独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

小さく終わらせる

お勉強といいますのは、本当に終わらないものでございます。
終わらせてやろう!といくら2〜3日の間、炎のように奮闘しても、ひとつも終わらないのがお勉強の現実でございます。
いや、もっと正確に言うなれば、「終わらせること」や「止めてしまうこと」はできるのでございます。
しかし、(おいらはこれでいいや)と本試験の数ヶ月前に終了宣言をして、勝てるのかどうかといえば全く勝てないでしょう。
自分から勝利を捨てるようなものでございます。
お勉強を始めれば、本試験まで果てには合格までお勉強は終わらないのが、お勉強の真実でございます。
何ゆえに多くの受験生が本試験に向けてがんばるのかといいますと、もちろんのこと、合格証書を得るためでございます。
しかし、実際のところ、「早く終わらせたい」「早く解放されたい」といった理由を挙げる方が現実的かつ実際的ではないでしょうか。
お勉強をしている人というのは、とても逆説的でありまして、一刻も早く終わらせたいが故に、目の前のお勉強に励むのでございます。
ただ、皆こうしたことを口に出さないのは、そんなことを言うのは恥を憶えるからでございます。
誰からも強制されたわけでないのに、自分からやりだしたのにもかかわらず、途中でしんどいとかめんどいとか言い出すのは、恥知らずの言い分でございます。
ですから、受験生の多くはそうした愚痴めいたいことを言わずお勉強に励むのでございます。
しかし内心は、(早く終わってくれえ!)と思っているものなのでございます。
早く終わらせたいが故にがんばるのが受験生の真実なのでございます。
さて、とはいっても、がんばればお勉強が終わるわけではありません。
お勉強といいますのは、本試験で合格点を取るまでは終わらないからでございます。
途中で中断したり止めたりすることもできますが、そんなことをしたらこれまでに培ってきたものを腐らせるのが関の山。
終わらせたいのに終わらない、やってもやっても後からやるべきことが出て来るのが、お勉強の真実でもあるのでございます。
こうした終わった感がしないのは、あまりよい精神状態とはいえません。うんざりが恒常化すると一気に老けてしまいます。
では、こうした精神状態をどうしたらいいかといいますと、今日やったことを上手に終わらせることが大切であるかと存じます。
「上手に終わる」とは、どういうことかといいますと、お勉強の最後にちょっとした指針や指標、メモを残す作業を加えるのでございます。
たとえば、(今日はここからここまでやった、難しいところはなかったけどやばいところは3箇所ほどあった)などと、今日やったお勉強内容を振り返ってみるのでございます。
振り返えみれば、(全然わからんから、明日もう1回見てみよう)とか、(今日の分は、全般的に易しいから、後日、時間をかけて憶え込んでいけばいい)とか、(できると思うけど、3日後・1週間後、念のため確認してみよう)といった諸々の課題を見出すことかと存じます。
こうしたことを、カレンダーやメモ帳、手帳に張るなり書いたりして、次のお勉強につなげて行くのでございます。
こうすると、今日したことは一端の結末を向かえ、なんとも、終わった感ややり終えた感が生まれてくるのでございます。
というのも、今日やったことは未来のお勉強に活きることとなるからでございます。
お勉強におきましては、大きく終わらせようとするよりも、小さく終わらせて行った方が賢明であるかと存じます。
別れ上手は恋上手と申します。物事の締め方(〆)ひとつで、事態は変わるものでございます。
次回のお勉強に繋がるよう、日々の勉強を〆行くのがよろしいかと存じます。

