独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

したくないから頑張る

すらすらとできる人は、居ることにはいるのでございます。
まあ、全受験生のうち、2〜3%くらいの人は、すらすらっとできた人でありましょう。
「できる人」の絶対数は、あるのでございます。
ただ、それはごく少数であって、多数ではないのでございます。
皆様におきましては、母数の特定一部を引っ張り出してきて、それで全体を語るような真似はしないようにしてほしく存じます。
たいていの合格者はお勉強に四苦八苦し、あれやこれやの工夫を重ね、たとえば、どうしても忘れてしまう事項を紙に書き出して外で何度も目を通したり、わからないところに付箋をはさんで、それこそ週に5回は読んだり調べたりして、合格者の列にやれやれと参列したのでございます。
したり顔をしている人も、内実はそれなりの努力を払ってきたのでございます。
喉元過ぎれば熱さ忘れる、と申します。
合格後はそれほどでもない顔をしていて、当の本人もかつてのがむしゃら振りを忘れておりますが、本心では二度とあの受験勉強に戻りたくないことでしょう。
皆、再度の試験勉強をしたくがないが故に、試験の1ヶ月前ともなれば、凄まじい「追い込み」を駆けるわけでございます。
もう二度と勉強をしたくないから、頑張って合格者になったのでございます。
この点、御勘違いをなさらないようにしてほしく存じます。
凄くできるから凄く勉強をするわけではなく、したくないからやるのでございます。
お勉強をしておりますと、特に独学ですと、ときにとっぷりと無力感に包まれることもありましょう。
(ああ、こんなんじゃ、受かりっこないなあ)とか、(おいらってだめだなあ)と思うこともありましょう。
しかし、大半の受験生は平均的な人であって、平均的な学力と能力の持ち主同士の戦いでございます。
あなたが頭を抱えているところは、大半の受験生も頭を抱えていることでしょう。
あなたがわからないところは、大半の受験生もわからないなあと思っているでしょうし、暗記ができないところは、同様にできていないでしょう。
では、どうして、平均的な人間同士の間で合格・不合格の差が生じるかというならば、意思力ややる気も重要な因子ではありますが、先ほどいった「しなたくない」という強い感情の存在であるかと存じます。
どっちかつうと、お勉強の原動力は、人生設計やプランといった理性的に引き出されたもの以上に、感情の方に傾くものでございます。
特に、「もうしたくない!」という感情ほど、強いものはありません。だからこそ、再受験組の人たちは、鬼気迫るものを持っているわけでございます。
実際にはほとんどいない、やる気と意思と能力に満ち溢れた「できる人」像を作り上げて、そこから現状を判断しないようにしてくださればと存じます。
大半の受験生は、どろどろっとした感情のうねりの中で、お勉強に臨んでいるものでございます。
合格というのは、合格した者勝ちでございます。
名実や内容はどうであれ、もっとも自分がやる気を引き出せる、コア・源泉・大元のようなものを忘れないようにしてほしく存じます。
それらこそ、やる気の真の原動力でございます。

(さらに…)

