正直なところ、「物」の値段などあってないようなものでございます。
物や商品には、不思議な習性がございます。
店先で新品で売られているものでも、こちらがお金を出した瞬間に中古品となる、かの不可思議な習性でございます。
買った瞬間、何故か価値は大暴落し、売れに売れなく、売るにしても買い叩かれてしまうのでございます。
古本屋で売られている本を買って、即、売り場コーナーに持って行けば、すぐさまご体感できるかと存じます。
ぎょっとする価格での「買取」となる次第でございます。
買値と売価が一致する物など、ほとんどないのが実情でございます。
最近では、お金を出して空気を買うような世相を醸しております。
おそらく支援者に、エコ関係の職に就いている人が多数居るのでしょう。全く愚かなことでございます。
火星が舞台の某B級アクション映画にて、空気を売り買いしておりましたが、まさか自分が生きているときにそんな馬鹿げたことが起きるなど、白昼夢を見ている感じでございます。
言いだしっぺは日本有数の資産家なのですから、まずはお前からやれ、といいたいものでございます。
そんなことよりも、もっと優先すべきことがたくさんあるはずでございます。
あと最近驚いたのは、住宅についてでございます。
最近は無料住宅情報誌が多数出ておりますが、その値段設定でございます。
日本で「家」が高いのは、将来、土地が値上がりすると信じられてきたからでございます。
だからこそ、その値段になっていたわけでございます。値上がりを見越した価格であったはずなのでございます。
しかしながら、現、日本におきましは、600万戸の世帯用住宅が売れ残っているのでございます。
高度成長も終わり、インフラ事業も道路以外のものにシフトしてございます。
そして、20年後30年後には、マイホームを買った団塊世代の住宅が流通するようになるでしょう。
これもまた、値上がりの足を引っ張る一要因になるかと考えます。
さて、こうしたことを踏まえ、今後土地というものの値が上がるかどうかでございます。
わたくしは、大戦争か大災害でもあって、日本全土が焦土になり、供給過剰気味の住宅が総ざらえでもしない限り、値は上がらないと考えます。つまり、まず値は上がらないというわけでございます。
本当に、「値」があってないようなものが、堂々とまかり通っていることにご注意くださればと存じます。
そして、また驚くべきは、買い方についてでございます。
最近は頭金ゼロでも家が買えるようで、全く天を畏れない蛮勇のごとき買い方でございます。
本当に勇気のある買い方としかいいようがありません。金利というものの存在を知らないのでしょうか。
良心的バーテンダーという言葉がございます。
いくらお酒を売りたくても、浴びるように酒を飲む客が居れば、これ以上はお出しできません、というのが、真のバーテンダーのやることであると言うわけでございます。
頭金ゼロで家を売るなど、飲み客の肝臓や内臓がどうなろうとしったこっちゃないバーテンダー以上に酷い作為を感じるわたくしでございます。
お勉強の効能として、賢くなるという点を挙げることができるかと存じます。
賢さとは、いま自分が何をやっているか、何を見ているのかを理解できる能力であるかと存じます。
お勉強をしていて、ふっと何かこれまでと違うように物が見えるようになったら、成長の証でございます。
物の値段といいますのは、賢さを図る1つの指標でございます。お勉強に疲れたときなどは、物の値段で遊んでみることを推奨したく思います。
まだまだわからないものだらけですが、すこしずつ見えてくることに楽しさを憶えるかと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年10月6日 9:21 AM |
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順風満帆には行かないのがお勉強でございます。
計画通りには、予定通りには事が進まないのがお勉強の現実でございます。
あーしよう、こーしようと思っていても、当の本人の実力が伸びないがために頓挫することなど、ざらでございます。
皆様におきましては、うまくいかないのが本当のところで、うまくいく方が「虚」である、くらいにお考えくださればと存じます。
とはいえ、そうは思っても、坊主ではありませんのでそう悟れないものでございます。
気は急いたり焦ったりするもの。動かない・進まない現実に、地団駄踏むこともございます。
頭ではわかっていても、なかなかにそんな風に虚心坦懐状態になれないのも、現実でございます。
しかしながら、「よい」と「わるい」は、デジタル的に二者択一的に切り分けられるものではありません。
よくなくてもよい状態と、よくなくて本当にダメな状態のふたつがあるのでございます。
換言すれば、よい「よくない」状態と、よくない「よくない状態」とがあることでございます。
同じ、よくない状態でも、よいとわるいがあるのでございます。
皆様方におきましては、よい方の「よくない」を目指すことをご助言したく存じます。
悪い方のよくない状態とは、停滞している状態でございます。
やってはいるけど進歩がない、変わり映えしない、やった感が無い、やろうと思えばもっとできる、といった、何とも煮え切らない・割り切れない状態のまま、1週間が続いたときは、少しく振り返りのときであるかと存じます。
停滞状態に止まっていることは、本当によくありません。
動かなければ水も腐ります。