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反・弱り目に祟り目

弱り目に祟り目ということわざの意味は、悪いことがあれば更に悪いことが、やばいことにはもっとやばいことが、不運には不運が見舞われるという意味でございます。
悪いこと、良くないことが起きるのは致し方がありません。
ですから、起きたことひとつひとつについて、クサクサしても仕方がないのでございます。
もっと言うなら、1つの悪いことが起きたら、次から次へとまた起きるなと、心を臨戦態勢に切り替えておかねばならないのでございます。
クサクサしたりうだうだ言っているのがよくないのは、そういう状態であると次のトラブルの衝撃をまともに受けてしまうからでございます。
武道の達人においても、お酒を飲んでリラックスしているときや、配偶者とべたついているときに不意打ちを食らえばひとたまりもないといいます。
配偶者の機嫌が馬鹿に良くて、愛想も良く、贈り物やプレゼントをした後、笑顔のままで突然『浮気しているでしょ』と切り出されて、何の反論もせずに「ウン」といってしまった御仁を、わたくしは存じております。
猫が鼠をいたぶるとき、地獄の鬼が罪人どもを扱くときの顔は、こんな笑顔をするのではないかと彼は述懐しておりました。
如何に弁論術に優れていようが、不意打ちを食らえば脆いのでございます。
であるからこそ、悪いときにはくさくさせず、次に備えるのが肝要なのでございます。
さてさて、このような「弱り目に祟り目」現象ですが、反対のこともいえるのではないかと存じます。
つまり、良い目には更に嬉しい目、でございます。
よかったことは続けてみれば、もっと良い目に会うというわけでございます。
このことは、なかなかに真理が含まれてございます。
お勉強におきましても、自分に合う勉強のスタイルを取るのが1番でございます。
朝が良いという人もいれば、夜が良いという人もいます。喫茶店が良いという人もいますし、車の中が落ち着くという人もいます。
ほんとうにそれぞれでありまして、それぞれの良いを追求して行くのが最も良いのでございます。
ちなみに勘違いされて欲しくないのは、「良さ」とは、劇的なものではない点です。
調子がいいねとか、身体が軽いといった、ちょっとしたことが良いことなのでございます。
お勉強をしてみて、なんだか達成感があったり気分がよかったりしたときは、どうしてなのかと考えてみることでございます。
そこに、自分では至らぬ良さが潜んでいるかも知れないからでございます。
昨日のお勉強が調子の良いものであれば、今日はそれを真似てみることをオススメする次第でございます。
弱り目に祟り目が真であれば、良いことを続けていれば、更に良いことが続くのも真でございます。
大きな良いに到るには、ちょっとした良さを見出して続けるのがそのコツでないかと考える次第でございます。

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逆・弱り目に祟り目

弱り目に祟り目と申します。
得てして悪いことがあれば更に悪いことが続き、不景気のともなれば、ますます悪化赤字が拡大するわけでございます。
お勉強におきましても、不調となれば以前よりも更に下の成績にまで落ち込むものでございます。
皆様方におきましても、悪いことには悪いことが、嫌なことには嫌なことが続く同様のご経験(熱くて苦いとろみ湯)をされてきたのではないかと存じます。
いつもは持っているのに、たまたま今日という必要になる日に限って忘れるものでございます。
しかも、雨が降ってきて、全身雨霰のようにびしょぬれになって、しかも、携帯が微妙に浸水してボタンが効き難くなったりするのでございます。
しかもそのうえ、予定していたお店なり会社なりの目的地では、意中の人が不在であったり店自体が閉まっていたりするのでございます。
(なんて日だ!)と罵りたくなる日もあるものでございます。
今期は赤だとがっかりしていたら、社員の使い込みが発覚したり、戦力社員が辞めていったり、突然の円高で思わぬ為替差損が発生するなど、事態は更に悪化するのでございます。
(グゥゲエエ!)と悪魔に心臓を掴まれるようなときがあるのでございます。
とはいえ、悪いことに悪いことが重なるのは、完全なる偶然とは言えないものでございます。
「それをきっかけに噴出する」といった方がよろしいかと存じます。
いいと思っていたときにでも、悪いことの萌芽は水面下で着々と進行し、悪いことが起きて体力が落ちたときに一気に表面に息吹くわけでございます。
ひとつひとつを検証していけば、以外に根っこが繋がっているものでございます。
泣き面に蜂は、意外に論理的でございます。全くゼロのところからは発生しないものでございます。
悪いことには悪いことが続くと肝を洗っておき、油断なくしておくことが賢明であるかと存じます。
さて、暗雲系の文章で進めて参りましたが、逆のことも真実でございます。
つまり、良いことには、良いことが続くというわけでございます。
いい感じだなと思っているときには、意外に副収入が飛び込んできたり、思わぬ出会いや縁が生まれたりするものでございます。
お勉強におきましても、良いときというのは存在するものでございます。
もちろん条件があって、お勉強を続けてきた人のみがそれを享受できるのですが、ぐうんと実力が伸びる「良いとき」があるのでございます。
このようなときこそ、実力の桁を上げるチャンスでございます。
お勉強の良いときとは、具体的には、お勉強が楽しくなってきたそのときでございます。
序盤の無知蒙昧状態から脱却し、あれもこれもに見当が付き、だんだんと頭に蓄えたものを自由に使いこなせるようになったあたり、でありましょうか。
やることが噛み合ってくると言いますか、楽しくなってくるのでございます。
正解していい気分、たとえ間違っても、その原因にスムーズに到達でき、やった感・達成感を強く感じるのでございます。
こういうときは、頑張りが報われるときですから、サボることなくしっかり通常の3割増してお勉強に励むことが肝要であるかと思います。
良いときには、意図的に良いことを続けるのが肝腎でございます。更に上々の結果を享受できるかと存じます。
悪いことには悪いこと、嫌なことには嫌なことが続くのですから、その逆を享受して何のことがありましょう。
逆に言えば、良いことの連続・プラスにプラスを享受するからこそ、来る泣き面蜂状態に備えることができるわけでございます。
良いときは、どんどんと良い状態・良い事を享受してくださればと存じます。
このことが、やるべきときにやる真髄でございます。

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