独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

気持ちから

起きてしまったことやどうにもならないこと(コンプレックスなど)は、考えないようにするのが精神衛生上よろしいかと存じます。
気になることや不安が心に巣くっていると、あっという間にやる気は蒸発します。
また、集中力も持続しなくなってしまう上、勉強以外の気分もどんどんと落ち込んでしまいます。
気分が低空飛行なのに無理やりに頑張ろうとすると、今度は鬱々として何も楽しめない状態になってしまいます。
起きてしまったことやどうにもならないことに対して、考えないようにすることは、数ある自己管理のなかでとても重要な位置を占めているかと存じます。
いうなれば、建設的な思考というのは、変えられないことは考えないことであるのでございます。
一朝一夕で自分の頭のよさなど変えることはできないのですから、頭の悪さを儚んで時間を潰すよりも、今、自分にできることに絞って考えるわけでございます。
もう既に起きてしまったことやどうにもならないことで、己を煩わせるほど愚かなことはありません。
自分では正しく頑張ってきたという自負があるのであれば、何に対しても恥じることはありません。
正しくやってきたことは、見ている人は必ず見ていますし、やってきたことは顔になって必ず現われます。
意外な人が味方になるときがありますし、思いもよらないところから支援の手が差し伸べられるときもございます。
わたくしたちができることは、結果が芳しくなくても、思ったように事が運ばなくても、煮詰まっていても、再び自分のできること、できそうなこと、がんばればできそうなことに取り組むのみでございます。
しかしながら、そうはいっても、ときに徒労感に襲われて、ふうーと溜息をつくときもありましょう。
先に待ち構えている障害や困難、予想されることを想ってはうんざりすることもありましょう。
わたくしたちは超人ではなく、生身の人間ですから、時に弱気にくじけそうになるものでございます。
溜息は命を削る鉋(かんな)と申します。弱気は損気と申します。
不安げに猫背で受験会場入りする人を見て、あなたはどう思うでしょうか。やはり、(あの人落ちるかも)と思うものでありましょう。そしてそれは、得てして当たるのでございます。
やはり、何か物事を為そうとするのであれば、弱気よりも強気でしゃんと胸を張ってやっていくべきでございます。
劣勢にたったときは、やはりまず、気持ちを奮い起こすことでございます。
ダメだなあと徒に不安に思うよりも、まだまだこんなものじゃない!と気持ちを入れ替えることでございます。
次のこと、そして、更に次のことを考えるには、起きてしまったことや済んでしまったことをいつまでもグダグダ考えていては、考えがまとまっていきません。
まずは考えないようにして気持ちを入れ替えてから、反抗作戦でございます。
嫌な事があったとき、思いっきり失敗したとき、全くうまく行かないときは、気持ちを整えることを第一にしてほしく存じます。

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溜めないのが1番だけど

お勉強といいますのは、一筋縄では行かないものでございます。
お勉強がすらすら・さらさらと、清流や小川の流れのように進むのは、ほんの数えるくらいでありまして、大概は暗夜航路・荒地凸凹山道を行くが如しでございます。
お勉強が遅れがちになってまいりますと、予定表や計画表、手帳のやるべきリストが溢れんばかりに増えるようになるかと思います。
しかし、ここで申し上げたいのは、そのすべきリストの全てをやろうとしないことでございます。
溜まったものは、溜まる前の3倍はしちめんどくさいことになることを、ご理解頂ければと存じます。
たとえば、カンタンな雑用を思い起こしてくださればと存じます。
雑用といいますのは、溜まれば溜まるほど、めんどくさく、時間もよりかかるようになるものでございます。
汚れた皿を洗う、溜まった汚れ物の洗濯する、靴磨き、メールの返信、各種連絡、お礼状、電話、はがきの返信、データのバックアップ、領収書・レシート整理、季節物の整理・衣類の入れ替え、クリーニングに出す・取り込むなどなど、雑用といいますは、どれも溜めると作業の難易度と解消に要する時間はアップするものでございます。
溜まった皿洗いはいわずもがな、ぬるぬるした水垢やこびりついた脂汚れを取るために余計な手間が費やされますし、洗濯機を2回も3回も回そうとすると結構な時間がかかりますし、量を洗うためか、意外に汚れや臭いが落ちていないものでございます。
データのバックアップなど、こまめにやっていないと、何を保存しておくかを決めるだけで、午前中の貴重な時間が流れ去って行くものでございます。メールの返信など、すぐ返せばいいのに、何故か受信日から時間が経つにつれてより返しにくくなるものでございます。
このように、雑用の各々を見て行くと、溜めないのが華と相成るわけでございます。
お勉強も理想を言えば、溜めない方が良いのはいうまでもありません。さらに着手するのにめんどくさく、手間の量、消化する時間がかかってくるからでございます。
(あれ、見ておこうかな)とふと思い立ち、やるべきリストに入れても、機を逸していると何故見直すのか忘れてしまって、心の付いて行かないお勉強になるものでございます。
(復習しておこう)と思ってもやらずじまいだと、時間の経過とともに、復習内容を忘れていって取り戻すのに苦労するわけでございます。
まずは、お勉強については、溜めないことが一番であることを憶えておいてくださればと存じます。時間を見つけては、やるべきことは消化してくださればと存じます。
とはいえ、現実には、トラブルやアクシデントで、そうそうにうまく行かないのが現実でございます。
では、溜まったときにはどうしたらいいか、でございます。
それは、やるべきリストのことを静止して、割り切って捨てることでございます。必ずやらないといけないこと・やっておくといいこと・時間があればやっておくこと、といったように、優先順位を付けて、必ずやっておくことのみを消化しようと試みるわけでございます。
先ほどいいましたように、やるべきことというのは、溜まれば溜まるほど、やり難くなるものでございます。
時間もかかるし、手間も倍食うようになります。そうであるのに、そんなパワーアップしたもの全てをこなそうとしても、詮はないものでございます。
やる気はわかりますが、わたくしたちには手は2本・頭は1つ・心も1つしかありませんから、やるべき価値のあることに対して力を分配すべきなのでございます。
2兎追う者は1兎も得ずといいますが、お勉強でも同様の実情でございます。
できなかったことは仕方ありません。変わってくるのは、その事態に対してどう対応するかでございます。
本当に消化すべきことに絞って絞って、溜まったものを消化していってくださればと存じます。
全部やろうとするとぐったりして、この先7日分のやる気を全て前借するかのような疲労を憶えるかと思います。やる気を先取りしたがために、また、やるべきリストが増えてしまえば、今日がんばった意味がなくなってしまいます。
切り捨てたこと・残った物は小分けして空き時間や手持ち無沙汰な時間に消化していけばいいのでございます。意外にできます。
以上、お勉強は溜めるべきではないが、溜まったときの対処法を述べさせた頂きました。

