独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

反・弱り目に祟り目

弱り目に祟り目ということわざの意味は、悪いことがあれば更に悪いことが、やばいことにはもっとやばいことが、不運には不運が見舞われるという意味でございます。
悪いこと、良くないことが起きるのは致し方がありません。
ですから、起きたことひとつひとつについて、クサクサしても仕方がないのでございます。
もっと言うなら、1つの悪いことが起きたら、次から次へとまた起きるなと、心を臨戦態勢に切り替えておかねばならないのでございます。
クサクサしたりうだうだ言っているのがよくないのは、そういう状態であると次のトラブルの衝撃をまともに受けてしまうからでございます。
武道の達人においても、お酒を飲んでリラックスしているときや、配偶者とべたついているときに不意打ちを食らえばひとたまりもないといいます。
配偶者の機嫌が馬鹿に良くて、愛想も良く、贈り物やプレゼントをした後、笑顔のままで突然『浮気しているでしょ』と切り出されて、何の反論もせずに「ウン」といってしまった御仁を、わたくしは存じております。
猫が鼠をいたぶるとき、地獄の鬼が罪人どもを扱くときの顔は、こんな笑顔をするのではないかと彼は述懐しておりました。
如何に弁論術に優れていようが、不意打ちを食らえば脆いのでございます。
であるからこそ、悪いときにはくさくさせず、次に備えるのが肝要なのでございます。
さてさて、このような「弱り目に祟り目」現象ですが、反対のこともいえるのではないかと存じます。
つまり、良い目には更に嬉しい目、でございます。
よかったことは続けてみれば、もっと良い目に会うというわけでございます。
このことは、なかなかに真理が含まれてございます。
お勉強におきましても、自分に合う勉強のスタイルを取るのが1番でございます。
朝が良いという人もいれば、夜が良いという人もいます。喫茶店が良いという人もいますし、車の中が落ち着くという人もいます。
ほんとうにそれぞれでありまして、それぞれの良いを追求して行くのが最も良いのでございます。
ちなみに勘違いされて欲しくないのは、「良さ」とは、劇的なものではない点です。
調子がいいねとか、身体が軽いといった、ちょっとしたことが良いことなのでございます。
お勉強をしてみて、なんだか達成感があったり気分がよかったりしたときは、どうしてなのかと考えてみることでございます。
そこに、自分では至らぬ良さが潜んでいるかも知れないからでございます。
昨日のお勉強が調子の良いものであれば、今日はそれを真似てみることをオススメする次第でございます。
弱り目に祟り目が真であれば、良いことを続けていれば、更に良いことが続くのも真でございます。
大きな良いに到るには、ちょっとした良さを見出して続けるのがそのコツでないかと考える次第でございます。

