独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

さっさの利点

余計な荷物は持ち歩かないのが信条でございます。
だって、本当にめんどくさいからでございます。
持って行こうが行くまいが、それほど影響のないものなら持っていかなくても良いものでございます。
できるだけ身軽に、手に持たずに出かけるのが信条でございます。
コピーした資料を数枚、ズボンのポケットに入れて、かばんも何ももたずに出かけるくらいでございます。
例外なのは、傘くらいでございます。ぽつ降り後なら100%持って出かけます。
折り畳み傘は、少々の曇りでも念のために持ち歩くようにしてございます。
必要のないものを持って持ち歩くことほど、くだらないことでエネルギーを使うものもありません。
持って歩けばいいことがあるのは、神社お寺の御守りが関の山。
御守りだってあの大きさだからこそ売れるのであって、文庫本サイズともなれば途端に売れなくなることでしょう。
少し大きくなれば、「邪魔!」といわれて、隅のほうに置かれてしまうことでしょう。神様も、あの大きさだから邪魔じゃないわけでございます。
さてさて、余計な荷物といいますのは、何も目に見えるものだけに限りません。
実のところ、わたくしたちの重荷になるのは、目に見えない物々の存在でございます。
代表的なのは、「未決定事項」、「保留事項」、「先送り事項」でございます。
こうしたものは、さっさと済ませてしまうか、明確且つ確実に時間の取れる日に消化・解消すべきかと存じます。
調べようかなと思ったこと、見直さないとなと気付いたこと、読もうかな・やろうかなと思い立ったことは、いざやってしまえば、それほど時間も手間もかからないものでございます。
そう、昨日を振り返って、くだらないなあと思った時間やしなくてもよかったなと思う時間を充てれば、十分に消化できるものでございます。
それなのに、長々と着手を先延ばしするからこそ、どんどん、重荷となってくるのでございます。
未決・保留・先送りの多い人生ほど、重々しくなります。
なによりも、害があるのは、それらを抱えれば抱えるほど、気持ちの足止めを食らう点でございます。
前に行こうとする気持ちにブレーキがかかり、どんどん気持ちが萎えてくるのでございます。
気持ちの問題というのは意外に重要でして、どんなに才能・能力に溢れた人でも、気持ちが萎えて低空状態だと結果は惨憺たるものになります。
逆に、人並みのそこそこの力しかなくても、気持ちが充実して気力も溢れるほどあって、生き生きとした状態であれば、驚くほど結果を出せるものでございます。
言うなれば、気分と気持ちが充実するように努めていれば、才能や能力の壁を覆すことができるというわけでございます。
さっさと済ませば、気持ちがいい上に先に物事が進みます。
何か、現状が停滞してどんよりしている感のある方は、びっしびし未決・保留・先送り事項を消化していってくださればと存じます。
探せば、本当に結構な数があるものです。

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考え苦しむ

苦しんで考えても、意味のないこと・仕方のないことがございます。
たとえば、気が小さい、臆病だ、人に自分の意見が言えない、背が低い(胸が小さい)、器量が良くない、頭が悪いなどの、精神的・身体的なことでございます。
そのほか、持病について、家族の病気や怪我、障害について、愛別離苦に関することもございます。
また、お金(収入)のことについて、手形・売り掛け金の入出金について、仕事についてなどなども、一部、考えても仕方のない要素を含んでございます。
こうした事柄につきましては、苦しみに苦しんで考えても致し方がございません。
考えはどんどん悪い方に傾いてしまいますし、そのうえ、考えに考えたとしても問題が解決するわけではありません。
優秀な頭脳を持った医者・研究者・エンジニア・立法家が何十人と日夜、病気その他の問題を直そうを奮起していますが、うまく解決の途が見つからないのでございます。
況や我々をや、でございます。
考えてどうにかなるのか、しっかり考えれば妙案が沸くのか、変化が生まれるのか、改善するのかどうか、このあたりを良く良く見極めてから、考えるべきなのでございます。
下手に考えても、苦しみが募るばかりで、ストレスで体重がもりもり増えるか、度を越して体重が減りに減って幽鬼の如くなるのがオチでございます。
考えても仕方のないことを考えるのは、ブロック塀に生たまごを投げつけて崩さんとする試みのようなものでございます。
何百個、たまごをぶつけてもブロック塀はブロック塀のままでございます。割れたたまごの掃除と、たまごの代金と疲労と徒労感のみが物憂く残るのみでございます。
最終的に、身体を壊すのがオチでありましょう。
考えてしかるべきこと、考えて意味のあることは考えてみてもよいのですが、仕方のないことは考えないように明白に区分けするのが、日常生活をうまく進めるエッセンスであるかと存じます。
さて、考えないようにすべきことがあるのが、わたくしたちの日常でありますが、考えに考えてもよいのがお勉強の世界でございます。
お勉強の世界におきましては、苦しみに苦しんで考えても良い世界なのでございます。
まず、本試験という最終期限がありますので、苦しみ考えるのはその日までと明白な期限が切られてございます。
そして、苦しんで頭に汗をかいた分だけ、良く理解し良く憶えられるという面がございます。
また、苦しんで何日も考え続けると、大概のことは解決して、点数に貢献するようになるのでございます。
もちろん、考えに考えて苦しみ抜いても、考えが解決に及ばないこともありましょうが、なあにそんなものはもう捨て問にしてしまい、全く手を付けないようにすれば良いだけの話でございます。
逆に、考えに考えたことについては完全に割り切れますので、すぱっと心の整理が付いて気持ちが良くなるくらいでございます。
問題で遭遇しても(ハイハイ、できないできない、ごくろうさん)と他の問題に尽力するようになるのでございます。
このように、お勉強におきましては、苦しみに苦しんで考えてもよい「利」がたくさんございます。
どんどんと頭を酷使して、涙汗脂汗を流してくださればと存じます。考えに考えれば、お勉強の大半はうまく行くものでございます。

