると眠くなるのは、当然といえば当然で、記憶の取捨選別が執り行われるからでございます。
しかし、ときどき、眠たくなるどころか逆に、頭がしゃんとして覚醒するお勉強もあるかと存じます。
頭の隅々まで血液が流れ込んで、ばりばりと問題が解け、すらすらとテキストが読めるお勉強でございます。
このような覚醒状態は一種のボーナスタイムですので、その利を最大に享受すれば良いかと思います。
しかしながら、あまりに目が冴えてしまうお勉強というのは、考えものかと存じます。
上記のような覚醒したお勉強はそう何度もありませんので、ほっといても大丈夫なのですが、眠れなくなるようなお勉強が続くようになったときは、少しくご注意をお払いくださればと存じます。
眠れないだけなら別に構わないのでございます。
しかし、その眠れない状態がもう一段階進展すると、本格的な不眠症に到ったり、焦燥感や不安が募りがちになるのでございます。
こうなってしまいますと、お勉強の能率は更に落ち込み、勉強しているはずなのに、成績・実力が伸びていかないという、堪ったもんじゃない事態に突入してしまうのでございます。
眠れなくなるお勉強がまずいのは、こうした背景があるからでございます。
病や不調は、急にはやって来ないのでございます。
つむじ風があって大風が、生暖かい風が吹いて大雨が、深々と冷え込んで雪は降るのでございます。
不調の前兆を見逃さないようにしてほしく思います。
眠たいお勉強のはずなのに、何だか眠れなくなってきたときは、お勉強のメニュウを少し変えてみるのがよろしいかと存じます。
日々のお勉強に、基礎・基本レベルの簡単な復習を付け加えるのでございます。
基礎や基本の事柄といいますのは、得てして、地味で単調、驚きは全くございません。眠たくなる筆頭でございます。
また、受験生なら当然知っておくべきことですし、誰しも知っていること、当たり前のことですので、全くといってもいいほど、新鮮味の欠けるものでございます。
穏当なお勉強をしてきた人であればあるほど眠たくなってしまうもの、それが、基礎と基本の復習なのでございます。天然の睡眠薬と申してもよろしいでしょう。
お勉強をすると眠れなくなったときには、無理やりに眠ろうとせず、布団の中で、基礎・基本レベルの特Aランクの事項のページを開いて見ることを推奨するものでございます。
つまらねえなあと思いつつも、パラグラフをひとつ読み終えるごとに「?」を入れておけば、目印と励みになることでしょう。
ポイントは、意欲を持って真剣に取り組まないことでございます。力むと頭が冴えてくるので、だらだらとやるのがポイントでございます。
そうこうしているうちに、退屈さに負けてとろんとしてくるかと存じます。そうしましたら、電気を消してうつらうつらと寝入ればよろしいかと存じます。
寝ることでお勉強は完結することを、ゆめ忘れないでほしく存じます。

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不安や不信はあるもんだ

独学といいますのは、不安や不信との戦いでございます。
これでいいのかしらと、現状の進め方を訝しく思ったり、こんなことで受かるのかと、不安に思うものでございます。
まず、指摘しておきたいのは、こうした不信や不安というのは、受験生全員に共通しているものですから、そう思うこと自体は変でもなんでもないということでございます。
別段、精神力や気合が劣っているわけではないのでございます。皆が皆、どうなるんかしらと心中、くすぶっているものでございます。
逆に、アハハと口を開けて笑っていられる方がアレなのでございまして、よっぽどの大物か、若しくは、病んでおられるのではないかと、逆にこちらが不安になってしまうほどでございます。
さてさて、不信や不安といいますのは、雑草に近い脂質があるのでございます。
必ず発生するものでございます。取っても取っても、後から後から生えてくるものでございます。
お米作りや野菜の栽培が、雑草との戦いといわれますように、お勉強におきましては、不安・不信と戦っていかねばならないのでございます。
戦っていく上で重要なのは、単に「思う」だけではいけないということでございます。
(不安だなあ)と思ったときに、それを打ち消すように(がんばろう!)と思うのみでは、何の成果も生まれないのでございます。
不安や不信は、根から絶つようにせねばなりません。
単に「思う」だけでは、雑草の葉の部分を取るが如しで、あっという間に不安や不信は芽を出し始めることでしょう。
不安や不信が頭によぎったときは、まず、主たる原因を特定することをお勧めするものでございます。
あのページのあの部分が不安になったときは、めんどくさがらずに開いてみることでございます。
できないところがあるなら、何度でも目を通して接点を増やし、突破できる点がないかを探すべきでございます。
昨日やったことが不安なら、もう一度、やり直してみれば良いだけでございます。
進め方に不安があるなら、自分がどのような実力の状態になりたいのか、そのゴール像を描いてみて、それに近づくには何と何をすればよいかを模索してみることでございます。
単に、がんばろう!とか、やろう!とか、負けない!などなど、なーんてことを思うよりかは、実際の行動に繋がるように考えて行くことが大切であるかと存じます。
先ほどもいいましたように、お勉強とは雑草のように生じる不安と不信との戦いでございます。
これは、本試験という最後の日まで続く戦いでございます。ひとつ拭えば、また次の不安が生じます。
しかし、不信や不安に打ち勝って行く過程こそ、実力が付いて行く過程でもございます。
不信や不安をしっかり汲み取って、実際のお勉強に移し、実力アップの方策として用いてくださればと存じます。
不信や不安はほったらかしにしておくと、雑草と同じで更に取り除きにくくなりますことも、併せて追記しておきたく存じます。