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あ!こーしたら

どんな難しく見えることでも、解決は可能でございます。
解決する手段や方法は確かにあるのでございます。しかし、わたくしたちは、それらが見えていないために苦労するわけでございます。
昔、遭遇した難しい問題や課題を思い起こしてくださればと存じます。
当時は、頭から脂汗が流れんばかりに考えたことでも、今の自分ならもっとうまくやったろうなあと思えるものでございます。
では当時と今とで大きな変化が生じているのかといいますと、そうでもありません。
往時と今では、ほとんど変わっていないかと思います。
しかし、なぜだか、できる感がするのでございます。
基本的に、わかる/わからない、できる/できないといいますのは、紙一重でございます。
わからない・できない問題の真っ只中にあるときは、この問題いつ解決するのか、本当に解決するのか困り果てるものですが、意外にそうではありません。
単にそのときにできないだけで、後から振りかえれば、なんであんなことでうんうん唸っていたのだろうと不思議に思うことは多々あるものでございます。
わかる/わからない、できる/できない関係は、あっけなく壁が崩れるのでございます。
これまでの障害や難題のことを思い出すにつけて、実感できるのではないでしょうか。(単に、あーして、こーしていけばいいだけじゃん)と思うものでございます。
たとえば、車の車庫いれ、キーボードでの文字入力でございます。当時はあんなに苦労したのにいまや、アンパンをかじりながらでもできてしまうことでしょう。
お勉強に忍耐力が求められるのは、単に机の前に座り続けることや長い難解な文章の載ったテキストを読むためとか問題集の問題と戦うためと考えられがちですが、もうひとつ重要な意味があって、すっ〜と理解が及ぶまで待ち続けられるかどうかに関わっているからでございます。
それがどんなに難しく見えようとも、お勉強多くの問題や課題、障害はまず解決可能であることを意識してくださればと存じます。
ちょっとしたことで、多くのことは、すっ〜と理解が及んだりできたりするのがお勉強の事実でございます。
ですから、問題の解決には、ちょっとしたことを多数やってみるのが近道であるかと存じます。
こーしてみよう、あーしてみよう、こう考えてみよう、ああ考えてみよう、この切り口から、この角度から見てみよう云々。
なんと何がわからないのか検索してみよう云々。違う風には考えられないのか云々。やる必要はあるのか、他のところで取り戻せないところか云々。
問題点を限定して考えてみよう云々。小分けしてみよう云々。距離や時間を取っているか云々。
試行錯誤を繰り返して行くうちに、必ず1〜3日中にぱっ!と閃くものでございます。
「あ!こーしたら!」と。
そして、この閃いたことをもとに、また、あれこれ問題や課題と格闘するわけでございます。
わたくしの経験からいいますと、「あ!こーしたら(いいんでないかい)」という発見が3回出ますと、多くは解決に向かうかと存じます。
多くても5回、「あ!こーしたら」がありますと、すぅと理解に及んだり、問題の解決の糸口、ゴールまでの筋道が見えてくるように思います。
お勉強には、試行錯誤とひらめきを待つための忍耐力が必要でございます。これらふたつは、特別な能力の持ち主にしか持ち得ないものではありません。
再度申し上げますが、多くの問題、大半の障害は解決可能でございます。単にわたくしたちが、解決の方法や手段が見えていないだけなのでございます。

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