独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

違う種のストレス

お勉強といいますのは、ストレスのかかるものでございます。
あれこれどう試して見ても、お勉強のストレスを「ゼロ」にすることはできないかと存じます。
わたくしたちにできるのは、ストレスを和らげるのみでございます。
考えてみれば、長時間机の前にじっとするだけでも、人によっては苦痛でありましょう。
そして、長ったらしい難解な文章群と格闘するのは、骨の折れる作業でございます。苦痛です。
そのうえ、お勉強独自のわながございます。つまり、お勉強が進めば進むほど、お勉強事自体を止めることが難しくなって行くのです。ここまでやったからにゃ受からないと大損だというわけでございます。
ですから、いっそう、受からなければ!合格しなくては!というプレッシャーが強まって行くのでございます。
しかも、こうしたストレスやプレッシャーは、お勉強の進展とともに強度が増す性質がございます。
お勉強の序盤なら多少出来なくてもアハハで済みますが、中盤から終盤に差し掛かれば、受験生なら誰でも点を取る基礎・基本レベルの問題を落とすと、足元から崩れ行くような大きな不安に襲われてしまいます。
お勉強のストレスやプレッシャーというのは、徐々に徐々に、しかも確実に大きくなって行くのでございます。
ストレスやプレッシャーに多大の免疫のある方であれば結構なのでございますが、多くの方は、お勉強のストレスやプレッシャーに慣れていないというのが現実であろうかと存じます。
というのも、お勉強のストレスやプレッシャーといいますのは、普通の生活では似たようなものがないからでございます。
人間関係のストレスといいますのは、小学生から成人になるまで、成人になってもあれやこれやとあるものでございます。
ですから、何とか人間関係のストレスやプレッシャーへの対処法・心構えというのは出来上がって行くものでございます。
しかし、お勉強のストレスやプレッシャーというのは、目に見えない、確かなものがない、把握し難いという特色があるのでございます。
お仕事であれば給金という形で報われますが、お勉強というのは、目に見えた「ごほうび」というものがないですし、お勉強の成果や結果も実にわからないものがございます。
傍から見れば「合格間違いなし」の人が、内心では不安におびえていたりするものでございます。
お勉強のストレスというのは、意外に類型がなく、仕事のプレッシャーやスポーツ等で緊張を強いられても平気な人がころっと負けてしまうのでございます。
わたくしの知り合いで、もう何年もギャンブル(パチンコ・スロット)で食べている人がございます。
毎日10時間、台に座って打っておりますが、こうした一箇所に長時間じっとするストレスを抱え、負けるかもしれないプレッシャーに耐えうる人でも、毎日1〜2時間のお勉強には、からっきし我慢ができないのでございます。
やはり、お勉強のストレスとプレッシャーは独自のものがあるかと存じます。
特に、長期間お勉強から離れていた人には、お勉強のストレスとプレッシャーはとっつきにくくて対処し難いかと存じます。
お勉強が3日坊主、1週間坊主、1ヶ月坊主で終わる人というのは、お勉強独自のストレスやプレッシャーに耐え切れずというよりも、お勉強独自のストレスにどう対処したらいいかわからずに煮詰まってしまった観がございます。
お勉強のストレスやプレッシャーには、他にはそう見られない異種のものがございます。ボディブローのように後々で効いて参ります。
こうした性質があることを頭の片隅にでもおいていてくださればと存じます。きっと、進め方の過ちが見えやすくなるかと思います。
ストレスやプレッシャーに強くなるよりも、それらを上手に受け流せるように、一旦受けてから対処できるようになる方が賢明であるかと存じます。

(さらに…)

気持ちから

起きてしまったことやどうにもならないこと(コンプレックスなど)は、考えないようにするのが精神衛生上よろしいかと存じます。
気になることや不安が心に巣くっていると、あっという間にやる気は蒸発します。
また、集中力も持続しなくなってしまう上、勉強以外の気分もどんどんと落ち込んでしまいます。
気分が低空飛行なのに無理やりに頑張ろうとすると、今度は鬱々として何も楽しめない状態になってしまいます。
起きてしまったことやどうにもならないことに対して、考えないようにすることは、数ある自己管理のなかでとても重要な位置を占めているかと存じます。
いうなれば、建設的な思考というのは、変えられないことは考えないことであるのでございます。
一朝一夕で自分の頭のよさなど変えることはできないのですから、頭の悪さを儚んで時間を潰すよりも、今、自分にできることに絞って考えるわけでございます。
もう既に起きてしまったことやどうにもならないことで、己を煩わせるほど愚かなことはありません。
自分では正しく頑張ってきたという自負があるのであれば、何に対しても恥じることはありません。
正しくやってきたことは、見ている人は必ず見ていますし、やってきたことは顔になって必ず現われます。
意外な人が味方になるときがありますし、思いもよらないところから支援の手が差し伸べられるときもございます。
わたくしたちができることは、結果が芳しくなくても、思ったように事が運ばなくても、煮詰まっていても、再び自分のできること、できそうなこと、がんばればできそうなことに取り組むのみでございます。
しかしながら、そうはいっても、ときに徒労感に襲われて、ふうーと溜息をつくときもありましょう。
先に待ち構えている障害や困難、予想されることを想ってはうんざりすることもありましょう。
わたくしたちは超人ではなく、生身の人間ですから、時に弱気にくじけそうになるものでございます。
溜息は命を削る鉋(かんな)と申します。弱気は損気と申します。
不安げに猫背で受験会場入りする人を見て、あなたはどう思うでしょうか。やはり、(あの人落ちるかも)と思うものでありましょう。そしてそれは、得てして当たるのでございます。
やはり、何か物事を為そうとするのであれば、弱気よりも強気でしゃんと胸を張ってやっていくべきでございます。
劣勢にたったときは、やはりまず、気持ちを奮い起こすことでございます。
ダメだなあと徒に不安に思うよりも、まだまだこんなものじゃない!と気持ちを入れ替えることでございます。
次のこと、そして、更に次のことを考えるには、起きてしまったことや済んでしまったことをいつまでもグダグダ考えていては、考えがまとまっていきません。
まずは考えないようにして気持ちを入れ替えてから、反抗作戦でございます。
嫌な事があったとき、思いっきり失敗したとき、全くうまく行かないときは、気持ちを整えることを第一にしてほしく存じます。