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本人が悪化の原因

良いことは続けるべきでございます。
このことは、誰しも納得いただけるかと存じます。
では、悪いことはどうかといいますと、もちろん、悪化しているようならば、その悪くなる原因を止めねばならないということになります。
このことについても、ご理解いただけるかと存じます。
しかしながら、ときに人は事態が悪化しているにもかかわらず、悪いことを続けてしまう人が居るのでございます。
泣き面に蜂、弱り目に祟り目と申しますが、得てして、当の本人が事態を悪化させていることがあるのでございます。
わたくしたちは、もっと論理的に物事を捉えなければならないかと存じます。
良いことは良いことが続くものでございます。
悪いことには悪いことが続くものでございます。
気分が良いことを続ければ、気分は良くなってまいりますし、気持ちが新たになることも続ければ、次第に切り替えが上手になって行くものでございます。
朝早く起きてお勉強を済ませたときの爽快感と達成感、開放感は、回数をこなせばより強く感じますし、どんどん心に余裕が生じてまいります。
しかし、一方で、酔っ払いの吐いたげろを見続ければ気は滅入りますし、ムカつく奴のことを考えればやはり一段のむかつきが生じるものでございます。
また、今日だらだらすれば明日はもっと怠惰な日を過ごすことになるのでございます。
今やっていることが、将来の「やる」に繋がってございます。
突然、良いことが悪いことに、悪いことが良いことになるのはごく稀で、人知で当てにできるものではありません。げろを見続ければ美しく見えるようになるのか?というわけです。
結局、自分がいいと思うこと、良くなっていると思うことを続けるのが良いのでございます。
あれやこれやと思い悩むのは、脳のトレーニングにはなるでしょう。比較分析帰結憶測予想推測などなどで。
しかし、結局、良さや悪さを享受するのは自分なわけですから、他人がどうこう言いやっていようとも、自分のわが道を進むのがよろしかろうと存じます。
やってみてよかったら続け、ダメだったらやらない。何の変化もないときはしばらく継続で様子を見る。悪化しているようなら、変化がないようなら止める。方法論というのは、単にこれだけのことであるかと存じます。
毎回机の上を掃除すると調子が上がる人はやればいいでしょう。何にも起きない人は、乱雑にならない程度に片づけしておけばいいのです。
こうしたら絶対にうまくいく方法、必ず良くなる方法というのは、考えてみればありえないのでございます。
もしあるのなら、そうした方法はもはや、わたくしたちが身の回りの酸素の存在を疑わないくらいに、常識的・当然なものになっているからでございます。
良くなること・悪くなることというのは、靴のサイズが皆違うように、至極個人的なものではないかな、と思うのでございます。
自分にとって良くなること、悪くなることに明敏になって、あれこれ試してみたり、変化を付けていってくださればと存じます。
お勉強に限らず、やはり、できるという人は、上手に緩急をつけているものでございますし、「君子一変す」と申すほど変えるものでございます。。
変化を上手に扱うことが肝要であるかと存じます。

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