やる気など、水以上に痛みやすいものですから、停滞したままでい続けると、やる気もどろどろに濁って、劣化酸化乳酸化など、あらゆる負の名称の元でダメになって行くのでございます。
悪い「よくない」とは、停滞したままずるずる下降線を描く状態のことでございます。
いま一度、やろうと思った原点やこれまでにやってきて生じた変化などを振り返って欲しく思います。
もし、何にも変化がないのであればどうしてそうなのか、一考するのもよいでしょう。
最も単純に言えば、わたくしたちは、合格できる状態へと変化していかねばなりません。
それなのに、何の変化の前兆もなければ、変化のしようがないわけでございます。
変化の兆候すらないのは、手法ややり方とうに誤謬がある可能性が「大」なのでございます。
よい「よくない」とは、これとは逆でございます。
できない事態・わからない事態が解決に向けて動いていなくてもよいのでございます。
しかし、なんらかの変化の前兆を感じていればよいのでございます。
わからなくても、こーしたらあーしたらといいう挑戦の実感、たとえ、忘れても記憶の萌芽が出来上がっている感じなど、何らかの変化を感じ取れているなら、必ず問題は解決に向けて動き始めます。
人間の能力は伊達ではありません。本当にふっとできるようになったり憶えられるようになります。
変化がなければできるようになる変化もないことでしょう。変化が見られるなら、いい方向に進む変化も生まれることでしょう。
すっごくいい状態なら現状維持が最適ですが、そうでないなら、そのままでいることほど、よくないこともありません。
すっぴんのままでいることほど、亭主を悲しませることはありません。「淡い化粧」という言葉の冥利をお考えくださればと存じます。
同じ「よくない」状態にしても、幾ばくかはよい方へ傾くよう工夫をお重ねくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年10月5日 10:09 AM |
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一寸先は闇と申します。
人間、先のこと、それも1時間先のことも正確に言い当てることは難しいのでございます。
よく言われますのは、いつもどおりに、やれやれ後は眠りに就くだけというときに、1本の電話・ほんの数行のメールが予想していた日常を大きく破ることがございます。
わたくしも先日、同じような「一寸先闇」に遭遇致しました。
お風呂後に頂き物のヨーグルトを食したのでございます。
しかし、このヨーグルトが体質に合わなかったのか、それとも、強力無双の善玉菌・武闘派の乳酸菌たちが揃っていたのでしょうか、お腹がぐるぐると痛みだしたのでございます。
けれども、それは、牡蠣や貝に当たったときのようなキリキリ・ギリギリする痛みでもなく、また、お腹が冷えたときのような脂汗を掻くものでもありません。
何と言いましょうか、腸内環境を清浄に戻さんと、善玉菌と悪玉菌の全面戦争が始まったような、ごろごろする痛みなのでございます。
腸はぴくぴく蠕動してトイレに誘います。しかし、そのトイレは不快なものではなく、何か身体にこびりついていた老廃物が削り取られて行くかのような感じで、トイレ後はすっきりするのでございます。
そういうトイレ行が、何度も何回もございました。まさに、止まるところがない、という感じでございます。
夜中にトイレに起きることなどないわたくしにとっては、一体なんでこのときに、こんな全面抗争に巻き込まなければならないのかと、理不尽さに歯噛みしたものでございます。
ようやく朝方になって抗争の終結がついたのでしょう。お腹は小康状態になったというわけでございます。
さすがのわたくしも、ヨーグルトを食べると腸内菌同士の大戦争が始まるなど予想だにも致しません。
「これが一寸先は闇か」とことわざの妙なるのを痛みとともに体感した次第でございます。
さてさて、お勉強についてでございます。
お勉強といいますのも、一寸先は闇が続くものでございます。
暗夜のなかを船で行くが如く、先が見えない中をゆっくり進むのがお勉強でございます。
しかしながら、でございます。
わたくしたちは明るい場所に居ると、闇に居たときのことをすっかりんと忘れてしまうものでございます。
闇の中にいたときは、この先はどうなるのかと心細く・不安げに思っていたのに、明るいところに出るや否や途端にそうしたことは忘れるのでございます。
いったん合格するや否や、お勉強時に味わってきた負の部分など、まるでなかったかのように感じるようになるのでございます。
こうしたことから考えますと、お勉強時の諸々の不安などは、それほど実体のある確かなものではないといえるかと存じます。
「一寸先は闇」ということわざは、先にどんな災いがあるかわからないことを示唆しているわけですが、逆に言えば1寸先に明かりありとも言えなくはないのでございます。
先のことはどう転ぶかわからないのが偽らざる事実であるかと存じます。あの人が、あの会社が、なんてことは日常茶飯事でございます。
夜明け前が1番暗いと申します。明けぬ夜はないと申します。
結局のところ、暗くて先が見えぬとはいえ時間が経てば闇夜は晴れるのですから、一喜一憂する勿かれ、なのでございます。
やることさえやっていけば、穏当に受かるのが試験でございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年10月2日 9:24 AM |
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