(さらに…)

溜めないのが1番だけど

お勉強といいますのは、一筋縄では行かないものでございます。
お勉強がすらすら・さらさらと、清流や小川の流れのように進むのは、ほんの数えるくらいでありまして、大概は暗夜航路・荒地凸凹山道を行くが如しでございます。
お勉強が遅れがちになってまいりますと、予定表や計画表、手帳のやるべきリストが溢れんばかりに増えるようになるかと思います。
しかし、ここで申し上げたいのは、そのすべきリストの全てをやろうとしないことでございます。
溜まったものは、溜まる前の3倍はしちめんどくさいことになることを、ご理解頂ければと存じます。
たとえば、カンタンな雑用を思い起こしてくださればと存じます。
雑用といいますのは、溜まれば溜まるほど、めんどくさく、時間もよりかかるようになるものでございます。
汚れた皿を洗う、溜まった汚れ物の洗濯する、靴磨き、メールの返信、各種連絡、お礼状、電話、はがきの返信、データのバックアップ、領収書・レシート整理、季節物の整理・衣類の入れ替え、クリーニングに出す・取り込むなどなど、雑用といいますは、どれも溜めると作業の難易度と解消に要する時間はアップするものでございます。
溜まった皿洗いはいわずもがな、ぬるぬるした水垢やこびりついた脂汚れを取るために余計な手間が費やされますし、洗濯機を2回も3回も回そうとすると結構な時間がかかりますし、量を洗うためか、意外に汚れや臭いが落ちていないものでございます。
データのバックアップなど、こまめにやっていないと、何を保存しておくかを決めるだけで、午前中の貴重な時間が流れ去って行くものでございます。メールの返信など、すぐ返せばいいのに、何故か受信日から時間が経つにつれてより返しにくくなるものでございます。
このように、雑用の各々を見て行くと、溜めないのが華と相成るわけでございます。
お勉強も理想を言えば、溜めない方が良いのはいうまでもありません。さらに着手するのにめんどくさく、手間の量、消化する時間がかかってくるからでございます。
(あれ、見ておこうかな)とふと思い立ち、やるべきリストに入れても、機を逸していると何故見直すのか忘れてしまって、心の付いて行かないお勉強になるものでございます。
(復習しておこう)と思ってもやらずじまいだと、時間の経過とともに、復習内容を忘れていって取り戻すのに苦労するわけでございます。
まずは、お勉強については、溜めないことが一番であることを憶えておいてくださればと存じます。時間を見つけては、やるべきことは消化してくださればと存じます。
とはいえ、現実には、トラブルやアクシデントで、そうそうにうまく行かないのが現実でございます。
では、溜まったときにはどうしたらいいか、でございます。
それは、やるべきリストのことを静止して、割り切って捨てることでございます。必ずやらないといけないこと・やっておくといいこと・時間があればやっておくこと、といったように、優先順位を付けて、必ずやっておくことのみを消化しようと試みるわけでございます。
先ほどいいましたように、やるべきことというのは、溜まれば溜まるほど、やり難くなるものでございます。
時間もかかるし、手間も倍食うようになります。そうであるのに、そんなパワーアップしたもの全てをこなそうとしても、詮はないものでございます。
やる気はわかりますが、わたくしたちには手は2本・頭は1つ・心も1つしかありませんから、やるべき価値のあることに対して力を分配すべきなのでございます。
2兎追う者は1兎も得ずといいますが、お勉強でも同様の実情でございます。
できなかったことは仕方ありません。変わってくるのは、その事態に対してどう対応するかでございます。
本当に消化すべきことに絞って絞って、溜まったものを消化していってくださればと存じます。
全部やろうとするとぐったりして、この先7日分のやる気を全て前借するかのような疲労を憶えるかと思います。やる気を先取りしたがために、また、やるべきリストが増えてしまえば、今日がんばった意味がなくなってしまいます。
切り捨てたこと・残った物は小分けして空き時間や手持ち無沙汰な時間に消化していけばいいのでございます。意外にできます。
以上、お勉強は溜めるべきではないが、溜まったときの対処法を述べさせた頂きました。

(さらに…)