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したくないから頑張る

すらすらとできる人は、居ることにはいるのでございます。
まあ、全受験生のうち、2〜3%くらいの人は、すらすらっとできた人でありましょう。
「できる人」の絶対数は、あるのでございます。
ただ、それはごく少数であって、多数ではないのでございます。
皆様におきましては、母数の特定一部を引っ張り出してきて、それで全体を語るような真似はしないようにしてほしく存じます。
たいていの合格者はお勉強に四苦八苦し、あれやこれやの工夫を重ね、たとえば、どうしても忘れてしまう事項を紙に書き出して外で何度も目を通したり、わからないところに付箋をはさんで、それこそ週に5回は読んだり調べたりして、合格者の列にやれやれと参列したのでございます。
したり顔をしている人も、内実はそれなりの努力を払ってきたのでございます。
喉元過ぎれば熱さ忘れる、と申します。
合格後はそれほどでもない顔をしていて、当の本人もかつてのがむしゃら振りを忘れておりますが、本心では二度とあの受験勉強に戻りたくないことでしょう。
皆、再度の試験勉強をしたくがないが故に、試験の1ヶ月前ともなれば、凄まじい「追い込み」を駆けるわけでございます。
もう二度と勉強をしたくないから、頑張って合格者になったのでございます。
この点、御勘違いをなさらないようにしてほしく存じます。
凄くできるから凄く勉強をするわけではなく、したくないからやるのでございます。
お勉強をしておりますと、特に独学ですと、ときにとっぷりと無力感に包まれることもありましょう。
(ああ、こんなんじゃ、受かりっこないなあ)とか、(おいらってだめだなあ)と思うこともありましょう。
しかし、大半の受験生は平均的な人であって、平均的な学力と能力の持ち主同士の戦いでございます。
あなたが頭を抱えているところは、大半の受験生も頭を抱えていることでしょう。
あなたがわからないところは、大半の受験生もわからないなあと思っているでしょうし、暗記ができないところは、同様にできていないでしょう。
では、どうして、平均的な人間同士の間で合格・不合格の差が生じるかというならば、意思力ややる気も重要な因子ではありますが、先ほどいった「しなたくない」という強い感情の存在であるかと存じます。
どっちかつうと、お勉強の原動力は、人生設計やプランといった理性的に引き出されたもの以上に、感情の方に傾くものでございます。
特に、「もうしたくない!」という感情ほど、強いものはありません。だからこそ、再受験組の人たちは、鬼気迫るものを持っているわけでございます。
実際にはほとんどいない、やる気と意思と能力に満ち溢れた「できる人」像を作り上げて、そこから現状を判断しないようにしてくださればと存じます。
大半の受験生は、どろどろっとした感情のうねりの中で、お勉強に臨んでいるものでございます。
合格というのは、合格した者勝ちでございます。
名実や内容はどうであれ、もっとも自分がやる気を引き出せる、コア・源泉・大元のようなものを忘れないようにしてほしく存じます。
それらこそ、やる気の真の原動力でございます。

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