カンタン客観視

夜明け前が1番暗いと申します。
恋愛映画やロマンスも、大団円の直前が最も暗く、ふたりの関係も怪しくなるのが常でございます。
場面(舞台)を下げるから上がることができるのでございます。
下がるから上がるのでございます。
ずーと下がり続ける、たとえば、どろどろした恋愛・不倫物を2時間も見続けて御覧なさい。
本当に何の感興もなく、ただ、生ぬるくて苦いだけのコーヒーを飲みながら、つまらない彼話・彼女話を聞かされる以上にうんざりするものでございます。たまりません!どうでもいい!!
主人公の境遇が上がりっぱなしの、つまらないコメディや社会派ドラマ、また、ただひたすら愛を育むだけの恋愛物を2時間も見て御覧なさい。
映画館なら銀幕に、リビングならテレビに、自室ならディスプレイに茶碗を投げつけたくなることでしょう。ふざけるな!どうでもいい!!と。
再度、申し上げます。下がるから上がるのでございます。
苦しい場面、悲しい場面、くじけそうになる場面があるからこそ、最後のハッピーエンドが映えるのでございます。
もし、お勉強のときに苦しい境遇にあるのでしたら、映画やドラマの脚本を思い浮かべてくださればと存じます。
試験勉強の序盤であれば、(もうそろそろ第一幕の終わりの頃だね)と、中盤であれば、(クライマックス向けにこの位は落とさないとダメだろうね)と、終盤であれば、(大団円に向けての準備)くらいに考えればよろしいかと存じます。
お勉強におきましては、うんうんと3日も頭を捻ったすることがありましょう。
これまでの知識や経験を総動員しても、何のことやらわからないことに遭遇することもありましょう。
1週間考えても、なんだかすっきりしないこともあるでしょう。
絶壁のように聳え立つ、ややこしい規定群にぶつかることもありましょう。
そのほかまだまだございます。
憶えたはずのことを忘れていたり、解けていた問題が解けなくなっていたり、重要語句や用語が頭から抜け落ちていたり、何をしていたんだろうなあと臍を噛むときがありましょう。
でも、まあ、いってしまえば、それは実力が付く前の前兆、大団円前の兆しでもあるのでございます。
脚本化・映画化・ドラマ化の手法を以って、現状をお眺めくださればと存じます。
さすれば、もっと冷静に現状を把握できるようになるかと存じます。
こういうのもあって然るべきかな、と思うようになれば、徒に落ち込むことも、悲嘆することもないかと思います。
客観的に見ろといわれると難しく思えますが、脚本風・映画風・ドラマ風に眺めようとすると、比較的容易に己を見ることができるかと存じます。

(さらに…)

忘却は仕方なし

基本的に、お勉強といいますのは、不安との戦いでございます。
といいますのも、昨日確かに憶えたことでも、今日の昼となれば忘れていることがあるからでございます。
昨日憶えたことですら忘れるのであれば、1週間前にやったこと、1ヶ月前にやったことなど、一体どうなるのだろう・・・と不安に思い出すのも致し方のないことかと思います。
しかしながら、こうした忘却の恐怖や不安をあまり思わないことを、皆様方にご助言したく存じます。
忘れることを恐れて怯んでしまう方が、体力的に精神力的にも無駄でございます。
取るに足らないことで、有限のエネルギーを浪費してはなりません。
基本的な認識として、わたくしたちは、やったことはやった分だけ頭に入って行く事実をお忘れなきよう、釘を刺しておきたく存じます。
やったことは、相応にして頭に入っていきます。ただ、わたくしたちは、完全には憶えていないのでございます。
逆に言えば、不完全にしか憶えていないというわけですが、ということは、やったことの全てを完全に忘れたわけではない、ということができるのでございます。
過去お勉強したことに対して、全く見覚えすらないという事態には、それほど遭遇しないかと存じます。
正確に言うなら、あっちやこっちの細かい部分を忘れていたして、記憶が不完全な状態に止まっているわけでありまして、100%完全に忘れてはいないわけでございます。
半熟たまごのように、固まりきっていない状態であるといえましょう。
かつてやったことを忘れるのは、全ての受験生の性でございます。
どれほどトップクラスの人でも、忘れてしまうもの。違いがでるのは、不完全な記憶群を復習に次ぐ復習で確かなものにしているか否かでございます。
夜明け前が1番暗いと申します。
言うなれば、完全な記憶になる前の、不完全の記憶が最も脆い、ということができましょう。
(ああ〜もう、できてないじゃん〜)とか、(わすれてんじゃん〜)などと、愚痴って気分を重くするのは、賢くはありません。誰でもそうだからです。
それ以上に、どれだけの部分の記憶を維持できたかを確かめ、(これだけ維持できたわい)程度の認識でお勉強は進めるべきものでございます。
不完全な状態は、あと2個か3個の手間か作業を加えれば、立派なうでたまごになる=完全な記憶になるものでございます。
人間の頭は、パソコンのハードディスクのようにすらすらっと即憶えられるものではありません。
忘れること、忘却の川に流されてしまうことは、言うなれば、お勉強の自然現象でございます。
仕方のないことでグダグダ言って、やる気や時間を疎漏するよりも、現状を前向きに「冷静に」捉えて、目の前のことを消化して行ってくださればと存じます。
点の取れる完全な記憶まではあと少し、数歩先にございます。
わたくしたちには期限の利益がありますから、記憶の不完全状態は本試験という最終締め切りまでに間に合わせれば良いだけでございます。
ゴール目前でぶうたれて、折角の果実を見過ごすような愚かな真似はしないようにしてくださればと存じます。

(さらに…)