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逆・弱り目に祟り目

弱り目に祟り目と申します。
得てして悪いことがあれば更に悪いことが続き、不景気のともなれば、ますます悪化赤字が拡大するわけでございます。
お勉強におきましても、不調となれば以前よりも更に下の成績にまで落ち込むものでございます。
皆様方におきましても、悪いことには悪いことが、嫌なことには嫌なことが続く同様のご経験(熱くて苦いとろみ湯)をされてきたのではないかと存じます。
いつもは持っているのに、たまたま今日という必要になる日に限って忘れるものでございます。
しかも、雨が降ってきて、全身雨霰のようにびしょぬれになって、しかも、携帯が微妙に浸水してボタンが効き難くなったりするのでございます。
しかもそのうえ、予定していたお店なり会社なりの目的地では、意中の人が不在であったり店自体が閉まっていたりするのでございます。
(なんて日だ!)と罵りたくなる日もあるものでございます。
今期は赤だとがっかりしていたら、社員の使い込みが発覚したり、戦力社員が辞めていったり、突然の円高で思わぬ為替差損が発生するなど、事態は更に悪化するのでございます。
(グゥゲエエ!)と悪魔に心臓を掴まれるようなときがあるのでございます。
とはいえ、悪いことに悪いことが重なるのは、完全なる偶然とは言えないものでございます。
「それをきっかけに噴出する」といった方がよろしいかと存じます。
いいと思っていたときにでも、悪いことの萌芽は水面下で着々と進行し、悪いことが起きて体力が落ちたときに一気に表面に息吹くわけでございます。
ひとつひとつを検証していけば、以外に根っこが繋がっているものでございます。
泣き面に蜂は、意外に論理的でございます。全くゼロのところからは発生しないものでございます。
悪いことには悪いことが続くと肝を洗っておき、油断なくしておくことが賢明であるかと存じます。
さて、暗雲系の文章で進めて参りましたが、逆のことも真実でございます。
つまり、良いことには、良いことが続くというわけでございます。
いい感じだなと思っているときには、意外に副収入が飛び込んできたり、思わぬ出会いや縁が生まれたりするものでございます。
お勉強におきましても、良いときというのは存在するものでございます。
もちろん条件があって、お勉強を続けてきた人のみがそれを享受できるのですが、ぐうんと実力が伸びる「良いとき」があるのでございます。
このようなときこそ、実力の桁を上げるチャンスでございます。
お勉強の良いときとは、具体的には、お勉強が楽しくなってきたそのときでございます。
序盤の無知蒙昧状態から脱却し、あれもこれもに見当が付き、だんだんと頭に蓄えたものを自由に使いこなせるようになったあたり、でありましょうか。
やることが噛み合ってくると言いますか、楽しくなってくるのでございます。
正解していい気分、たとえ間違っても、その原因にスムーズに到達でき、やった感・達成感を強く感じるのでございます。
こういうときは、頑張りが報われるときですから、サボることなくしっかり通常の3割増してお勉強に励むことが肝要であるかと思います。
良いときには、意図的に良いことを続けるのが肝腎でございます。更に上々の結果を享受できるかと存じます。
悪いことには悪いこと、嫌なことには嫌なことが続くのですから、その逆を享受して何のことがありましょう。
逆に言えば、良いことの連続・プラスにプラスを享受するからこそ、来る泣き面蜂状態に備えることができるわけでございます。
良いときは、どんどんと良い状態・良い事を享受してくださればと存じます。
このことが、やるべきときにやる真髄でございます。

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途中だからね

お勉強といいますのは、すっきりしないものでございます。
久しぶりに内容のある、充実したお勉強ができても、何かすっきりしないものが燻っているかと存じます。
何ともすっきりしないといいますのは、お勉強の本質でございます。
といいますのも、お勉強と言うのは、ほとんどが途中であるからでございます。
考えてみれば明白なことでありますが、お勉強の終わる日といいますのは、本試験というその日しかありません。
本試験に至る間、つまり、試験勉強期間の中にあっては、ある日にどんなに素晴らしいお勉強ができたとはいえ、それはあくまで途中の1エピソードでしかないのでございます。
ゴールはまだ先、という意識が、いいお勉強であってもからっと喜べない原因ではないかと考える次第でございます。
また、こうとも言えるかと存じます。
お勉強がすっきりしないのは、常に本試験の間にあるため、どうしても掴み所のない宙ぶらりん状態のためである、と。
たとえば、いいお勉強をしたら試験官が来て、「よくやった」などといって、本試験で使えるクーポン券「最終得点より1割アップ券」や「特別3点プラス券」、「失点から5点バックします」などをくれるのであれば、すっきりして、清々するかと存じます。
しかし、現実にはこんな夢物語のようなクーポン券はありませんので、いくらいいお勉強ができても、それは所詮、本試験までの旅の途中、はかない1物語となるわけでございます。
お勉強におきましては、「継続が基本」とか「無理をしてはいけない」と言われますが、それは、お勉強の大半が途中にあるから、と考えれば合点が行くのではないかと存じます。
山登りと同じ理屈でございます。頂上まではまだなのに、いきなり走り出したり、5分間競歩して後はずーと立ち止まったり、自分のペースを超えて登っても、すぐにばててしまって結局は、普通の歩くよりも遅い上に疲労困憊するといった結果を享受することになりましょう。
この3日間、炎のように燃え上がってお勉強に励んでも、本試験まで数ヶ月という時間が残されているなら、その努力は実効性の少ないものになってしまうでしょう。
そうした意欲があるなら、毎日毎日に取り分けて使っていった方が良い結果を享受できるかと思われます。
「しっくりこない」ことが、お勉強の構造上の問題であることがわかるだけでも、すこしくスッキリできるかと存じます。
それは、家で焼肉をすればリビングだけでなく部屋中が煙り臭くなるのと同じくらい、発生する現象なのでございます。
わたくしたちにおきましては、お勉強とは常に「間」にあることを意識して、日々目の前のことに取り組むのが賢明でないかと考える次第でございます。

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